六話:長老との対談その壱。
吾輩は、冬将軍である。
永き眠りから目覚めた吾輩の前に、二人の村人が現れた。彼者らから、長老に会って欲しいと懇願され、快諾する。
そうしてようやく、村に到着したはずだったが、目の前にそそり立つのは巨大な雪の壁。
どことなく隠れ里の様相であり、村人も“里”と呼んでいた。
さらには、里の姐御的存在であるキツネ女が現れて、夜這い宣告までされた。しかも人妻で子沢山な様子。
そんな中、キツネ女の子供と思しき二人、赤葉と青葉が現れる。彼者らは、今朝の地震で被害に遭った場所を応急処置する為に、里中を回ってるらしい。
いつまでもその様子を眺めている訳にもいかないので、とりあえず先に進んだ我らは、ついに長老と対面するのだった。
さてはて、どうなる事やら――。
「これはこれは、ようこそお出で下さりました。ささっ、中へお入り下されっ」
玄関で、にこやかな表情を浮かべながらお辞儀したのは、白髪の目立った小柄な翁である。おそらくは彼者こそが長老であろう。
吾輩は、毛沓【鹿や猪などの皮で出来た靴】を脱いで板間に上がった。
「そういえば……、随分と外が騒がしかったようですが、何か粗相はありませんでしたかな?」
うむ――、有り体に言えば粗相だらけである。
キツネ女には夜這い宣告されるわ、近くで子供がぎゃあぎゃあ騒ぐわ、いったい守り神とは何なのであろうか――と。
しかしな――、この男に文句を並べても詮無き事であろう。
「…………気にするでない」
「……………………っ、痛み入りまする」
そうして――、吾輩は示された上座に着く。その後で、彼者らも囲炉裏の向こう側へ着座したのだが、よく見ると建物の中に居る者は、吾輩を含めて三人であった。
冬天宮のある洞窟からここまで案内してくれた二人は、中には入らず――か。
――さてはて、
まずは、吾輩の真正面、囲炉裏を挟んで対面に居る人物から見てみようか。
萎烏帽子【平民の烏帽子】から漏れる髪は真っ白、しかも少々ちぢれ気味。黒の直垂【平民の普段着】に熊か猪らしき焦げ茶色の毛皮を羽織るが、何より映えるのは、顎から伸びた白い髭である。あとは、痩せ型で小柄な体格。顔に刻まれた深い皺は、長い年月を生きてきた証か。もちろん、座った位置と出で立ちからして、長老であろう事は間違いなさそうだ。
――次に、その傍らに控える大男だ。
短く刈られた黒髪に、ちょこんと舟形烏帽子【平民の烏帽子】が乗っている有様。つまりは顔が大きいのだ。それに、深緑の直垂【平民の普段着】の上からでも分かるような筋肉をしており、胸元が少し開いて日焼けした肌が露出している。見た目通りの武骨者であろうが、その気配から、かなりの実力を持っているようだ。
うぅむ、何というか。
この沈黙はいったい、何なのであろうか。
ここはやはり、吾輩が話を振るべきなのか――。あまり得意ではないのだがな。
「そなたが……、この里の長老であるか?」
「左様でござりまする。名を、北峨谷 権六と申しまする」
長老はそう言いながら、囲炉裏の端っこの灰を火箸で突き刺し、真名【漢字】を書いた。
北峨谷とは――、こうして書いてもらわねば読めない姓であるな。
「……某は、権六が嫡男であり里長の、北峨谷 虎次郎でござる」
おおぅ、武骨者が藪から棒に、名乗ったではないか。
長老もちゃっかり、火箸で真名【漢字】を書いておる。
ん――、虎次郎だと――。
確か、キツネ女と話している時に、誰かが言っていたような。
事あるごとに変態なお仕置きをして子供を生ませているキツネ女の旦那――と。
想像していたのとは、だいぶ違うな。人は見かけに寄らず――か。
――さて、この流れとしては、こちらも名乗らぬ訳にはいくまい。
「吾輩は、評 利光である」
「……コオリノトシミツ様で、はて……、どこかで聞いた事がありましたかな……?」
――何やら微妙な反応である。
長年、吾輩を祀ってきたのであれば、吾輩の氏素性など分かっていて当然なのだが、どうも本当に知らない様子だ。いくら極秘にされていたとはいえ、長老や里長までもが知らないとは、正直想定していなかった。
“里の守り神”と呼ばれていた時は、普通の里人が知らんのも無理からぬ事だとは思っていたが――な。
そういえば、先ほどから吾輩の白い狩衣【平安貴族の普段着】に入った“三ツ鱗”の金糸刺繍を見ているはずなのだが、一向に反応がない。
“三ツ鱗”とは、冬将軍を表す紋所なのだ。
どうやら――、
これは、しくじったかも知れん――な。
吾輩が冬将軍である事実を、部外者には出来るだけ知られたくないのだ。
もし、変に騒がれでもしたら――、政の舞台に戻るハメになるであろう。
それだけは、何としても、断固として、御免こうむる。
こんな時――、
吾輩の心之臓と同化している女房の雪音なら、愛らしい声で笑って、和やかにごまかしていただろうが――。
未だに、起きる気配がないな。この寝坊助さんめ。
ふむ――、仕方ないか。
吾輩だけで何とか流れだけでも、変えねばなるまい。
ごまかす方向で――。
「…………ちと尋ねるが、吾輩はいったい何者として、そなたらの間では伝わっておるのだ?」
「はい、この端ヶ谷の、守り神様でござりまする」
「ほぅ……」
長老はまたしても、囲炉裏の灰を火箸で突き刺し、端ヶ谷と、真名【漢字】を書く。
要するに――、
ここは端ヶ谷という地名で、吾輩はそこの守り神であったか。
まったくもって、初耳である。
「しかしながら、なにぶんワシが幼少のみぎりに、ジジ様から聞かされた御伽話でしてな。里の若い衆は、誰も信じてはおりますまい……」
御伽話がどんな物かは気になる所ではあったが、キツネ女を始めとする里人達の反応からして、すべて納得が行っ――てはないが、ならば仕方あるまいか。
それよりも、喉から手が出るほど知りたい情報の断片が出てきた。すなわち、吾輩が眠りについて、どれほどの時間が経ったかである。
長老が幼い時に祖父から聞いた話――という事は、少なくとも百年は経っているのであろう。
「父上……、確か……、鶴城の都におわす執権様がコオリノ……、何とやら……」
――ぎくっ。
変態お仕置き旦那め、余計な事を思い出すでないぞ。
「評 利定様じゃな。虎次郎……」
囲炉裏の灰を火箸でザクザク突き刺して、文字を描きながら考え込む長老。
コオリ――、評――、こおり――、と。
文字だらけになる。
「そういえば虎次郎……、ここよりはるか南の都である鶴城にいらっしゃるという、我らが鎮西の守り神様は、なんじゃったかの?」
――やたらと説明的なのは、口に出しながら頭の記憶を整理しているからであろうか。
それにしても、吾輩の知る単語が一気に噴き出してきた。
我らが鎮西という言葉から、ここを含んだもっと大きな地方の名称が、以前と変わっていない事を示す。そして、その鎮西【地方】を統治する組織も同様――。
――これはいかん。話の流れを変えねば。
「はい、父上。我らが鎮西の守り神は、冬将軍様でござりまする。不老の御身で御年三百歳とも言われておりますな……」
つまり――、現在も吾輩は、鎮西【地方】統治の象徴として、鶴城の都に居る事になっているのだ。
「ごほっ、ごほん……っ、ここ……っ、端ヶ谷の名物は何であろうか?」
――何としても思い出させてはならんのだ。話をそらさねば。
もし、その冬将軍が、こんな北の果てで眠りについた事が宸世中に知れ渡れば、この鎮西【地方】は他国の実力者に蹂躙され、せっかく築いた統治体制も水泡に帰していたであろう。吾輩のわがままによって、そういう事態になるのだけは避けたかった。矛盾しているかも知れないが――な。
「そうじゃなくてじゃな……、名前は何と申したかの……?」
「ごほごほっ……っ、ごほっ、ごっほごっほんっ」
「父上、確か……、冬将軍様の御名はコオリノトシミツ様だったはずでは……?」
「ごほごっほっ……、ごほほっ、ごっほごっほんほんっ」
「そうっ、そうじゃった、そうじゃった……っ、我らが鎮西の“守り神”様の名は、評 利光様であらせられたな……、……っ、…………ん?」
吾輩の苦し紛れの咳き込み大作戦も空しく、ついにバレてしまったようだ。親子して顔を合わせ、目をまん丸に、口を大きく開き、まさしく驚きの表情を浮かべるのであった。
――いや、まだだ。
まだ、ごまかせるさ――。
【 】内は現代語訳と省略用語、“ ”内は強調単語です。