三十二話:業者登記。
吾輩は、冬将軍こと評 利光である。
暦では、凰平二年の一月三十日、水曜日。
今居る場所は、鎮西【地方】の寒路国【県】にある、北汰分宿という宿場町だ。
――以上。
六歳の見た目をしている雪女・せっかちさんこと雪華に引っ張られるように、我が女房の雪音は奥へ連れて行かれた。あやつに似合う着物を見繕ってくれるという。
それにしても、あのせっかちさん。隠れ里で会った赤葉という赤毛の子ギツネと、どことなく口調が似ている気も、しなくもないのだが……。
「あの、蘭狐殿の着物は大方……、赤葉ちゃんあたりから押し付けられたのではありませんかね?」
「なんと……、何故にそれを?」
「実は某、虎次郎殿とは、家族ぐるみの長い付き合いでしてね」
「ほぅ……」
なるほどな。だいぶ話がつながってきた。
着物の持ち主である蘭狐というのは、あのキツネ女の名前で間違いあるまい。
紹介状に、こちらの事情がどこまで書かれているのかは定かではないが、少なくとも雪音の着物の長さには、誰もが違和感を覚えるはず。それを即座に赤葉の仕業と見破り、もっと動き易い服装を我らが求めていると、この目の前に座る斉隆が察知できたのは、虎次郎との縁の深さによるものであったのか。
「では、業者【冒険者】登記【登録】の手続きを進めますかね?」
斉隆は、左手を顔へ持ってゆき、片眼鏡を掴んだ。カチカチと音が数回ほど鳴る。
「これより貴方は、宸世業者協会の一員として、お上【朝廷】より認められます。まずは名前と……」
登記用の良質な和紙に筆を走らせながら、次々と質問してくる斉隆。
名前は『氷戸 俊通』と『氷戸 雪音』で、年齢はとりあえず、見た目通りの十七歳という事にした。氷人に成り立ての新人もののふなら目立たないと思ったからだ。困ったのは吾輩の出身地であったが、斉隆の勧めにより『北汰分宿』とした。
あと、家名を持たなければ、業者には成れないとの事なので、『氷戸』という家名で新設する流れになった。
「家名新設に四万文【40万円】、業者協会の入会費用として、一人につき二万文【20万円】、合わせて八万文【80万円】を戴きますが、よろしいですかね?」
「ふむ……、予想以上だな……」
我らの持つ所持金なら、余裕で払える額ではあった。だが、果たして、庶民にこの額が払えるだろうか。業者とは、誰でも簡単になれる破落戸のような職業だと記憶していたので、その経緯に興味が湧いたのだ。
「昔は、自由に成れたのですがね?」
斉隆の言う、業者の歴史。要約すれば、こうである。
まず初めに、もののけを退治して回り、宿業を貯める事によって己が得物【武器】を業物にする生業、業者が興る。
やがて業者達は、悪しきもののけに苦しめられている人々の要望に応え、それを退治する事によって報酬を得るようになる。
しかし、依頼者の弱みに付け込んで巨額の報酬をせしめる、悪徳業者が増えてくる。しかも、力づくで金品を略奪する、強盗の類に成り果ててしまう輩も少なくなかった。
そこで、宸世全土の神社を統括する朝廷が、解決に乗り出した。
悪しき業者を一掃する為に、厳しい登記制度を設けたのである。
業者という生業自体は非常に有用なので、朝廷としても完全に消すのは惜しかったのだ。
そうして、健全な業者活動を支援する組織である業者協会、通称・業会【冒険者協会】も設立。その運営は各地方の豪商などに委託され、もうすぐ百周年を迎えるとの事であった。
「なるほどであるな……」
「では次に、徒党【パーティー】はどのようにされますかね?」
「ほわっ?」
初めて聞いた単語に、吾輩は思わず変な声を上げてしまった。
「つまりはですね?」
徒党とは、二人以上の業者が組んだ、運命共同体の最小単位であるそうだ。徒党専用の依頼の方が圧倒的に多く、単独【ソロ】活動はお勧めできないとの事であった。あと、十二人以上の徒党は、旅団【クラン】と呼ばれるようになるらしい。
「参考までに、北汰分宿で募集している徒党を見てみますかね?」
「あ……、あぁ…………」
一冊の台帳を取り出して開いた斉隆は、それを吾輩の方へ向ける。
『北の葉っぱ党、業者さん大募集だよ!』
――ペラリ。
嫌な予感がしたので、即座に紙【ページ】をめくる。しかし、以降は白紙であった。
「これは……?」
「生憎と………………、こんな北の果てをわざわざ拠点として活動している物好きな徒党なんて、青葉ちゃんと赤葉ちゃんぐらいしかいないのですよ」
「ほほぅ……」
やはり、嫌な予感が見事に的中したようだ。
赤葉はあの、派手な紅い着物を雪音に押し付けた元凶でもある、やたらと騒ぐ子ギツネ。もう一人の青葉というのは、妙に大人ぶった男子であったな。
「徒党前提の依頼は、最低でも四人以上は必要だと思います。ちょうど、この“北の葉っぱ党”は、青葉ちゃんと赤葉ちゃんの二人組なので、そこに貴方達二人が加われば、安定した働きが期待でき……」
「だが、断る」
吾輩は、斉隆の言葉を遮ってまで却下した。やかましい子供の守りなど、まっぴら御免である。
「某も以前、虎次郎殿と五人で“北虎狼”という徒党を組み、いろんな所で活躍しておりました。その時の経験から、三人以下の戦力では非常に厳しかったのを覚えております。ですので、是非とも貴方達に入っ……」
「だから、断る」
そもそもそれは、世間一般での個人戦力を前提とした話であろう。我らは、たった二人でも過剰戦力であるからして、これ以上の強化は不必要である。
「おそらく、貴方達とは齢も近いので、きっと馬が合うかと思います。徒党を組めば、絆も深まりますし、我々“北虎狼”のような、かけがえのない仲間となるでしょう。業者は、横のつながりこそ大事ですので、この機会に是非とも組ん……」
「うむ、丁重に断らせて戴こう」
「……………………………………………………ぐむぅっ」
斉隆のこれまでの口ぶりから、虎次郎の書いた紹介状には、吾輩の正体に関して何一つ記されていなかったようだ。なればこそ、北の葉っぱ党とやらには、ますます入る訳にはいかないな。
「どうして、そこまで拒絶なさるのですかね?」
「その理由は、斉隆殿こそが、よく御存じなのでは?」
「ふむ………………、なかなかに、貴方は、とんだ食わせ者のようですね」
「ほほほぅ……、あの派手な着物を押し付けた張本人だと知ってて、その徒党入りを勧めるそなたも、なかなかのモノだと思うのだが?」
「言ってくれますねぇ………………」
「なにぶん、性分なものでな?」
しばし、無言での睨み合いが続いた……。
おそらく、“北虎狼”という徒党を支えていたのは、吾輩の眼前に座る、この男子であろうな。
虎次郎も相当な切れ者ではあったが、あれは正攻法を好む武人の気質だと感じた。策士の斉隆とは、性質と役割が根本的に異なるのだ。
すなわち、虎次郎が表の長【リーダー】として徒党を率いていたが、裏で支えていた実質上の要は、この斉隆であろうと推察できる。
「かはは……っ、はっはっはっはっ、この代官である斉隆に物怖じするどころか、ふてぶてしいまでに堂々とした態度、気に入りましたぞっ」
「ほぅ………………、代官だったのか。これはこれは御無礼を」
「はっはっは、今更ワザとらしいですねぇ。まぁ、あれですよ。代官なんてただの雑用でしかありませんよ。こんな北の果てでも、我々“北虎狼”の故郷ですからね。赤の他人に任せるよりは、某がやるべきだと思った次第です」
なるほど……。
幕閣から煙たがられて左遷されたのではなく、自ら志願してこんな辺境の代官を引き受けたのか。なかなか天晴れな心がけである。このような者こそが、我が幕府の中枢に入って辣腕を振るって欲しいものだ。
「さて、仕方ありませんから、徒党も新設致しましょう。費用として追加で四万文【40万円】になりますが、よろしいですかね?」
「ふむ……、しめて十二万文【120万円】になる訳か。決して払えない額ではないが、いささか高過ぎではないのか? これでは大金持ちでしか、業者には成れないと思うのだが?」
「それについてはですね……」
斉隆が語った、業者に成るまでの一般的な流れは、こうであった。
業会【業者協会】は、完全な実力主義なので、大金持ちがいきなり業者に成れる訳ではない。登記するにはもう一つ、業会から実力を認められた上位業者の推薦が必要である。だからこそ、虎次郎から推薦されている吾輩は、大金を支払えば登記できるとの事。
それに、業者を目指そうとする若人は、だいたい貧乏な境遇らしい。そういう者達はまず、実績を積んで邁進している徒党に、見習いの奉公人として入る。そこで給金をもらいつつ、切磋琢磨して実力を付けてゆく。やがては徒党の代表者から推薦され、晴れて業者の一員となれるそうだ。
「それにしてもですねぇ………………。あの虎次郎殿が、ここまで入れ込むなど、某は見た事がありません。貴方はいったい、何者なのですかね?」
「紹介状に書かれていないのなら、吾輩からは何も言えないな」
「ごもっともな意見ですねぇ……。では、登記の仕上げにかかりますかね? まずは金子の御用意をお願い致します」
「うむ………………」
吾輩は衣の袖に手を突っ込み、小判を適当に掴んでは番頭台の上に置いてゆく。そして、黄金の小判が十二枚。斉隆の目の前に並んだ。
「確かに十二万文【120万円】、お預かり致しました。さすが虎次郎殿、ぬかりはありませんね」
「ほぅ………………」
つまりは、我らに充分過ぎるほどの金子を渡したとか、紹介状に書かれてあったのかも知れないな。
「次に、新設する徒党についてですが、名前は何にしますかね?」
ふむ………………、徒党名であるか。
徒党の存在自体が初耳だったが故に、いきなり言われても困るな。
「たいていの業者は、自分の姓をそのまま党名にしますがね?」
「では、それで頼む」
「分かりました。『氷戸党』で登記致します。この党名は、後から変更可能ですので、その時は最寄りの業会へ申し出て下さい」
「うむ……」
「あとは、これで最後です。とりあえず、こちらに顔を向けてくれますかね?」
「ん?」
斉隆からの唐突な要望に、吾輩はとっさに顔を上げた。
その瞬間、パシャリと不可思議な音が鳴る。
「はい、結構ですよ」
左目の片眼鏡を掴みながら、再び和紙に落ちる斉隆の視線。筆を軽やかに走らせているが、どう見ても文字を書いているようには見えない。
「その眼鏡は、いったい何なのだ?」
「あぁ……、これは、雲外鏡の“怪具”ですね」
一般的に“怪具”とは――、もののけの力を宿らせた道具である。
斉隆の左目に装着している片眼鏡は、雲外鏡というもののけの能力の、ほんの一部分が使える、登記するのに必要不可欠な物であるらしい。
ちなみに、先ほどのパシャリという音は、吾輩の顔を写し取る能力を発動させたようだ。今もなお、片眼鏡には吾輩の顔が写っており、斉隆はそれを見ながら筆を走らせ、似顔絵を描いている最中である。
そうして、登記書が出来上がった直後、服を着替えた雪音が、奥から出てきたのであった。
【 】内は現代語訳と省略用語、“ ”内は強調単語、重要固有名詞であるもののけともののふの表記は、ひらがなと混じっても読めるようにする為、『 』内は紙などの媒体に記されている文字を表し、( )内は口に出さないセリフ、つまり心の声です。
※業者登記【冒険者登録】の相場は、会社設立のイメージで書いています。
・家名新設および徒党新設手数料→→→現実世界の法人登記。
(登録免許税など合計で約24万円、司法書士や行政書士の手数料15万円ほど)
・業者登記【冒険者登録】そのものの手数料→→→現実世界の許認可。
(産業廃棄物などの許認可費用は約14万円、行政書士の手数料5万円ぐらい)




