三十話:雪国の宿場町は、白かった。
吾輩は、冬将軍こと評 利光である。
暦は分からんが、冬なのは確かであろう。
今居る場所は、鎮西【地方】の寒路国【県】にある、北汰分宿という宿場町だ。
――以上。
澄んだ青空の下に白い山々が映え、さわやかな午前の日光が降り注ぐ冬の宿場町、北汰分宿に着いた我らは、木枠で組まれただけの簡素な造りをした北門から入り、そこから続く真っ白な大通りをとりあえず南へ向かって進んでいた。
大通りの両側には、屋根にこんもりと雪を乗せた木造家屋が、ずらりと並んでいる。しかも、だいたい看板が軒先に掲げられてあり、それらがすべて旅籠【宿屋】である事を示していた。
さらに、そんな旅籠【宿屋】の出入口から一間【約2メートル】ほど離れた場所に、人の手が加えられた形の良い松が大通りに沿っていくつも植えられており、その外側に、雪を落として流す為の水路が、大通りと並行するように走っている。おそらくは、先ほど渡った北汰分川へ流れてゆくのだろう。
今の所、通行人は見当たらない。家屋の中に気配は感じるので、街自体がまったくの無人という訳ではなさそうだ。
(街ですっ、街なのですよっ)
それにしても、北汰分宿に入ってから雪音の様子がおかしい。
何というか。妙にべったりと、引っ付いてくるのだ。
我らは浮いているので、足が絡んで転ぶ事はまず無いのだが……、ともかく引っ付き過ぎである。さすがに恥ずかしいぞ。
(どうしてなのです? わたし達は夫婦なのですよ? こんな時こそ、わたし達の仲の良い所を、思いっきり主張すべきなのですっ)
言ってる意味もその思惑もよく分からんが、とにかく公衆の面前で見せ付けたい【イチャつきたい】のは理解した。なればこそ、無理にでも引きはがしたい所ではあるが、それをすれば雪音が駄々をこねて面倒な事になりそうだし、いかんせん……。
本当に、頭が悪くて子供っぽい女房を持つと、いろいろと苦労させられるな。
(ふみゅぅ……、頭の悪いお兄さまを持つと苦労させられるのですよぉ……。女の子になってみれば、わたしの気持ちも、少しはお分かりになると、思うのですけどぉ?)
うむ、却下であるぞ。女子になるのは、まっぴら御免だ。
(別に、いいのです……)
溜め息を吐いた雪音が、さらにぎゅっと左腕を締め付けてくる。
幸い、人通りも無いし、しばらくはこのままで良いか。
しかしながら、我らの目的である口入屋の看板は、一軒も見当たらないな。
やがて、北汰分宿の中央と思われる地点に差し掛かった。
右手西側に、青地に白抜きの“三ツ鱗”紋が染め上げられた幟が、何本も立っている立派な門構えの屋敷。幟の青地はこの寒路国【県】を統治する寒河家を表し、紋所は鶴城幕府および冬将軍のモノであるから、まずもって代官所で間違いないだろう。
次に、左手東側と前方には、相変わらずの真っ白で平坦な大通りが続く。ここは要するに、道が丁字になっただけの、少し広まった場所である。
そんな広場のど真ん中に高札が三本ほど立っており、それを囲うように四本の大きな松が植えられている。どうやら、こちら側には何も書かれていないようなので、おそらく正面は南側へ向けられているのだろう。
高札とは、法令などを一般庶民へ周知させる為に掲げられた立て札である。
では、表側に回るとしようか。
『凰平二年、一月三十日、水曜日』
真ん中に位置する高札には、そのように記された紙が、画鋲によって貼り付けられていた。ちなみに、今は何も書かれていない残り二本の高札は、為政者が重要事項を告知する為に使われるはずだ。
あと、雪に埋もれて分かりづらいが、三本の高札の下には石造りの日時計らしき物が設置されている。
要するにここは、暦を知らしめるのが主目的の場所であり、街の中央広場のほとんどが、これと同様の造りになっている。
宸世において、暦書【カレンダー】は非常に貴重な物で、一般には出回っていない。こうした広場に赴いて曜日を確認するのが、街に住む人々の習慣なのだと聞いた事がある。
(凰平二年、なのですね)
宸世の暦を管理しているのは、朝廷である。曜日は日月火水木金土の七つ有り、一月は三十日有り、年号は皇尊の譲位によって代わる。凰平二年というのはすなわち、最近をもって皇尊の御代が替わった事になる。
――その時、
「ちょっとぉーっ、花梨ーっ、気を付けて行きなさいよぉーっ、西の山は霧が掛かってて、危ないからぁーっ」
突如として、雪音とは別の女子の声が耳に入ってきたので、思わず右後方へ振り向いた。
高札を見ていた吾輩は今、北を向いているので、つまりは南東から聞こえてきた訳か。
そんな角地に建てられた比較的大きな屋敷から出てきたのは、背中に黒い翼を生やした、おかっぱ頭の女子だった。
「分かったってばー、もぉ、沙羅ってば、心配性なんだからぁ」
その屋敷は、『聞屋』と記された看板が出入口に掲げられており、またもや黒い翼を持った女子が、中から出てきた。二人とも、上半身はふっくらした防寒着を纏っているが、足は丸出しで一本歯の高下駄を履いている。
「行ってくるよぉー」
「気を付けてねーっ」
花梨と呼ばれた、おかっぱ頭の女子は、一本歯の高下駄を脱いで左手で抱え、黒い翼を広げた。
続いて、雪の上を裸足で駆けて助走をつけ、離陸する。そのまま、風を掴む為にしばらく上空を旋回していたが、やがて見えなくなってしまった。
「なんかぁ……、あの霧って、ヤな予感するんだよぉ……」
見送った方の、後ろ髪を二つ【ツインテール】に束ねた沙羅という名前らしい女子が、西の山々を見ながら物憂げな表情を浮かべていた。
ふむ……、あの二人は烏天狗というもののふの女子であるな。
奴ら天狗族は、大空を高速で飛び回れる唯一無二の能力を活かし、聞屋【情報屋】という商売を宸世全土に展開している。
(あっ、あのっ、お兄さまっ、あれっ、あれを見てっ、見て下さいよっ)
いきなり、興奮した口調でまくし立てる雪音。
いったい何を見れば良いの……だ……。なっ、なぬうっ?
何だっ、あれはっ?
(すっ、すごいっ、すごいのですよっ、あんなに短いなんてっ、今の子って、なんて大胆なんですかっ)
吾輩が目の当たりにしたのは、屋根の上で雪下ろしの作業をしている一人の雪女。いや、あれは雪ん子だ。問題なのは、あの子が履いている薄茶色の女袴【プリーツスカート】の裾である。なんと、膝上六寸【約18センチ】以上の、あまりにも短いっ、あっ、あれだ。いろいろとまずい所が、今にも見え……っ、見えてしまうっ。実に、けしからん。けしからんぞっ。
(あの……、お兄さま……?)
いったい何だというのだ。今はそれどころではないのだ。うむ、もう少しだ。もう少しで見えるな。まったくもってけしからんので、この目でしっかと焼き付けてやろうぞ。
(あのぉ……)
えぇい、うるさいっ。何度も言わせるでないっ、よし、見え……っ。
「なんだ………………、と……ぅ」
だがしかし……、女袴【プリーツスカート】の中から見えた予想外の光景に、吾輩は思わず驚きと落胆が混じった微妙な声を上げてしまった。
「あれは……、褌……、なのか……、女子が……、か?」
確かに、もっこ褌【ひもパン】という、女子用の褌があるのは知っていたが、まさか、あんな年端も行かない雪ん子が、白いもっこ褌【ひもパン】を履いているなんて、夢にも思わなかったぞ。
(女の子は、わたしのように、何も履いてないのが、普通ですもんね?)
そうである。
褌は、男子なら誰しも履いている、男子ならではの布であるのだ。
女子が褌を身に着けるなぞ言語道断である。いったい、どういう事なのか。
(それでお兄さまはあんな年端も行かない雪ん子のあられもないお股を眼に焼き付けたかったのですね? わたし以外の年端も行かない女の子のお股に期待したのですね? それって浮気ではないのですか? お兄さまの浮気者ぉー、助平ぇー、変態ぃー)
早口で何やら宣っている雪音だが、どことなく棒読みなので、本気で怒っている訳ではなさそうだ。吾輩のような氷人は、相方である雪女以外の女子のあられもない姿をいくら見たとしても、まったく興奮しないので安心しているのであろう。
(ふみゅぅ……、ふしだらなお兄さまは、あとでお仕置きなのです。でわでわ、口入屋も見つけましたし、行きましょうか?)
ほぅ……、いつの間に見つけていたのだ。
(ほらほらぁ、お兄さまが夢中で見ているあの子の下に?)
先ほどから、白いもっこ褌【ひもパン】を惜し気もなく晒しながら、屋根の雪下ろしをしている雪ん子。その建物に『よろず屋』と達筆で記された看板が、あった。
だが、いくら万屋であっても、さすがに口入屋まではやっていないとは、思うのだが……。
(もっと下を見るのですよ、暖簾にあるでしょ?)
ふむ……、なるほど。
建物には入り口が二つあり、片方の暖簾には、確かに『口入れ』の文字があった。
【 】内は現代語訳と省略用語、“ ”内は強調単語、重要固有名詞であるもののけともののふの表記は、ひらがなと混じっても読めるようにする為、『 』内は紙などの媒体に記されている文字を表し、( )内は口に出さないセリフ、つまり心の声です。




