三話:雪崩れなど、どうという事はない。
吾輩は、冬将軍である。
原因は不明だが、永き眠りから目覚めた吾輩に、来客が二人。
彼者らは近くに住む村人で、長老に会って欲しいと懇願される。
快諾した吾輩は、彼者らに先導され、洞窟を出て久方ぶりである外界の空気に触れるのであった。
さてはて、どうなる事やら――。
洞窟の入り口に立つのは、氷で出来た鳥居。だが、それよりも目を惹くのは、雪だるまであろうか。
本来の神社ならば――、狛犬が置かれているはずの台座に、その雪だるまが二体、乗っかっているのだ。
何とも面妖だが、北の最果てならではの光景なのか――な。
――雪山の歩行は、非常に難儀そうだった。
真っ白い急斜面を横切るように、体勢を保ちながら一歩ずつ踏み出してゆく。
体格の良い二人のそんな様子を、吾輩はぷかりぷかりと浮きながら観察していたのだが、なかなかどうして、慣れているようではあったが、やはり一苦労な様子――。
目指しているのは山と山の間、すなわち谷の奥のようだ。
一見すると、何もないように思える――が、
まぁ、行けば分かるだろう――。
吾輩はふと――、空を仰いでみる。
空はどんより曇っていたが、日の高さから午前中だという事が分かった。おそらくは辰の刻【約七時から約九時】であろうか。
ちなみに――、宸世の時刻法は十二時辰を採用している。一日を十二に分け、それぞれ干支を振り分け、二時間ずつに区切ったものである。
あと、一時間ずつ初刻と正刻という呼び方もある。例を言えば、辰の初刻【約七時】に、辰の正刻【約八時】と言った所か。
――しかし、何となくだが、違和感がある。
今は冬、蝦夷松などの針葉樹林を含め、普通なら厚く白い雪に覆われているはずなのだが――、それら樹木の上はくっきりと深い緑、その向こうの雪山では岩肌がところどころに見える。
つまりは、枝葉の雪はごっそり落ち、黒い岩肌は雪が滑り落ちた後――と。
ふうむ、これは――、やはり――。
「うおっ、また地震だっ」
「えぇい、揺れは小さいぞっ、大丈夫だっ」
吾輩の身体は浮いている故に揺れなどは感じぬが、確かに雪が落ちたり崩れたりする不気味な音が聞こえてきた。
だが――、
吾輩達が居る急斜面の上から響いてくるのは――、
これは――、何というか――、いささか――、まずい音ではなかろうか。
「うわああああああっ、まずいっ、まずいぞおおおおおおっ、大雪崩れだああああああっ」
「逃げろおおおおおおっ」
――とは言った二人であるが、かんじき履きでは上手く走れない。
誰の目から見ても、間に合わないのは明らかである。
「うああああああっ、誰かああああああっ、助けてくれええええええっ」
「もお、だめだああああああっ」
大自然の驚異の前には、人間など甚だ無力。
いくら足掻いても無駄な事だ。
だがしかし――、
このまま見捨てる訳にもいくまい。
吾輩の力、しっかと眼に焼き付けるが良いぞ。
雪崩れのやってくる方向へ、二人の前に降り立った吾輩は、両手を大きく広げる。白い狩衣の袖がばさりと翻り、さながら鶴のようにも見えるだろうな。
「ここは、吾輩に任せよ」
そのまま腰を落とし、力を入れて踏ん張る。吾輩の周りから一陣の風が吹き散らされ、毛沓【鹿や猪などの皮で出来た靴】が、ずぶりと雪に沈んだ。
次に、口を大きく開いて深呼吸――、いや冷気を取り込むのだ。
「むううううううっ」
腹の底から声にならない音を出し、吾輩は身体中に力をめぐらせる。
この程度の雪崩れ、二つに割ればやり過ごせるであろう。
「ゆくぞっ」
広げた両手を閉じて手刀の形を成し、するどく前方へ突き出す。
「はっ!」
裂帛の気合いと共に、吾輩の手刀からすさまじい寒波が、前方へと放たれた。
同時にその余波で、周りに積もった雪も少しばかり舞い上がる。
――すると、
「あ……っ、あれ?」
「おぉう、おれ達、助かったのか……?」
真っ二つに割れ、自分達を避けるように流れてゆく雪崩れ。
それを見て――、二人は――、呆然とつぶやいたのだった。