二十三話:そろそろ本気出す。
吾輩は、冬将軍である。
果てしない旅に出た吾輩達。
ついに、針葉樹林の奥に潜む凶悪な人殺しと対峙する。
筋肉質な細身の男に、華狐と呼ばれたキツネのもののけの二人。
そうして、男と華狐は同化してもののふと成り、正三位無官大夫・黒瀬 寒十郎と名乗りを上げた。
まずは、華狐の精神が表出したもののふとの闘いが始まる。奴は、無手による格闘術を得意としており、不意を衝かれた吾輩は久方ぶりに一撃を入れられてしまった。だが、吾輩が太刀を手にした途端、闘いの趨勢は変わり、こちらが有利になる。
そこで、寒十郎の精神に交代した奴が、ついに“業物”であろう太刀を抜き放つ。しかも評門派凍越流太刀術の使い手であり、吾輩と同門であった。
かくして、互いに太刀を振るい合う、命を賭けた戦いが始まる。格上の得物【武器】を相手に、防戦を強いられる吾輩。そんな中、奴らの本命が、隠れ里の長である北峨谷 虎次郎だという事が明らかになった。
戦いに飽きてきたのか、寒十郎は一気に決着を付けようと、最大の技である業火三日月を繰り出して来た。それに対して吾輩は、基本の防御技でやり過ごそうとする。
うぅむ、何故に、こんな苦しい戦い方をしているのだろうか。
何とか、無傷にて、凌ぐ事ができたらしい。
向こうは全身全霊の奥義を放ったようなので追撃は無いとは思うが、一応、間合いを離しておいた。辺りは白い水蒸気に覆われ、何も見えない。
(準備運動とか言って油断してるから、こうなるのです……)
そんな時、我が女房である雪音から、痛烈な突っ込みが入った。
(どうして男の人って、戦いにこう、何というのですか? えっと、その、理想ってゆうんですか? むしろ、楽しんでませんか?)
嗚呼、女子には分からんだろうな。正々堂々、互いの磨いてきた武術を全力で出し切り、勝利する。そんな命のやり取りの中で生まれる、興奮と高揚。それは、他に例えようもない――、
(相手は、かわいそうなぐらい全力ですけど、お兄さまは変に手加減しているだけなのです)
やかましっ。
(別に、わたしが終わらせてもいいのですよ?)
確かに、雪音に任せれば簡単だ。圧倒的な冷気で奴を氷漬けにして、おしまいである。
だがしかし、身体が鈍ったまま旅を続けて行く中で、果たして、いざという時に動けるだろうか。
答えは否である。
今の内に身体をほぐして、かつての動きを取り戻しておきたいのだ。
(はいはい、もう、お兄さまの好きにすれば良いのです)
なんか、呆れられてしまった。
まぁ、気にしても仕方がない。目の前に集中するとしよう。
そろそろ、視界が晴れてくる頃合いだろうからな。
「むはあーっ、はあっはあーっ、はっはっはっはあーっっ、俺に逆らうからっ、こうーっ、なるんだよおおおおおおっっ」
ふむ……。
業火三日月とやらの衝撃が大きすぎて、細かな手応えが分からなかったと見える。
まさか、吾輩が傷一つ負ってないとは、夢にも思っていないだろうな。
「どうなるのか、聞かせてもらおうか?」
いつまでもウザったいので、白い蒸気を寒波で吹き散らした吾輩。その無傷の姿を目の当たりにした奴の顔色が、変わる。
「な……っ、なんだと…………っ、てっ、てめぇっ、なっ、なんで……っっ」
あまりにも動揺し過ぎて、上手く言葉にできないようだ。それもそのはず。先ほどの業火三日月は、まさに紛れもなく、奴の繰り出せる最大の切り札というべき技。並みの相手なら、為す術も無く、消し飛んでいただろう。
「何故と言われてもな……、普通に刃森で凌いだが?」
それが事もあろうか。基本の技である“刃森”で完全に防がれてしまったのだ。普通では有り得ない事象を前に、奴の思考はさぞかし混乱していると、思われる。
「ああっ、ああああああっっ、有り得ねぇっっ、そうだっ、まぐれだっ、そうに決まっているっっ、もう一度ぉ、やってやるぜええええええっっっ」
とりあえず、奴の頭の中では、偶然の一言で片付けられたようだ。しかし、また業火三日月とやらが来るのか。さすがに面倒臭いし、付き合ってられんな。
次の準備運動に、さっそく取り掛かるとしよう。
「はッ」
鋭くも短い声を発した吾輩の足下を中心にして、白い波紋が広がってゆく。
やがて、波紋が遠くへ広がりきって見えなくなった時、ピシッと音を立てながら辺りの地面が一気に凍結し、氷原と成った。
頃合いを見計らって軽く跳んでいた吾輩は、その氷上に着地する。
「なんだぁ?」
それと同時に、吾輩の能力によって造られた氷原は、辺りの木々はもちろん、奴の足も一緒くたに凍らせてしまったのである。
「むははははははっ、よっぽど業火三日月が怖いらしいなっっ、だがなぁ、こんなチンケな術じゃあ、俺は止まんねぇよおおおおおおおおおおおおっっっ」
両手を折り曲げて、いちいち力こぶを作った奴が、気合いの音声と共に足下から炎を出し、氷を強引に割りながら歩を進める。
「むはあーっ、残念っ、アテが外れたなああああああっっっ」
奴は、再び大上段に構え、先ほどと同じように、業火三日月を放つ為の動作に入った。暑苦しい炎が燃え盛る。
なれど、奴は、大きな勘違いをしている。足止めの為に凍らせたのではないのだ。
「どこを見ている?」
「なっ……」
至近距離で声をかけてみた吾輩。
案の定、驚愕に顔を歪めた奴は、右後ろを振り向く。しかし、そこに吾輩は、もういない。
「遅いな……」
続いて奴は、吾輩が先ほどまで居て声を発した左後ろへ、首を回した。だが、もはや、誰もいないであろうな。
「てめええええええぇぇっ、どこに隠れやがったああああああっっっ」
奴は憤怒に満ちた形相で地団駄を踏み、凍結した地面を無駄に割ってゆく。
「別に、逃げも隠れもしてないが?」
吾輩はそう言いながら、奴の目前に現れてやる。
「なっ、舐めんなああああああああああああぁぁぁっっっ」
怒声を上げた奴の、大上段からの鋭い突き下ろし、さらに激しい炎付き。だが、すでに遅過ぎる。そこに吾輩の姿は無いのである。
「やれやれ……、暑苦しいな……」
少し離れた位置に現れた吾輩は、左手の袖で扇いで見せ、奴を挑発する。
まぁ、何が起こったのかと言えば、ただ単に、目にも映らぬ速さで移動していただけである。
吾輩のような“氷人”というもののふで、しかも強大な力を持つ一握りの者だけが使える“雪歩”と呼ばれる能力が、その正体である。語源としては刹那の歩き、すなわち“刹歩”とも書かれ、文字通り刹那【0.013秒】の間、雪上や氷上に限られるが、そこから目に映る半径一里【約4キロメートル】の範囲であるならば、どこへでも移動できるのだ。
「ざけんじゃねえええぇぇぇぞおおおおおおぉぉぉっっっ」
怒鳴れば良いものでもあるまいに、もはや頭に血が上って手が付けられなくなったようだ。
奴は、凍結した地面に“村殺太刀”とやらを突き刺して両手を高らかに上げると、小さい火の玉を生み出す。その数、三十は超えるか。
続いて、奴が勢いよく両手を前へ振り下ろした直後、頭上にあった火の玉が雨となって、吾輩めがけて降り注がれるのであった。
立て続けに吠える轟音と、砕け散る赤い光。
無論、すでに吾輩は“雪歩”を使って、奴の後ろに回り込んだ後であるがな。
「むはあーっ、はーっ、はっはっはっはあーっっ、ざまあああぁぁぁねえええぇぇぇなあああぁぁぁ、跡形も無く消し飛びやがったぜええええええぇぇぇっっっ」
先ほどまで吾輩の立っていた場所は、白い湯気に覆われて何も見えない。奴は、そこに向かって罵声と馬鹿笑いを浴びせているのだが、その姿は実に滑稽だった。
「ふぅ……、無駄に氷を割って、そんなに楽しいのか?」
火の玉が残らず降り注ぎ、白い湯気が消えかかった頃合いで、背後から声をかける吾輩。たちまち奴の顔が、驚きと怒りに歪んでゆく。
「てっ、てめええええええええええええぇぇぇっっっ、いっ、いつの間にっ、そんな所にっ、逃げやがったんだああああああああああああぁぁぁっっっ」
さすがに恐怖を覚えたのか、怒鳴り散らしながらも後退りする奴。
ふむ、これぐらいで良かろうな。
さてと、次の段階へ移るとしようか。
宸世最強と謳われた奥義を、今の状態でどこまで放てるかを。
「では……、今度は、こちらの奥義を使わせてもらおう……」
吾輩は静かに、太刀を鞘に納めた。
右足を前に踏み出し、左半身を後ろへ持ってゆき、腰を落とす。
右袖で太刀の柄を覆い隠した後、左手で鞘の鯉口を握る。
鞘は帯に吊るしてあるので限界はあるが、鞘引きする為に出来るだけ前へ押し出す。
以上を以って、構えを完成とする。
「むはっ、なんだぁ、その変な構えは?」
奴が見た事が無いのも、当然であろう。
いくら同門でも、秘中の秘とされている早霧【抜刀術】の存在を知るのは、ごくわずかであるからな。
「評門派、御冬流太刀術の構え・居合。刮目して見るが良い」
「なっっっ………………」
どうやら、流派の名前だけは聞き覚えがあったようだ。
奴の顔が驚愕に歪み、全身をブルブル振るわせている。
そう――、
この宸世において、最も喧嘩を売ってはいけない相手を罠に嵌めてしまったのだと、これから奴は骨の髄まで思い知る事になる、であろう。
【 】内は現代語訳と省略用語、目に映るなどや“ ”内は強調単語、重要固有名詞であるもののけともののふの表記は、ひらがなと混じっても読めるようにする為、( )内は口に出さないセリフ、つまり心の声です。




