二十一話:百二十年ぶりの決闘。
吾輩は、冬将軍である。
果てしない旅に出た吾輩達。
ついに、針葉樹林の奥に潜む凶悪な人殺しと対峙する。
筋肉質な細身の男に、華狐と呼ばれたキツネのもののけの二人。
奴らの口から出た言葉はあまりにも身勝手で、反吐が出るほどだった。
あと、すべてが罠であり、我らのような一定以上の実力者をおびき寄せるのが、目的であったようだ。
そうして、男と華狐は同化してもののふと成り、正三位無官大夫・黒瀬 寒十郎と名乗りを上げた。
正三位を得るほどの大火力が奴の頭上に集中してゆく。
一気に勝負を決するつもりか、吾輩が身構えたその時であった。
いきなり、火の玉が萎んでゆき、奴はこう言ったのだ。
「おぅおぅ、華狐がてめぇと遊びたいってよぅ。交代してやっから、有り難く思え」
ふむ。
華狐とは、奴と精神を同化させたキツネのもののけか。もっとも、その身体は今でも襟巻として、奴の首に巻き付いている。
もののふの名乗りで、奴は“正三位”と言っていた。件の官位を得るには、ある条件を満たす必要がある。それには、相方となるもののけとの深い絆が不可欠だ。例えば、兄弟姉妹だったり、夫婦だったり。
少なくとも奴らは、そうした縁で結ばれているのであろう。
「やっほぉー、華狐だよぅー、よっろしくぅー」
それを聞いた吾輩は思わず、吐き気をもよおしてくる。
なにせ、鍛え抜かれた筋肉を誇る細身の男子が、ナヨナヨしながら低い声で、前述の女子がよく使う台詞を言ってのけたのだ。絵面的に、すこぶる気持ち悪い。
されど、突如として奴がオカマになったのでは、決して無い。正真正銘、女ギツネの華狐とやらの精神が、奴の身体の主導権を握っているのだ。複数の心が一つの身体に納まったのが、我らもののふなのだから、そういった芸当も可能なのである。
「見た所、あんた“氷人”だよねぇー? 嫁、出してくんないかなぁー?」
そう、雪女と同化する事で氷漬けにされ、二度と戻れないもののふになった吾輩のような者は、“氷人”と一括りにされ、不可逆型もののふの分類【カテゴリー】に属している。
雪女との結婚が絶対条件なのは、誰でも知っている話であるからして、この華狐とやらの要望も、むべなるかな。女子同士で殺り合いたいのであろう。
「や、なのですっ」
うむ。
相変わらずの、ミもフタも無い、女房のお言葉であった。しかしながら、もう、吾輩の口から出てしまっているのだがな。
「なんでよぉー?」
「あなたが弱過ぎて、勝負にならないのです……」
嗚呼、女房の機嫌が極めて悪い。
当たり前と言えば、当たり前ではあるが、こうなってしまっては容赦無いだろうな。
「へぇー、言ってくれるじゃないのよぉー?」
怒りに呼応したかのように、奴の両手の入れ墨から、激しい炎が噴き出る。
これから繰り広げられるのは、男子の身体を借りた女子同士の熱い戦。
――のはず、だったが。
(あとは、お兄さまに任せるのです……)
「なぬうっっっ」
煽るだけ煽っておいて、引っ込んでしまった。
この女子、我が女房ながら、鬼かああああああ。
「あたしの強さぁー、思い知らして、やんよおおおおおおっっっ」
「待てっ、まだ準備ができ……っ」
最後まで言う暇も、あらばこそ。
筋肉質な細身がもたらす瞬発力で一気に距離を詰めた奴が、激しい炎に包まれた右の拳を繰り出すのが、見えた。
無手による格闘術か。
「喰ぅっっっ、らええええええっっっ」
吾輩の左手から、ズドンと重い衝撃が伝わる。奴の右拳を防御したからだ。
「まだぁー、まだまだまだまだまだまだああああああっっっ」
右からも炎の拳が迫り来る。続いて左、さらに右、最初の一撃目よりは随分と、その衝撃は軽くなったが、手数が増えてゆく。
「くっ……、ふっ……、おっ……」
だが、吾輩はことごとく、両手でそれらを捌き切った。無論、炎の熱も一切通さないよう、接触の瞬間に氷の防御結界を張っている。
拳の繰り出し方、足運び、動きの拍子【リズム】から察するに、女ギツネの我流である事は間違いない。だが、全体的にこなれており、充分、玄人の域に達しているだろう。
「これで、どうよおおおおおおっっっ」
「むっ……、なっっっ」
まさに、一瞬の隙が生じてしまった。
奴の脛毛が点火するという、あまりな光景を目の当たりにした吾輩の身体が、瞬時ではあったが固まったのだ。
そのまま、炎を纏った回し蹴りが吾輩の右肩に命中し、一陣の暴風が吹き散った。
「ぬおぅ……っっっ」
隙を見事に衝かれた吾輩は、その回し蹴りの勢いを相殺できるほどの、踏ん張れる体勢が整っていなかった。無論、氷の防御結界も張っていない。
「ぐはっ……」
案の定、吾輩の身体はものすごい勢いで吹き飛び、大木の幹に叩きつけられてしまったのだ。
「きゃはははははっ、見たかぁー、あたしの火拳と炎毛脚をっっっ」
火拳とやらはともかく、炎毛脚はいろいろと酷いな。まさか、脛毛を燃やしての回し蹴りとは、思いも寄らなかったぞ。
しかし、その見た目と低い声で、女子のような笑い方は止めて欲しいものである。
「むぅ………………」
立ち上がって、衣服に付いた埃を氷膜ごとパンパンと叩き落とした吾輩。炎毛脚とやらが当たった右肩部分が、黒く焼け焦げている。色合い的には黒に近い深緑の直垂【平民の普段着】ではあるが、さすがに目立ってしまうな。
吾輩は、どちらかというと、無手による格闘術は苦手としている。太刀さえ握れば、どんな相手だろうと必ず勝てるし、そうでなくても、圧倒的な“怪の力”を使った氷の呪術で、押し切る事ができるのだ。
「やれやれ………………」
奴らの“お遊び”に付き合い過ぎたかも知れん。
吾輩が一撃を入れられたのは、実に久方ぶりの事であろう。これも、百二十年の空白【ブランク】が影響しているのは確かだ。
ただ、身体を慣らしておくには、とても良い機会である。
「あららぁー、やぁーねぇー、男ってさぁー、敵わないって見ると、すぅーぐ、刃物抜くんだからさぁー、でもぉー、あたしには効かないよぉー?」
無言で太刀を抜いた吾輩を見て、華狐は馬鹿にしきった態度で囃し立てる。
「ふふっ、そうは言っても、刃物が怖いのであろう?」
改めて衣服に氷膜を張り直した吾輩は、右手だけで握った太刀を右下段、やや後ろ気味に持って行き、情けないへっぴり腰。如何にも素人風味な構えを見せる。
そうした然る後の、言葉であった。
想定通り、華狐が操る奴の顔が怒りに歪んで、真っ赤になってゆく。
「調子に乗ってんじゃないわよぉ、このクソガキがああああああっっっ」
両手に炎を灯しながら、奴が一気に跳んだ。
左手を前へ突き出し、火の玉を放ってくる。だが、これは牽制のはずだ。
吾輩は左前方へ踏み出し、半身をずらして、火の玉を避けた。続いて、右後方の太刀を右手だけで振り上げる。
「ちっく……っっ」
予想通り、火の玉に隠れて疾走し、今まさに炎の右拳を突き出そうとしていた奴の鼻先を、刃先が行き過ぎる。なれど、これは吾輩にとっての牽制。
奴の体勢が整った暇より早く、吾輩の左手と合流した太刀は、そのまま流れるが如く水平に弧を描く。
「なっ……、舐めんじゃあっっ、ないわっ……、きゃっ」
吾輩の、両手の力を込めた水平切りが、大きく宙空を裂いた。
「喰ぅっっっ」
一歩退いて難を逃れた奴は、ここぞとばかりに突進。今度こそ渾身の右拳を、吾輩にお見舞いするつもりであろう。
それに対して、右手を離した太刀を素早く返し、奴の目前でピタリと止める吾輩。左手で柄先を握り、最大限の間合い【リーチ】を制する構えだ。
「らええええええっっっ」
だがしかし、突進は止まらない。身体をひねって太刀先をかろうじて避けた奴は、不安定な体勢のまま、炎に包まれた拳を突き出してくる。
無論、それも想定の範疇である。
吾輩は、氷の防御結界を幾重も張った右手を広げて、迎え撃つ。
ズドドンと、重過ぎる衝撃が伝わってきた瞬間、吾輩の両足が地面にめり込む。
一息遅れて、周囲の地面から土埃が、噴煙のごとく舞い上がった。
そして、さらなる追撃は無い。奴の気配が後ろへ退いたからだ。
「むははははははっっ、面白れぇ、面白れぇぞおおおおおおっっ、三下ああああああっっ」
土煙が消え、視界がはっきりしたその時、だいぶ離れた位置から、奴の笑い声がこだまする。
この口調は華狐とやらの女子ではない。人間であった男子の方だ。
「まさか、同門とは思わなかったぜぇ?」
ほほぅ。
吾輩は素人っぽく動いていたつもりなのだが、見抜かれていたのか。
しかし、同門だと?
有り得ない話ではないが、まさか。
「評門派、凍越流太刀術。百人に一人の天才と言われた、俺の実力って奴を見せてやるぜぇ」
そう言った奴は、ついに“業物”であろう太刀を抜き放つのだった。
【 】内は現代語訳と省略用語、“ ”内は強調単語、重要固有名詞であるもののけともののふの表記は、ひらがなと混じっても読めるようにする為、( )内は口に出さないセリフ、つまり心の声です。




