二十話:もののふ。
まずは――、おさらいしよう。
気とは、理の力。森羅万象すべての根幹を成す素材であり、ありとあらゆる物体はこの“気”によって造られ、動いている。
それに対し、非理の力である“怪”が、この宸世では存在する。たいていは、未練を残して死んでいった魂が、此岸に留まろうとする強い念に応じて湧き起こる力である。しかし、いくら“怪の力”だけあっても、現世の理に干渉できない。
自前で理の力である“気”を産み出せず、さりとて、どうしても無念を晴らしたい亡者どもは、動植物の生気を啜ったり、器物などに憑依したり、実に様々な手段を用いて、他者から“気の力”を奪っていった。これが宸世におけるもののけの始まりだ。
非理にして限りの無い力である“怪”に、ほんの少しの“気”を混ぜる事で、現世に干渉できるようになったもののけの力は、理に縛られた人間なぞ取るに足らぬほど強大であった。
こうして、絶大な力を手に入れたもののけどもは、思うがままに暴れまくり、宸世全土を蹂躙してゆく。
だが、人間もただ手をこまねいて見ているだけでは無かった。その対抗となる、様々な手段を編み出してゆく。現在もよく使われている“呪術”などが、そうである。なれど、所詮は理に縛られた人間の技術であり、圧倒的な“怪の力”を誇るもののけに対しての決定打には成り得なかった。
そこで、追い詰められた人間は、毒を以って毒を制す方法を採る。
なんと、友好的なもののけと同化して、その強過ぎる力を敵対するもののけに向けようとする策であったのだ。
その試みは成功し、さらには相乗効果によって、予想をはるかに超える力を手に入れた。
もののけと同化した人間はもののふと呼ばれ、神に匹敵するほどの万夫不当の力を振るって、次々と敵対するもののけを屠ってゆく。そして、宸世に再び平穏が訪れた――かに見えた。
だがしかし、以前から度々あった人間同士の争いが、これによってとんでもない事態を引き起こす。
合戦の主役が、もののふ対もののふに移り変わり、たった一度ぶつかるだけで、辺りに甚大な被害をもたらす結果になってしまったのだ。
それでも、人間は戦いを止めなかった。かくして、戦国時代へと突入した宸世は、またたく間に荒れ果て、かつてない深刻な環境汚染に見舞われる。
やがて、群雄割拠だった勢力図は、最強の力を有する七人のもののふ――すなわち、七大君に絞られてきたが、宸世もまた、あらゆる意味で疲弊しきっていた。故に、七大君による不可侵協定が結ばれ、とりあえずの平和が訪れるのであった。
これが、眠りにつく前の吾輩が持っていた、もののふに関する知識である。
* * *
もののふとなった奴らが繰り出した熱波を、吾輩は寒波で迎え撃った。
双方とも“怪の力”による衝撃波なので、自然現象とは違った効果をもたらす。
すなわち、吾輩の前できれいに相殺され、辺りに何の影響も及ぼさなかったのである。
(ふみゅ……、何でもかんでも巻き込まないで欲しいのです。後ろの、わたしの身体が吹っ飛ばされたら、どうするんですか。まったく……)
実の所、種を明かせば、吾輩の中に居る雪音がやったのである。こやつの“絶壁”の異名は伊達ではない。元々、結氷神宮の巫女としての必修呪術である治癒術と防御結界術を使いこなすのはもちろん、ありとあらゆる呪術に干渉して打ち消すのもまた、得意としているのだ。
「へぇー、なかなかやるじゃねぇか……。俺の熱波をここまできれいに打ち消しやがったのは、てめぇが初めてだぜぇ」
奴の見た目も、だいぶ変わっていた。
舟形烏帽子【平民の烏帽子】は、さっきの熱波で吹っ飛んだのか。代わりに、キツネの耳がぴょこんと飛び出ている。髪は、その耳も含めて赤く染まり切っており、まさしく炎のようにゆらめく。
両手の肘を曲げて力こぶを作り、中腰にしゃがんで足の筋肉を躍動させ、己の強さを主張【アピール】しているのか。さらに、その後ろでは、これまた真っ赤に輝くキツネの尻尾が四つ、不気味にうごめいている。
「やぁやぁ……、我こそは、正三位無官大夫、黒瀬 寒十郎なり。もののふの字名は、四喪尾津死士なるぞ」
ついに――、もののふの名乗りを上げる時が、来てしまったか。
一万の軍勢にも勝るようなもののふ同士が相対した場合、戦場の作法に則って、お互いが名乗りを上げなければならない。これは、近くの味方に危険を知らせる意味もある。双方の激突によって、周囲に甚大な被害をもたらすからだ。
まず、官位と官職である。
吾輩の好敵手であった萩 孝明が成し遂げた、官位制度改革。元来、朝廷の貴族にのみ与えられていた官位ではあるが、彼奴はそれをもののふの為に利用する事にしたのだ。
上は正一位から、下は従六位まで。全部で十二階に分けられた官位を、それぞれの強さに応じたもののふに与えていった。これには、己の強さを名乗り上げの段階で相手に知らせ、無謀な戦を仕掛けられるのを阻止するという、狙いがある。事実、この制度が始まって後、もののふ同士の戦は激減している。
官職とは、朝廷で定められた役職で、それに就いているなら知らせねばならない。戦においての意味は特に無いが、元々の名乗り合いは、伝統格式の家柄を以って威儀を知らしめ、相手を委縮させる効能云々と、吾輩も言ってて意味が分からなくなったが、まぁ、そういう事だな。
あと、正三位の位を得ている実力者は、この鎮西【地方】でも三十人居るかどうかだ。宸世において、従三位以上を持つ者は殿上人とも呼ばれ、いろいろと重宝されている。
だが、そのような高い官位を得ておきながら、官職に就いていない意味である無官大夫というのは、何よりも束縛を嫌う業者【冒険者】に有りがちな事である。
次に、姓名や字名について。
姓とは家門氏族を指す名字であり、貴き血筋の者にしか名乗る事が許されないのは、宸世においても同じである。皇統に連なる家門は、真名【漢字】一文字の姓。それ以外は、真名【漢字】二文字もしくは三文字の姓と、決められている。
対して、諱【下の名前】についての制限は、一切無かったりする。古代では、忌み名とも云われ、本名を口に出すのは禁句【タブー】とされていたらしいが、現在の宸世においては、そのような決まり事は残っていない。普通に、どんな身分の誰からでも、本名を呼び合えるのだ。
続いての字名であるが、あだ名とも呼ばれているこれは、人間がもののけと同化してもののふになった状態での、通り名というか異名みたいなものだ。故に、どのような能力を使って戦うかを関連付けた名前である事が多い。
まとめとして――、
姓を黒瀬。名を寒十郎。もののふの字名は四喪尾津死士と、奴は名乗りを上げた。
黒瀬という家門にはまったく聞き覚えが無いので、少なくとも名門ではない。寒十郎の名は、おそらく十男を表している。字名の四喪尾津死士は、尾を省略気味に声を出していたので、黄泉【死者の国】からの使士とキツネの四ツ尾を、無理矢理当てて合わせたのであろう。まるで破落戸のような名付け【ネーミングセンス】である。
以上の事から分かり得るのは、“狐火使い”または“狐尾使い”と大きく括られた可逆型もののふの分類【カテゴリー】に属し、見た目通りの四ツ尾。不吉で物騒な真名【漢字】の羅列は、己の悪逆非道な所業を知らしめる為のものか。いずれにせよ、真っ当な精神は持ち合わせてはいないようだ。
さて――、素性を明かすのはいささか本意ではないが、作法は作法である。こちらだけが名乗らぬ訳にもいくまい。
「やぁやぁ……」
「おっとぉ、てめぇの名乗りはいらねぇぜ。これからブッ殺される三下の事なんざぁ、聞いてもしょうがねぇだろ?」
「ほ? ほぅ……?」
まさかの展開に一瞬、思考停止してしまった吾輩。
とりあえずは、素性を明かさずに済んだのは、僥倖であろう。
されど、三下という言葉は確か、正三位も含めた格下という意味であったはず。吾輩が眠っていた百二十年の間に、その意味も微妙に変わってしまったのか。
「だから、一気に決めてやっからよぉ、覚悟しなぁっっっ」
寒十郎とやらの、殺気を湛えた双眸が赤く輝き、桁違いの“怪の力”が熱気となって舞い上がる。初手から全力を振り絞って、圧倒するつもりか。
奴が、天高く両手を突き上げた。
その赤い入れ墨から激しい炎が噴き出し、巨大な火の玉が形成されてゆく。
やはり、あの赤い入れ墨の正体は、華狐とかいうキツネの血であろうな。人間の身体にもののけの一部を移植し、威力を倍増させる手法は昔から頻繁に用いられてきたのだ。
それにしても、尋常ならざる“怪の力”を持った火の玉である。その威力は、先ほどの熱波の比では無いだろう。ここら一帯を丸ごと吹き飛ばす気か。
「ふぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぅぅぅ……、ああ?」
だがしかし、奴が、いきなり気の抜けた声を出したかと思えば、みるみる内に“怪の力”が萎んでいった。いったいどうしたというのだ。
「おぅおぅ、華狐がてめぇと遊びたいってよぅ。交代してやっから、有り難く思え」
【 】内は現代語訳と省略用語、“ ”内は強調単語、重要固有名詞であるもののけともののふの表記は、ひらがなと混じっても読めるようにする為、( )内は口に出さないセリフ、つまり心の声です。




