十九話:殺人鬼の罠。
吾輩は、冬将軍である。
果てしない旅に出た吾輩達。
針葉樹林の入り口で襲い掛かってきた幽霊を、一刀の下に切り捨てる。
直後に気配を探ると、さらに凶悪な人殺しが針葉樹林の奥に潜んでいるのが分かった。このまま放ってはおけない。すぐさま成敗すべきである。
目を覚ました我が女房の雪音と、その是非について多少の口論にはなるが、何とか我が手で討ち果たす方向でまとまった。
敵の気配は、まるで待ち構えているかのように動かない。それとも、我らが近付きつつある事に気付いていないのか。
いよいよ、距離が縮まってきた。悪逆非道の人殺しとの、御対面の時は近い。
――そこからはまるで、春のような気温だった。
間違いなく屋外ではあるのだが、妙に暖かい。
そのせいか、地面の雪が解けて赤茶色の土が剥き出しになっている。
故に、これ以上、浮きながら進む事が出来なくなってしまった。
我らの身体は、雪上か氷上でないと、浮かせられない仕組みであるからだ。
「ふみゅう、困ったのです………………」
そう、雪音が地面に足を付けて歩けば、派手で長すぎる紅い着物の裾を引きずってしまうのだ。まったく好みではない着物とはいえ、台無しにするのはさすがに気が引ける。
「うぅむ………………」
方法は、いくつかある。
その中で最も手っ取り早いのは、寒波で地面を凍らせ、そのまま進む事である。
ただし、敵を必要以上に警戒させてしまい、逃げの一手でも打たれれば元も子もない。
「いっそ……」
雪音の身体ごと、ここに置いて行こうか。
上質な雪で出来たせっかくの肌も、傷つけたくはない。いくら雪音が“絶壁”の異名を持ち、小さな傷一つ付けるのすら、至難の業と云われていても――だ。
「そうするしか、ないのです………………」
渋々に了承した雪音は、適当な木の根に、軽い体重を預けて横たわる。
そうして吾輩が、上から被さって口付けし、雪音の魂を我が身体の中へ取り込んだ。
(さ、とっとと行くのですよ)
脳裏に、雪音の愛らしい鈴のような声が響く。我ら二つの魂は、再び一つの身体に納まったのだ。
「征くぞ……」
上質な雪の人形となった女房の身体を尻目に、両の足を地に付けた吾輩は歩き出す。
* * *
まず――、目に入ったのは、煙の出ていない不思議な焚火。
明らかに“怪の力”を用いた物で、おそらくはこの暖かさの根源であろう。
次に――、そんな焚火の傍らで座り込む、人間の姿。
舟形烏帽子【平民の烏帽子】から漏れ出たボサボサな黒髪に、キツネの襟巻を首に巻いた、細身の男である。
最後に――、木と藁で組まれた質素な小屋が、奥にある。
奴らは、ここで暮らしているのだろうか。
「よぅ……、待ちくたびれたぜぃ」
吾輩の姿を見た男は、あっけらかんと言い放つ。
その口ぶりから、やはり我らの事はお見通しで、悠然と待ち構えていたようだ。それとも、あの幽霊自体が釣り餌であり、そもそもすべてが罠だったのか。
「うおっしゃあっっっ」
歳の頃は、二十歳過ぎたぐらいか。
気合いの音声と共に、勢いをつけて立ち上がった男は、肩や首をコキコキ鳴らす。
奴の着ている紅色の直垂【平民の普段着】は、肩口の方から袖が破られており、露出した両手に赤い入れ墨が目立つ。その入れ墨の絵柄は、激しく燃え盛る炎である。
袴も太腿の辺りから破かれ、脛毛の生えた筋肉質の、見た目にも汚そうな足が丸見えだ。さらには、草履などの履物を着けておらず、裸足であった。
あと、奴が腰にぶら下げている太刀から、ただならぬ“怪配”をビシビシ感じる。おそらくは“業物”であろう。だとすれば、業者【冒険者】である可能性は高いと言えるが、それにしては悪辣過ぎるやり口だ。
「きゃはっ、あいつ、手応えなさそぉー」
雪音とはまた違う、耳障りなほど甲高い女子の声が突然、奴の襟巻から聞こえてきた。思った通り、キツネのもののけであったようだ。
「どうにも、俺らの本命じゃねぇみてぇだが……、ここまで来れたって事は、それなりには楽しめるんじゃねぇか?」
男は、後頭部をボリボリ掻きながら、見下した視線を向けてくる。
世間知らずの生意気な少年に見られる事が多かった吾輩の第一印象だが、目の前に立つこの男も例に漏れなかったようだ。
完全に舐められているようだが、むしろ都合が良い。
「ちと尋ねるが、よろしいか?」
「おぅ、何だ? 言ってみろ」
「向こうの方で、旅の商人に出会ったのだが……」
吾輩がこれまでの経緯を、かいつまんで話してゆく。
だが、この男は終始ニヤニヤしており、旅の商人がキツネ面を被った者に刺されて幽霊になったと言っても、余裕の表情を崩さなかった。
「へぇー、キツネ面ってのは、これの事かぁ?」
ニヤリと会心の笑みを漏らす男が、その懐から出したのは紛れも無い、キツネのお面である。
「きゃははっ、そうよぉー、あたし達が殺ったんだよねぇー、ザックザクザックザク、快感だったわぁー、くせになりそぉー?」
「刃が深々と刺さるあの感触、たまんねぇよなぁ?」
「あいつの言葉も最高だったわよぉー、僕は死にたくない、死にたくないんです、何ならお金でも商品でも全部差し上げますから、どうか助けて下さいってさぁー、もう最っ高にウケるんですけどぉー?」
「おぅおぅ、最期まで泣きっ面で、助けて下さいって言ってたよな。男の癖に情けねぇ奴だったぜぇ」
「そぉそぉー、傑作だったわよねぇー、おしっこ漏らしてたし、恥っずかしぃー」
なかなかに好き放題言って、奴らは盛り上がっている。その物言いに、さすがの吾輩も怒りが込み上げてきた。己が快楽の為に人を殺したなどとは、言語道断である。
(ひっ……、ひどすぎ……っ、ひどすぎるのです………………っっ)
雪音も、あまりの酷さと醜さに、絶句している。
それに、いつしか日の光は途切れ、辺りは暗くなり、吹雪き始めている。
吾輩達の隠し切れない怒りに、天気が呼応しているのだ。
「何故に……?」
だが、至って冷静に、質問を投げかける吾輩。
こういう命を賭けたやり取りでは、どれだけ相手より冷静でいられるかが肝要。それが勝敗を分ける鍵であるからだ。
「きゃはははっ、あったま悪ぅーい、まぁーだ、気付いてないのぉー?」
「しょうがねぇから教えてやっか。ありゃあ、本命を釣る為の餌だ。てめぇは、まんまと釣られたんだぜぇ?」
やはり、すべてが罠であったか。
幽霊を見つけ出して話せるほどの実力者は、この鎮西【地方】でも百人居るかどうかである。
奴らはこれまでも、何の罪も無い弱者を弄って殺しては、こうした方法で猛者をおびき寄せていたのだろう。ますますもって、許し難いな。
「まっ、捕方【刑事】の真似事をしたのが、命取りになっちまったって事だぜぇ」
「ほほぅ……、それにしても良いのか? そのお面を被らなくても?」
吾輩は、男が持つキツネ面を指しながら、挑発し返してみる。もちろん、生意気な表情を意識して作ったつもりだ。
「ああ? 安心しなぁ。てめぇは魂ごとブッ殺すからよぅ。あの世にも行けねぇんだ。残念だったなぁ」
「きゃははははっ、検非違使なんかにチクらせるようなヘマなんて、あたし達がするわけないじゃないのよぉ。ばっかじゃないのぉー?」
罠と聞いた時点でそうだろうとは思っていたが、奴らもまた、死者の魂を消す術を持っているようだ。これはいよいよ、捨て置く訳にはいかんな。
「ほほほぅ………………。しかし、そなたらも間が抜けているというか、無謀というか、馬鹿というか、まったくもって理解し難いのは、己よりもはるかに強い者が釣れたら、どうするつもりなのかと、問うてみたいものだ?」
ここで最大級の挑発をかました吾輩。こんな見た目の生意気な若僧に言われたら、たいていは怒り狂うような台詞だ。
「ちょっとぉー、何こいつぅー、すっごいムカつくんですけどぉー?」
「むははははははははっ、面白れぇ……っ、面白れぇぞ、てめぇっ」
襟巻ギツネは思惑通りだが、男の反応は少し意外だった。
「おぅおぅ、華狐よぅ。俺らより強ぇ奴なんざいねぇって事を、こいつにたっぷりと思い知らせてやろうぜぇ」
「あいよぉー」
華狐と呼ばれた襟巻ギツネが、鍛え抜かれた筋肉を誇る細身男の、唇を奪った。
奴らがねっとりと嫌らしい口付けをしている最中、男の黒髪が紅く染まってゆき、両手の炎が描かれた入れ墨も揺らめき始めた。
奴らは、人間ともののけの同化。すなわち、もののふになったのだ。
「ふぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ」
次の瞬間――、桁違いに高まった奴らの“怪の力”が、熱波となって爆散した。
【 】内は現代語訳と省略用語、キツネのなどや“ ”内は強調単語、重要固有名詞であるもののけともののふの表記は、ひらがなと混じっても読めるようにする為、( )内は口に出さないセリフ、つまり心の声です。