十四話:守り神の分身。
吾輩は、冬将軍である。
永き眠りから目覚めた吾輩は、近くにある隠れ里の長老に呼ばれて出向き、話をする。
そして、三日間は誰も入ってはならぬと長老に申し伝えた上で、吾輩は眠っていた場所に戻り、雪だるまから女房の身体を作った。
その身体を堪能して満足しきった時に、女房から旅に出ましょうと提案され、結局はそうする事になった。
再び、長老の家を訪れた吾輩達は、旅に出る旨を長老達に告げ、隠れ里の役目を解く正式な通達を言い渡した。それから、現在の宸世はどのような状況なのかと尋ねれば、名の知れた業者【冒険者】である虎次郎が、いろいろと教えてくれるのだった。
冬将軍であるという正体を隠す為、里にあった衣服に着替えた吾輩達。いろいろと不満はあったが、ここで言っても仕方がない。とりあえずは、近くの街の呉服屋を目指し、そこで気に入った着物を買うべきであろう。
そんな折、是非とも渡したい物があると、長老から告げられた吾輩達は、彼者の先導によって隠れ里の奥へと進んでいるのだった。
「さて、着きましたぞ」
そこは、隠れ里の最奥に位置する切り立った崖だが、きれいに掘られた洞窟の入り口には、氷で出来た鳥居と二体の雪だるまがあり――、
まるで、吾輩達が眠っていた場所の冬天宮に、似せた造りであった。
「ここに、我らが守り神様……、すなわち貴方様の分身が、奉納されておりまする」
「ほほぅ……」
――分身とな。
無論、そんなものに心当たりはない。いったい、何であろうか。
ただ――、ここが冬天宮の分社として建立された事だけは、理解できた。
「ささっ、奥へ参りましょうぞっ」
長老に続いて、我らも洞窟の中へ入って行く。
冬天宮と同じように、天井には光り苔がびっしり。おかげで洞窟内でもうっすらと明るく、視認には困らない。地面も、参道以外は白雪に覆われていたが、それらは人の手によって平たく整えられている。
なれど、本元である所の冬天宮と比べると、だいぶ狭い印象だ。
「ここでござりまする」
うむ――、
まさしく、祠であるな。
高さは十尺【約3メートル】ぐらい、どんな大男でも、すっぽり入る大きさである。
「では、失礼致しまする……」
長老が、柏手を二回打ち鳴らし、一礼した後、観音開きの扉を開け放つ。
そして――、
祠の中から取り出して来たのは、長い白木の箱であった。
「さぁ、お開け下さりませ」
――むむっ、これは。
赤紐を解き、箱を開けて見ると――、
「太刀で……、あるか」
そう――、吾輩が永らく愛用していた大業物と同じ、長覆輪拵えの太刀であったのだ。
「その太刀は、端ヶ谷の守り神様の分身として、伝わってござりまする」
――なるほど、宸世随一の太刀の使い手として名を馳せた吾輩の分身として、太刀を崇め奉るのは至極当然の流れであろうな。
では――、中身を拝見させてもらおうか。
吾輩は、太刀の両端を左右の手でそれぞれ持ち、その柄を引っ張って抜き放った。
「ほぅ……」
太刀の峰が、氷河の如き青白い色を湛え、うっすらとした光り苔の明かりが、凛冽な氷色の刃紋を伝って零れる。
それが氷で出来ている刀身なのは一目瞭然であり、そのように変わった太刀を造る刀匠は、吾輩の知る限り、一人しかいない――。
「これは……、もしや……、あやつが鍛えた太刀ではないのか……?」
「あやつとは、どなたでござりましょうや?」
「凍越 極斎と名乗っていたはずだ……」
「おおおぉぉぅ、あの、極斎様で、ござりまするかっ」
凍越 極斎――。
あやつは、評一門を支える御三家の凍越家に生まれ、吾輩と同じく雪女の伴侶となって不老の身になった男だ。
ただ――、果ての無い時間を手に入れたあやつは、究極を追い求める変態になってしまった。極みの域に達するまで、とことん没頭し続けるのだ。無論、人の話など一切合切、聞く耳を持たない馬鹿者である。
そんなあやつが執心していたのが、究極の太刀造りであったな。
その作風は、冷たく鋭い切れ味を誇る氷の刃だが、熱で溶けてしまうという、致命的な欠点を持つ。それでも、この雪国である鎮西【地方】を代表する太刀として、宸世全土に知れ渡っていたりする。
初めは、鉄を材料にした普通の太刀を造っていたのだが、それでは限界があると宣っておった。だからといって、寒冷地でしか使えない氷の太刀を打ち続けるというのも、どうかと思うが――。
ちなみに、鶴城幕府の精鋭にして近衛兵の“白備え”が持つ太刀は、あやつの造った極まっていない欠陥品である。
「うぅむ……、まさか……、な」
「どうされましたかな?」
永久氷壁を材料にした、絶対に溶ける事のない、究極の切れ味を誇る太刀を、この手で造り出してやる――と言って、あやつは前人未到の最北端へ旅立ったのだ。吾輩が眠りにつく直前も、極斎が戻ったという噂はまったく聞かなかった。
それに、吾輩の分身が納められた祠であるからして、その建立時期も冬天宮とほぼ同じだと思われる。よって、この手に今――持っている代物が、永久に溶けない氷を使った究極の太刀だとは、とても考えにくい。
おそらくは、“白備え”の誰かが、一番出来の良さそうな欠陥品を、ここに奉納したのであろう――な。
「そなたが渡したい物というのは……、これの事であるか?」
「左様にござりまする。果てなき旅路の道連れとして、お持ち下さりませ」
端ヶ谷の“守り神”たる吾輩が、いつの間にやら消えてしまった宸世を変える“宝”を探しに、分身である太刀を伴って旅立った――と、長老はこの後、里人達に伝えるそうだ。
ここに来るまで他の里人を見かけなかったのも、長老の計らいであったようだ。吾輩の姿が、多くの人目に触れれば、もしかしたら冬将軍である事を勘付かれてしまうかも知れない。長老は、少しでもそれを避けるべく、里人達に――今日は家の外から出てはならない――と、厳命したらしい。
「あと、これもお受け取り下さりませ」
再び――、祠の中に入った長老が持って来たのは、三方【鏡餅などを載せる台座】の上に積み上げられた黄金の小判であった。
「ジジ様が、この端ヶ谷の為に使うべしと、天からのお告げと共に譲り受けたそうです。元々は貴方様の物でござりましょうから、今こそ残りをお返し致したく存じまする。是非、旅の路銀にお使い下さりませ」
――いや、それは受け取れないな。
おそらくは、冬天宮などの施設を維持してゆく為の資金として、渡されたのであろう。
吾輩が旅立ち、役目を終える事になったこの里のこれからにこそ、必要になってくる物なのではなかろうか。
だが――その時、プカプカと浮かびながら長老に近寄ってゆく影が――。
我が女房の雪音である。
「では、戴くとするのです……」
――おいおいおいおいおい、ちょっと待てっ。
何故に、あっさり受け取ろうとするのだ?
(……お兄さま、何か問題でもあるのです?)
――大有りだ。有り過ぎるだろうが。
まぁまぁ――、まずは――、落ち着いて――、その右手に持った小判の束を、元の場所へ返しておこう――な?
(ふみゅぅ、仕方のないお兄さまなのです。では、このぐらいで……)
そうそう――、里の皆が困るであろうからな。その金子に、我らが手を付ける訳にはいかんのだ。
――って、何をしているっ。良い子だから、吾輩の言う事を聞いてくれっ。頼むっ。
そんな吾輩の、女房へ向けた心の叫びも空しく――、
三方【鏡餅などを載せる台座】の上に乗った黄金の小判を、鷲掴みにしては袖の中へ落とし、それを五回ほど繰り返した雪音は、
「あとは、里の為に使って良いのです」
にっこりと可愛い笑顔を浮かべながら、しれっと宣ったのだ。
「ははっ、誠に有り難き心遣い、感謝致しまする」
「……ござる」
長老親子も最敬礼して、感謝の意を示してしまったではないか。
むううぅ――、非常に心苦しい限りであるぞ。
何とかして、我が女房を説得し、金子をお返しせねば――な。
吾輩は心の声で、強く厳かに、呼びかける。
――雪音よ。本当にそれで良いのか?
(何の事ですか……?)
――今からでも遅くはないぞ。その着服した小判の束を、長老に返しなさい。
(や、なのです……)
――そなたのお兄さまは大変悲しんでおるぞ。あんなに素直で可愛かった女房が、いつの間にやらガメツイ性悪女になってしまった――と。
(わたしも悲しいのですよ。お兄さまは路銀を稼ぐ為に、わたしの身体を売るつもりなのでしょう? 嗚呼、可哀そうなわたし。行く先々で、見ず知らずの男の人に、この身体を委ねないといけないなんて……、しくしく)
――だっ、誰がそんな事をっ、絶対にさせるものかっ。そなたの身体は、吾輩だけのものだっ。そういう仕組みにもなっておるのだぞっ。
(でもでも……、お兄さまがこのまま頑固に、無一文で旅立つとおっしゃるのでしたら、着物も買えない羽目になるのですよ。きっと、わたし達が満足できる着物を買えるようになるまで、半年は掛かると思うのです。それまで、我慢できるのですか?)
――うっ、痛い所をつきおってからにっ。
(わたしの足は、見えてないといけないのですよね? こんな丈の長い着物でいいのですか?)
――良くないに、決まっておるだろうっ。
(派手な紅に牡丹の刺繍、そんなわたしの格好は、お好きですか?)
――こっ、これはまずい、いつもの言い負かされる流れではないか。
(早く呉服屋へ行って、桜色の女袴【プリーツスカート】に着替えたいのです)
――むううううううぅぅ、桜色か。それはさぞかし、似合うであろうなぁ。うむ、仕方あるまい。分かった、分かった。そなたの好きにするがよい。
――まったく、雪音にはかなわないな。
(ふふっ、口では負ける気がしないのですっ)
「どうかされましたかな?」
「いや、何でもない……」
「なのですっ」
とりあえず――、
吾輩としては不本意だったが、こうした雪音の主張に押し切られ、旅の路銀も手に入れるのだった。
「では、里の入口まで、お送り致しましょう」
祠の、観音開きの扉を静かに閉まい、柏手を大きく打ち鳴らし一礼した長老は、踵を返して歩き出す。
いよいよ、旅立ちの時、来たる――。
* * *
日の高さから、正午になったであろうか。
先頭を長老――、二番目を雪音が進み、それから後ろに吾輩と虎次郎が続くという、並びである。
「もう少し待って戴ければ、某も“北汰分”まで御同道できるのでござるが……」
里の入口にある、巨大な雪の壁が見え始める頃合いにて、虎次郎がおもむろにつぶやいた。
北汰分とは――、人間が住む事のできる宸世最北端の街――と、一般的に言われている。
それより北に位置している端ヶ谷は、人目をはばかる隠れ里であるからして、人間の住処としては認知されていないのだ。
「これを、渡しておくのでござる。きっと、お役に立つかと……」
虎次郎がたくましい胸元から取り出したのは、一通の書状であった。
「……これは?」
「業者登記【冒険者登録】の紹介状でござる。北汰分の口入屋にてお出し戴ければ、可及的速やかに、事が運ぶかと……」
――うぅむ、申し出は有り難いのだが、それをすれば、いろいろと縛りが出てくるのではなかろうか。此度は、雪音との気ままな二人旅を楽しむのが、趣旨であるしな。
「偽名であろうとも一度登記されれば、それ以降の身分も保証されるので、行く先々で変な取り調べを受ける事も無いかと存ずる……」
――ほほぅ、それは願ってもない機能ではないか。
偽名でも速やかに登記できるという事は、よほど制度が安易でザルなのか、それとも紹介状だからこそ出来る芸当なのか。どちらにせよ、我らにとって“転ばぬ先の杖”と成り得る重要な物品であるのは、確かだ。
ならば――、
「うむ……、では、有り難く頂戴しようぞ」
断る理由が無くなったどころか、むしろ受け取らねば今後の旅に支障が出るのは必定なので、吾輩はその書状を受け取るのだった。
「では、道中の御無事を、お祈り申しております」
「……でござる」
端ヶ谷の、隠れ里を隠すようにそびえ立つ、巨大な雪の壁。
その傍らで、長老親子は、深々と頭を下げて最敬礼する。
「うむ……、永らくの役目、大儀であった。この冬将軍、感謝の念に堪えぬぞ」
「そんなっ、勿体なきお言葉にて、恐悦至極に存じ奉りまする」
「……でござる」
――吾輩が何か言う度に、この親子はここで頭を下げ続ける羽目になるであろう。ここは早く切り上げ、さっさと旅に出ようぞ。
(ですね……)
「では、いざ行かん。果てなき旅へ」
「はい、なのですっ」
我らの足元から、一陣の雪煙が吹き散った。
そんな大袈裟な演出に、驚き感動している長老親子を尻目に、前へ進む吾輩達。
とりあえず――、北汰分の街に向かって、
果てなき旅路の第一歩を踏み出した、二人の物語が今、始まる。
――序章・了
【 】内は現代語訳と省略用語、欠陥品などや“ ”内は強調単語、重要固有名詞であるもののけともののふの表記は、ひらがなと混じっても読めるようにする為、( )内は口に出さないセリフ、つまり心の声です。