十三話:代わりの着物。
吾輩は、冬将軍である。
永き眠りから目覚めた吾輩は、近くにある隠れ里の長老に呼ばれて出向き、話をする。
そして、三日間は誰も入ってはならぬと長老に申し伝えた上で、吾輩は眠っていた場所に戻り、雪だるまから女房の身体を作った。
その身体を堪能して満足しきった時に、女房から旅に出ましょうと提案され、結局はそうする事になった。
再び、長老の家を訪れた吾輩達は、旅に出る旨を長老達に告げ、隠れ里の役目を解く正式な通達を言い渡す。
それから、現在の宸世はどのような状況なのかと尋ねれば、名の知れた業者【冒険者】である虎次郎が、いろいろと教えてくれるのだった。
さて――、いよいよ出発の時であるぞ。
日の高さから、巳の正刻【約十時】あたりであろうか。
吾輩と雪音は今、里の奥に向かって浮かびながら進んでいる。旅立ちに際して、是が非とも渡したい物があると、先頭を歩く長老に言われたのだ。
その途中で虎次郎と合流したのだが、どことなくすっきりした表情をしている。うむ、下手な詮索は禁物であるぞ。
「その直垂【平民の普段着】は、青葉の物でござるな……」
「ほぅ……、そうなのか」
青葉とは、隠れ里の入り口である巨大な雪壁で出会った、あの少年であろうか。そういえば、キツネ女の事をかあさんと呼んでいたな。キツネ女が虎次郎の女房だとすれば、青葉は息子――になるのか。
「なにぶん、このような隠れ里ですので、ボロ着しかございません。お気に召さないとは存じますが、平に、平に、ご容赦下さりませ……」
会話を聞いていたのか、先を行っていた長老がくるりと振り返って、深々と頭を下げてきた。
「一向にかまわん。むしろ、この方が目立たなくて良いぞ」
そうは言ったものの、実は着慣れている白の狩衣【平安貴族の普段着】が恋しかったりする。
そんな吾輩の、今の服装は――、
引立烏帽子【鉢巻の付いた烏帽子】に、毛沓【鹿や猪などの皮で出来た靴】は、元々纏っていた軍装のまま。着替えたのは青葉の物であるらしい深緑の直垂だけ。
ただ――、
吾輩の背丈は、宸世の男子の平均である五尺三寸【約百六十センチ】をわずかに上回る程度なのだが、この直垂は五尺【約百五十センチ】を目安としているようなのだ。
声変わりこそしてないが、あの落ち着き様から、青葉は少なくとも元服の年齢【十六歳】だとは思うのだが――、もしそうであって背丈が五尺【約百五十センチ】ならば、まるで女子ではあるまいか。
おかげで、吾輩の脛小僧が少し見えており、何となくみっともない気がする。
「恐悦至極に存じまする……」
再び、背を向けて歩き始めた長老。
それに追随し、プカリプカリと浮きながら進む我が女房の格好を見て、やはり有り得ないと痛感する。
何というか、足がまったく見えてないのだ。幽霊でもあるまいに――。
要は、着物の丈が長すぎるのである。
(お兄さまの足は見えたらみっともないのに、わたしの足は見せないとダメなのですか?)
――無論だ。男子と女子では、足の価値がまるで違う。
男子の服装で、みっともなく足を出しているのは、小僧か下男ぐらいのものだ。それに、脛毛の生えた足など、とても見れたものではないぞ。
(でもでも……、お兄さまの足は、毛なんて生えてないのです)
うむ――、吾輩が氷漬けになったのは、十七歳の時だからな。もう少し遅かったら、脛毛がぼうぼうに生えていたかも知れん。
それに引き換え、女子の足は良い物だ。見ているだけで目の保養になるのだからな。
(お兄さまが男の人だから、そう感じるのです。わたしは、女の足なんか見てても、つまんないだけなのですよ?)
ほほぅ――、なかなかに興味深い。例えば、己よりきれいな足を目にしても、つまらないと――申すのかな。
(逆に、ムカつくのです……)
まぁ――、あれだ。そなたより、きれいな足をした女子なぞ、吾輩は見た事がないのである。
(はいはい、そうですか……)
これは藪蛇だったやも知れんな。女房の機嫌がすこぶる悪い。何とか、軌道修正せねば――。
(そんな事よりも有り得ないのは、この着物の色と柄なのですよ。派手過ぎなのです)
確かに――、言われて見れば、そうである。
色は、目が痛いほどのキツイ紅色。さらに長すぎる裾を飾るのは、牡丹の刺繍である。辺境の農村、ましてや隠れ里の住人が手に入れるには少々荷の重い、なかなか高価そうな着物だ。
それに、あの着物の丈で予想するに、五尺三寸【約百六十センチ】、すなわち男子の背丈に合わせてあるのではなかろうか。
この――、隠れ里に、男子の背丈に匹敵しそうな、女子は――?
「虎次郎殿、あの着物は誰の物なのだ?」
吾輩は思い切って、女房の方を指差しながら聞いてみる――と、
「はっ、おそらく我が妻の物でござる」
やはり――、あのキツネ女の着物であったか。吾輩と大して変わらない背丈だったのを覚えていたのだ。
虎次郎は名の知れた業者【冒険者】であったが故に、見聞も広く、稼ぎも良かったのであろうな。あれほどの着物でも、入手するのは容易いか。
「この里で、一番高い物を選んだのでござろう」
ふむ――、その心遣いは有り難い――のだが、どちらかというと、ありがた迷惑の部類に近いかも知れんな。
我が女房の背丈は、宸世の女子の平均である四尺八寸【約百四十六センチ】より、少し下回るぐらい。つまり、五尺三寸【約百六十センチ】の着物では、六寸【約十八センチ】も余ってしまうのだ。
プカプカと浮かんでいられる今なら、特に不便は無さそうだが、これからの果てなき旅路で、雪や氷に覆われていない道を行く事もあるだろう。いざ、そうなれば、着物の裾を引きずりながら歩かねばならない。
それにしても――、色と柄が派手で、背丈も合わないし、歩くとなると引きずるような着物。雪音は何故、断らなかったのであろうか。
(……断りましたよ。でも、強引に押し切られたのです。子ギツネの赤葉さんって方を中心に、三人ぐらいの女の子が……、きっと全員、虎次郎さまの娘さんなのでしょうね……)
――うぅむ、女子に集団で取り囲まれるとか、さぞかし怖かったであろうな。それに、赤葉とやらも話の通じる相手ではなさそうだ。
(下手に逆らえないんですよね。それでいつの間にか……)
この有様であると――、いう訳か。
で――あれば、
まずは我らの服装を整えるのが急務であり、とりあえずは近くの呉服屋を目指すべきだろうな。
【 】内は現代語訳と省略用語、かあさんと“ ”内は強調単語、重要固有名詞であるもののけともののふの表記は、ひらがなと混じっても読めるようにする為、( )内は口に出さないセリフ、つまり心の声です。