十二話:魔王と大君。
吾輩は、冬将軍である。
永き眠りから目覚めた吾輩は、近くにある隠れ里の長老に呼ばれて出向き、話をする。
そして、三日間は誰も入ってはならぬと長老に申し伝えた上で、吾輩は眠っていた場所に戻り、雪だるまから女房の身体を作った。
その身体を堪能して満足しきった時に、女房から旅に出ましょうと提案され、結局はそうする事になった。
再び、長老の家を訪れた吾輩達は、改めての自己紹介を経て、旅に出る旨を長老達に告げた。
それから、隠れ里の役目を解く正式な通達を言い渡すのだった。
端ヶ谷の隠れ里、その任を解く正式な通達が終わった途端、吾輩の右腕にしがみついた雪音が――、
(もっと撫でてっ、撫でて欲しいのですっ)
――上目遣いで無言の催促をしてきた。
(……ごろごろっ、ふみゅう)
すぐさま撫でてやると、ご機嫌のあまり、猫の真似をする。
ふうむ――、なかなか――、あれだ――、かわいい。
「ごっほん、他に知りたき事はござらんか?」
――おぉう、雪音とイチャついてる場合ではないな。
心なしか、虎次郎の息が荒い気がするが――、多分気のせいであろう。
では――、
旅に出るに当たって、是が非でも聞いておきたい事がある。
「うむ……、そうだな……、今の宸世について教えてもらおうか。確か、吾輩が眠りについた百二十年前では、七大君が治めていたのだが、それは変わらぬか?」
七大君とは、読んで字の如く、七人の大君である。
この宸世において、最も高い地位にあるのが皇尊という存在。宸世のありとあらゆる神社の頂点に立ち、人々の平和と安寧を祈り続ける巫女長でもある。
しかし――、
それはあくまでも表向きの建前であり、宸世を七分割して実効支配していたのは、七人の大君と呼ばれる実力者達なのだ。
「なんと、七人もいらっしゃったのですか?」
「父上……、かつてはそうだったと伝わっておりますぞ」
――ふむ。
吾輩が眠りについた後に、何かあったのか。
「して……、今は何人の大君が残っているのだ?」
「はっ、五大君の方々が治めてござる。まず初めに……」
――以後の、虎次郎の話を要約すれば、
総備【地方】を治めていた萩 孝明の子孫を含め、三人の大君まではそれぞれの子孫が継承しているようだ。そこに、鎮西【地方】を統括する吾輩こと冬将軍を加え、四人の大君が出揃う。
だがしかし――、
最後の一人が明らかになった、その時――、
「五人目が陸奥の狂骨卿、綺 恒久でござる」
「馬鹿なっ」
――カンバタのツネヒサ。
かつて宸世全土を恐怖に陥れた、九万殺しの魔王。
罪を犯せば犯すほど――、生き物を殺せば殺すほど――、自身の肉体が強くなってゆくという外道の拳法を、奴は編み出した。
宸世で不吉な忌み数の“九”と、数え切れないほどの多い数を表す“万”を組み合わせた異名を持つ奴は、まさにその通りに殺戮の限りを尽くしたのだ。ただただ、己が強くなる為だけに――。
「奴は、この吾輩が討ち果たしたはずだっ」
そう――、
吾輩が眠りにつく五年前、すなわち今より百二十五年前に、綺 恒久は七大君の連合軍によって討伐された。
それは、宸世の未来を賭けた総力戦といっても過言ではなかった。結局は、もののふの究極の力である“神威”を発動させた吾輩が、奴を葬る事で戦を終わらせたのだ。
「ところが……、でござる」
綺 恒久は、骨だけの身体――、もののけ狂骨になって、地獄の底より舞い戻って来ていた、らしい。
そして、吾輩こと冬将軍から隠れるようにこっそりと南下し、冬の寒さが及ばない南東の果てである陸奥【地方】で、雌伏の時を過ごしていたようだ。
それから、十年経ったあたりか。吾輩が眠りについて五年後、奴は陸奥【地方】の大君を討ち滅ぼして支配権を奪い、歴史の表舞台に返り咲いた。
すぐさま、朝廷の皇尊は征伐の勅を六人の大君に下す。
こうして、三回に渡る陸奥征伐が始まるのだが、いずれも冬将軍率いる鎮西の軍勢は、暑い陸奥への遠征は不可能として、これを辞退したようだ。もちろん、裏を返せば吾輩が眠っていた為ではあるが、いやはや――、勅に背くという荒業を、影武者達は無事にこなしたものだ――と、つくづく感心してしまうな。
「一応、京より西へ恒久卿を釣る事が出来れば……」
我が鎮西の軍勢は出陣するという取り決めになっていたそうだが、結局――奴は、陸奥【地方】から一歩も出なかったらしい。
南東の果てから宸世全土の中心に位置する京まで、それはもう相当の距離があるからして、如何に大君と言えども奴を釣り出すのは、至難の業であろう。
ふむ――、なるほどな。
七大君最強と云われた冬将軍の雷名と、暑さに弱い特性を上手く利用し、不可能に近い条件を提示する事で、陸奥征伐の参陣を拒否した訳か。
「そうして、第二次陸奥征伐にて……」
――二人目の大君が戦死し、大君は五人となった。さらに、第三次陸奥征伐で三人目の大君が滅ぼされ、宸世に残った大君は四人。
十五年かけた陸奥征伐は、朝廷側の大敗北に終わったのである。
「ほほぅ……、それから?」
――現在の宸世はよもや、奴による恐怖政治が横行しているのではあるまいな。そうであるならば、非常に面倒な事になってしまう。
「はっ、実の所……、陸奥に居た時の恒久卿は、征伐軍の兵以外は、誰一人として殺していなかったのでござる」
――は?
それはどういう事だ。無駄な殺生が三度の御飯より好きだった奴ぞ。
「詳しくは、某には分かりかねますが、そこで……」
時の皇尊は、次の譲歩案を持ち出したという。
――綺 恒久を大君の一人に迎え入れ、従一位と刑部卿の官位官職を与えるものとする。
従一位は、最強の一角を占める実力者に贈られる官位。
ちなみに、正一位に昇り詰めるには、もののふの究極の力である“神威”を自在に使いこなせばならない。
そして、刑部省の最上位の官職である刑部卿は、重大事件の裁判、監獄の管理、刑の執行などを管轄する。
しかしながら、ほとんどの役割を検非違使【平安時代の警察】に奪われ、すでに有名無実化していたはず――だが、
「元より、陸奥【地方】は流刑地でござるので……」
――なるほど。
陸奥【地方】そのものを監獄かつ刑場とし、さらには“九万殺しの魔王”を獄卒長に据える事によって、宸世全土から送り込まれた囚人どもを恐怖で縛り上げる――と、同時に“九万殺しの魔王”に地位と名誉を与えて彼の地に封ずる。
まさに、地方一つを犠牲にした、なかなかにエグい一石二鳥の策ではあるが、理には適っているな。
「こうして、従一位刑部卿に就かれた恒久卿は、五大君の一人として百年前から今に至るまで、陸奥の地を治めている次第でござる」
――ふむ。
にわかには信じ難いが、奴が何らかの心変わりをして一切の殺生を止めたのであれば、それはそれで良い事ではある――か。
「では、他に知りたいことはござらぬか?」
「そうだな……、気になったのは……」
陸奥の大君は、一族郎党ごと根絶やしにされたのは容易に想像がつく――が、陸奥征伐で戦死した他の二大君について、何故にその子孫が存続していないのか。
まさか、女子供に至るまで一族郎党ことごとく、はるか南の陸奥【地方】まで遠征した訳ではあるまい。
「いずれも内乱で滅んだと、聞き及んでござる」
「ほほぅ……」
確か――、戦死した二人の大君は、武勇の誉れ高いもののふであったな。奴らは吾輩と同じように、周辺の有力者を武力でねじ伏せた果てに、それぞれの地方に独自政権を打ち立てたと聞いている。
だが、そのような政権は、当人の求心力に頼っている所が大きいので、代が替われば一気に崩壊してしまう事も、度々あるのだ。おそらく二人の築き上げた統治組織も、その流れにハマってしまったのであろう。
他人事として流せる話では――、ないな。
「左様であるか……。では、今も内乱が続いている地があると……、いう訳だな?」
「いえ、そうした内乱が起こった土地は、近隣を治める大君が武力介入し、領土の一部として併合しました故、それに現在の宸世は五大君同士の不可侵条約もあり、概ね平和でござる」
五大君の不可侵条約か――。
正一位関白であった萩 孝明が存命の頃、吾輩と一緒に草案をまとめた、あの条約であろうな。
大君同士がぶつかれば、洒落にならない被害が出るのは必定。そこで、武力によって位階が上がってゆく官位制度改革と共に、宸世全土の争いを鎮める策として採用され、朝廷の詔として発布されたのだ。
うぅむ、それよりも気になるのは、武力介入して併合とな――。そんな強引なやり方では、いつか不満が爆発するのではなかろうか。だが、しかし、内乱状態が続いてしまうのも、よろしくはない。
「ちなみに、冬将軍様も伊豫【地方】の北半分を併合してござる」
――むおっ、全然他人事ではなかったか。
吾輩には領土を広げようという野心は、ひとかけらも無いのだが――なあ。
(その本音は、面倒臭いだけ……、なのですっ)
我が女房はさすが、よく分かっておるようだ。それではまるで、吾輩が面倒臭がりの怠け者にしか思われないではないか。
はっはっは――こやつめ、お仕置きしてやろうぞ。
(ふみゅうううううう、髪がくっちゃくちゃに、乱れちゃいますうううううう、やめてええええええ)
わっしゃわっしゃと、女房の頭頂の髪を掴んでは離し、毛根をもみほぐす。
(でっ、でもっ、何だか……、気持ち良い……、のです。ごろごろっ)
人間ならば、頭のツボという所を押さえる事で、身体の調子が良くなるらしい。雪女に効果があるかどうかは分からんが、この雪音の様子を見ている限りでは、効いているようだ。
(あっ、ちょっ、ちょっと、だめなのですっ、耳の後ろはっ、声が出ちゃうのですっ)
頭痛、肩こり、顔のむくみなどに効果があるらしい、耳の後ろのツボをゆっくりと押してやる――と、
「……んぁ、ふみぅ、んっ、あぅ」
聞き慣れた喘ぎ声が、漏れ出したではないか。
そういえば――昔から、耳は敏感だったな、この女子。
「ごっほん、某、我慢できなくなった故、一刻【二時間】ほど失礼つかまつる」
大きな咳払いの後、すっくと立ち上がった大男の虎次郎が、どたどたと息巻いて出て行ってしまった。
むう、雪音とまたしてもイチャついてしまったので、怒らせてしまったかな。
「さて、虎次郎が仕込みをしている内に、貴方様がたの着替えを済ませてしまいましょうか、どうぞこちらへお越し下さりませ」
――ふむ、
仕込み――とな。
嗚呼、我慢できなくなったとは、辛抱たまらんという意味であるか。
それで、兎にも角にも虎次郎の女房であるキツネ女の元へ、子種を仕込みに行った――と。
なるほど、納得である。
【 】内は現代語訳と省略用語、仕込みと“ ”内は強調単語、重要固有名詞であるもののけともののふの表記は、ひらがなと混じっても読めるようにする為、( )内は口に出さないセリフ、つまり心の声です。