十一話:隠れ里が解放された日。
吾輩は、冬将軍である。
永き眠りから目覚めた吾輩は、近くにある隠れ里の長老に呼ばれて出向き、話をする。
そして、三日間は誰も入ってはならぬと長老に申し伝えた上で、吾輩は眠っていた場所に戻り、雪だるまから女房の身体を作った。
その身体を堪能して満足しきった吾輩に、女房は旅に出ましょうと提案する。
愛する女房のお願いならば、無下に断る訳にもいくまい。
嬉しさのあまり、跳ね回る女房。女袴【プリーツスカート】の中身がチラリチラリと見え掛かっているではないか。
まぁ、あれだ。
まだ時間はたっぷりあるはず――と、思った吾輩は――、
結局、全精力を女房へ注ぎ込んでしまったのだ。さすがに、疲れたな。
「これはこれは、一週間のお勤め、お疲れさまでござりました。ささっ、ごゆるりとなさって下さりませ」
ここ、端ヶ谷の隠れ里は長老の家。その中である。
壁の上方にある明かり採りの木戸【窓】から、朝日がやさしく室内を照らしている。
囲炉裏の向こう側に座る長老は、上座に着いた吾輩と女房である雪音に、衝撃の事実を告げたのだった。
「一週間……もっ、わたっ……」
――待て、言うでない。
「っっっ、なのっ、ですっ、ねっ」
――まさに、間一髪。
何とか、女房は言葉を飲み込む事に成功したようだ。
いやはや、一週間もの間、激しく交尾してましたなんて、口が裂けても言えたものではない。
「そうであったか……、てっきり今日で三日目だと思ったが、もう一週間も経っていたのか……」
「左様……、さぞかしお疲れかと、お見受け致しまする……」
「ははは……」
おそらく吾輩は、げっそりとやつれているのであろうな。
一週間も注ぎ込んだのだ――、無理もない。
「しかしながら、地震が起きなくて幸いでござりましたな」
「ふむ……」
そういえば――確かに、あれから地震は一度たりとも起きていない。
おかげで、女房との営みに没頭し過ぎてしまった――。
「ところで、そちらのお嬢さんは……、と言いたい所ですが、そろそろですかな?」
「……ん?」
がらり――と、木戸が横滑りし、見覚えのある筋肉隆々の大男が部屋に入って来た。その両手に持つのはお盆、上に二つの湯呑が乗っている。
「この端ヶ谷の清流で淹れました、お茶でござりまする。どうぞ召し上がって下され」
長老の言葉を受け、その息子である大男の虎次郎が、吾輩達の前に湯呑を置いていった。
だがしかし――、
せっかくの御厚意ではあるが、女房は元々から雪女という雪で出来たもののけ、吾輩はそれと同化して絶大な力を得たもののふであるからして、熱い物は苦手なのだ。いささか気が引けるが、冷やして飲むとするか。
「……おや?」
湯呑を持ち上げ――いざ、息を吹き付けて冷やそうとしたその時――、
「冷たくておいしいのです……」
隣に座る雪音はすでに、コクコクッと――のどを鳴らして飲んでいたのだった。
長老の隣に座った虎次郎が、相変わらず黙ったままではあるが、口をわずかに歪めて笑んでいた。見た目にそぐわず、細かい気づかいの出来る男のようだ。
「うぅむ、これは美味であるな……」
吾輩も一口飲んで、思わず唸った。
消化器官も動いていないような氷漬けの我が身ではあるが、冷たい水などは飲めて、味も感じる事ができる。この虎次郎とやら、ただの変態お仕置き旦那かと思っていたが、我らの身体の仕組みをよく知ってるらしいな。
「では、皆様が揃いました所で、改めて自己紹介させて戴きましょうか。ワシはこの端ヶ谷の長老の、北峨谷 権六と申しまする」
萎烏帽子【平民の烏帽子】から漏れる、ちぢれ気味の髪は真っ白。黒の直垂【平民の普段着】に熊か猪らしき焦げ茶色の毛皮を羽織っており、痩せ型で小柄な体格。何より映えるのは、顎から伸びた白い髭が特徴の、長老である。
「……某は、権六が嫡男であり里長の、北峨谷 虎次郎でござる」
短く刈られた黒髪に、ちょこんと舟形烏帽子【平民の烏帽子】が乗っている印象の、顔も体格も大きい壮年の男だ。深緑の直垂【平民の普段着】の上からでも分かるような筋肉をしており、胸元が少し開いて日焼けした肌が露出している。一見して、口数の少ない職人気質な性格だが、先ほどのお茶の件で察するに、細かい気づかいと広い知識を有しているようだ。
「吾輩は冬将軍……、正一位鎮守征討大将軍の評 利光であるぞ」
吾輩の着ている装束は、冬将軍の印でもある“三ツ鱗”紋の金糸刺繍が入った、白い狩衣【平安貴族の普段着】に、濃色の指貫【平安貴族の袴で紫色】である。
「わたしはお兄さま……、いえ……っ、利光さまの女房の、評 雪音なのです……」
藤色の長い髪をした我が幼な妻。白衣【白い着物】に濃色の女袴【紫のプリーツスカート】を履き、冬将軍を表す“三ツ鱗”紋の金糸刺繍が入った千早【巫女装束のアウター】を羽織った雪女である。
――こうして、改まった四者それぞれの自己紹介が、終わるのだった。
「なんとなんとぉ……、貴方様に、こんなめんこい女房がいたのですかーぁ、しかもずいぶんと幼くて、そこがまた、そそりまするなぁ」
「……実に、良いでござる」
「ふぇえええ……、うれしい……、のです……」
そう言いつつも、吾輩の右腕に絡み付く女房。目の前にいる二人の性欲を感じ取ったのであろう。
(なのです……)
そんな雪音の頭を撫でつつ――、
「一つ訊ねるのだが……、我らが纏っているこの“三ツ鱗”紋に、見覚えはあるまいか?」
話の流れを変えるついでに、前から気になっていた事柄を問い質す事にした吾輩。
以前――長老は、冬将軍の印である、この紋所を見ても無反応であったのだ。
「さぁて、どこかで見た事のある御家紋ではござりまするが……、はて?」
ザクリザクリと、囲炉裏の灰を火箸で突き刺しながら、深く考え込む長老。
「父上……、これは冬将軍様の紋所ですな。この鎮西のあちこちで見られますぞ。そうでござるなぁ……、例えば、奉行所や代官所に幟が立っておりまする」
「おおぅ、そうじゃった、そうじゃったな。年のせいか、すっかり忘れておったわ」
「まだまだ、ボケては困りますぞ」
ふむ――。
もしや、鶴城幕府が方針転換して紋所を変えたかと思ったが、そうではなかったらしい。
と――なると、
我らが今、着ている“三ツ鱗”紋入りの服は、非常にまずいのでは、ないだろうか。
何せ――、我らこそは冬将軍であるぞと、叫んで歩くようなものであるからな。
「実はな……、女房と相談して決めたのだが、我らは旅に出るつもりだ」
「なんと、旅に出るとおっしゃられまするか……?」
「そうなのです。わたし達は旅に出るのです」
「でしたら、この虎次郎めに何なりと聞いて下され。名の知れた業者【冒険者】でした故、見聞も広かろうと思いまする」
「ほほぅ……」
――業者【冒険者】とは、有り体に言えば、何でも屋の事である。
どおりで――、我らの身体の事も知っていた訳だ。なるほどである――な。
では、さっそく聞いてみようか。
「もし、我らが纏っているこの“三ツ鱗”紋の服を着て、試しに街を歩いてみれば、どうなるであろうかな?」
「……少なくとも、かなり上のお役人様だと思われるのは必定でござろう」
「ふぇえええっ、それは困るのです……」
――ふむ。
至極妥当な答えであるな。
だが、吾輩の望むのは――。
「こんな里のボロで良ければ、後ほどお着替えを用意致すのでござる」
「では、虎次郎殿のお言葉に甘えるとしよう。よろしく頼むぞ」
「……光栄にござる」
――ほほぅ、これは意外に、話が早く済んで助かった。
では次に、お社――すなわち冬天宮にて、女房と話し合って決めた事を、伝えねばなるまい。
「あと、我らが旅に出る……と、いう事はだ。ここ、端ヶ谷の隠れ里の役割も、終えるのではなかろうか?」
「確かに、おっしゃられる通りでござりまする」
実は――、吾輩の眠る場所や冬天宮については、あらかじめ聞かされていたが、隠れ里についてはまったく知らなかったりする。もちろん、命令した覚えもない。配下の誰かが考えてやった事なのだろう。だが、これ以上、里人達を縛り続けるのもよろしからず。
ならば――、だ。
「では……、改めて、鎮守征討大将軍の名において正式に通達しよう。今日この時をもって、端ヶ谷のお役目を解く。永きに渡り、誠に大儀であった」
吾輩は威儀を正し、粛々と宣言するのであった。
「はっ、ははーっ、直々の通達、恐悦至極にござりまするぅ」
「……ござる」
これで、この里の住人は、永きしがらみから解放されるであろう。
(なのですっ、なのですっ)
女房も上機嫌のようだ。
「しかしながら……、貴方様の正式な通達は受け賜わりましたが、やはり里を急に変えるのは難しく思いまする。ですので、段階を踏んでゆっくりと皆の役目を解いてゆく事を、お許し願いたく存じ奉りまする」
(わたし達の予想通りでした、ね?)
女房と話し合った時に、最も現実的な案として出ていたのが――今、長老が言った策であるのだ。即座に、これにたどり着けるのであれば、我らも心置きなく旅ができるであろう。
「許す。万事、良きに計らうのだ」
「ははーっ、有り難き幸せに存じまする」
「……ござる」
こうして――、
端ヶ谷の隠れ里は、開放への第一歩を進めたのであった。
【 】内は現代語訳と省略用語、“ ”内は強調単語、重要固有名詞であるもののけともののふの表記は、ひらがなと混じっても読めるようにする為、( )内は口に出さないセリフ、つまり心の声です。