一話:どうやら、目覚めてしまったようだ。
吾輩は、冬将軍である。
だが――、
冬将軍というのは、そう呼ばれていただけの事。
本名は、評 利光である。
かつては、貴き家柄である評一門の当主であったのだ。
ふむ――、
吾輩の眼は今、すべてが氷で出来た社殿の天井を映している。
氷の向こう側がうっすらと明るいので、視認に支障はない。
ここは、冬天宮という神社の、本殿に当たる建物だったと、ふと思い出す。
そして、吾輩は、確か――、
永い――、永い――、
眠りについていたはずだ――。
つまりは――、起きてしまった――、という事か。
いったい、何故だ?
まぁ、あれだ――。
このまま仰向けで寝っ転がった状態では、何も分からぬであろうな。
「よっこらっせっ……」
身体を起こして胡坐をかいた吾輩は、自らの服装に目を向ける。
着ている装束は眠りについた時と変わらず、吾輩の印である三ツ鱗紋の金糸刺繍が入った、白い狩衣【平安貴族の普段着】に、濃色の指貫【平安貴族の袴で紫色】である。
その袖から露出した手は青白く、時折見える肩まで伸びた長い髪は、銀に輝いている。
そう――、
吾輩は人間ではないのだ。
いや――、
元、人間であったと言うべきか。
元服から一年後――、すなわち十七歳の時に吾輩は、女房と結ばれて人間を辞めた。
女房は雪女であり、その核と呼ばれる本体は、吾輩の心之臓と同化している。
おかげで、吾輩の身体は氷漬けの状態になり、歳を取らなくなった。
とどのつまりは、不老の肉体であり、永遠の十七歳という訳なのだ。
次に――、
吾輩の周りに散らばる白い氷の欠片。
大小様々だが、何やら見覚えのある彫刻らしきものが――。
そうそう――、
眠りについた時、吾輩は確か――、この祭壇の上にあった、分厚い氷の棺に入ったのだ。
さしずめ――、
何かの拍子で氷の棺が祭壇から落ちて砕け散り、その衝撃で吾輩が目覚めてしまったという所――、か。
もちろん、人間を辞めている吾輩は、痛みを感じない。
「うむ………………」
自らの声は、聞き覚えがあるまま――。
続いて――、
立ち上がり様に佩いた太刀を抜――き、
「むっ………………」
そこにあるべき柄は無く、右手は空を切ったのである。
「………………っ」
そうであった――。
吾輩の愛刀は、当主の証でもあったのだ。
その座を退き、眠りについた時に返還したのだった。
ふむ――、
宸世きっての太刀の使い手である吾輩が、何も持たぬとは――な。
あぁ――、
宸世とは、吾輩が今いる世界であるぞ。
宸とは、天子――ここでは皇尊の住まいを表し、それの世。
すなわち宸世とは、皇尊の世――、という意味があるのだ。
「むむぅ………………」
やはり、太刀が無いと、しっくりこないではないか。
何とかせねば――、なるまいな。
そういえば――、
かつて、永久氷壁を材料にして究極の太刀を造ると言って、北の最果てに旅立った馬鹿者がいたな。
あやつに会うのも、また一興か。
――と、吾輩が物思いにふけっていた、そんな時であった。
生き物の気配を感じ取ったと思いきや、
「ひ……っ、ひいいいいいいっ」
間髪入れず、男の悲鳴がこだまする。
声のした方――、扉の無い出入口を振り向けば、人間らしき後ろ姿が――映った。
どうやら、一目散に逃げ出したようだ。
まぁ――、
当然と言えば、当然の反応であろうな。
「さて……、と」
吾輩は敢えて追わず、ただ座して、状況が進むのを待つ事にする。
【 】内は、現代語訳です。