前日譚
「またね」
「うん、また」
小さく手を振りながらドアを閉める彼女に、僕は同じように手を振って見送った。
いつものやり取りだ。
彼女の行方が分からなくなったと知ったのは、アルバイト先の店長が「シフト変わってほしいのだけどあの子連絡取れないんだよね。なんかあった?」と尋ねてからのことで、見送って数日後になる。
「君はあの子と付き合ってるんだろ。メールなりSNSなりでなにかわかるんじゃないのか?」
問われて改めて感じる交流の少なさ。
メールもSNSもお互い希薄で淡白なやり取りがたまに交わされるだけだ。
最後に見送った日にもSNSのメッセージのやり取りはあったにはあったが何も得られる情報がない。
何かあったのか……?
「……君たち本当に付き合ってるのか?」
「そのはずです」
「二人ともなかなか表情に出ないからワカンねぇな。ははは」
断言できないところが悲しい。
サークルの交流会でお互い大人しい者同士というので周りから半ば強引にくっつけられたなどという情けない馴れ初めである。それでもフィーリングとかいうやつが合うのかうまく続いてると思っていた。
あくまで僕はだ。
仮にで、もしにで、例えばだ。
まさかと思うが。
何か彼女の身に−−。
「捨てられたかなこりゃあ」
そっちか。
しかし店長は何かと察しがいい。
言われてぐうの音も出ない僕は目が泳ぎっぱなしだ。
アルバイト先は書店だ。僕が働いていると聞いてすぐに同じところに働きに来た彼女は、飲み込みが早くあっという間に仕事を覚え、すぐに僕以上に仕事ができるようになった。
鼻が高い。……いや僕がダメだ。
かっこいいところなど見せられていない。
仕事の話どころか、付き合いの話であっても。
僕が何か悪いことをしたかと言われれば……むしろ。
「君はあまりがっつかないからな。面白くなかったんじゃないかぁ」
察しがいいと言ったが撤回だ。僕のズタズタな心境を少しは察してくれてもいい。
「でも連絡しないような子じゃないしな。君が嫌になったからってバイトすっぽかしたりはしないだろ」
気が滅入るような前提で話は進む。しかしその通りだ。
おとなしい子だけれどやる事はきっちりとこなすタイプで信頼は厚い。
「やっぱり少しは男らしいところを見せないとな」
「というのは?」
「住所は分かんだろ?
様子見に行って来なよ。それで君が原因だったらちゃんと謝って、話し合って、納得した上で別れなさい」
破局前提で話進んでるのどうにかならないものか。
それよりも、言われてはじめて彼女のアパートへ向かう事を決意した僕は確かにカレシとしてあまりにも欠けているものが多い気がして来た。
「それに」
「はい?」
「事故や病気のケースだってある」
「先にそっち思いますよね」
バイトの帰り道、いつも降りている駅ではなく彼女の住むアパートのあるもう一つ先の駅で降りた。
あまりこの駅で降りたことがない。
僕は思い出しながら彼女のアパートへの道を歩く。
いつも僕のアパートに招いては静かに過ごしていた。
ネットで買った映画を鑑賞し、交代で作る料理を食べ。
お互いに読んだ小説を紹介し合う。ゆったりと流れる時間。
気兼ねのない空気を好いていたが、自分勝手が過ぎていたのか。
面白くない。言われてみればそうかも知れない。
俯きがちで黒い前髪で隠れる彼女の目は軽く覗き込まないと伺えない。
ひょっとしたら不満に満ちていたのだろうか。
僕が言えた事ではないのだが、表情に出ないというのは難しいものだ。
事故か病気か、はたまた愛想を尽かされただけなのか。
尽かされた“だけ”。自虐的にそう考えてしまうのだが、彼女の身に何かあることに比べれば、彼女のために何かできたわけでない自分が捨てられてしまう事はやはり“だけ”と言えるだろう。
しかしそう考えると震えがくる。別れる? そんな。
冗談半分で別れるための納得のいく話し合いをする心の準備をしていたが。結局のところ斜に構えた自分が作り出した虚勢に他ならなかった。
この心の内が誰かにバレるワケにはいかない。こんな女々しい男は自分でもゴメンだ。
21時手前。アパートが近い。彼女の住む2階の部屋は灯りがついている。
僕のアパートの玄関から見送ってから、何度かSNSやメール、通話を試みたが返事がなかった。
改めて通話を試みる。
鳴りはする、しかし繋がらない。
付き合い始めからこれまで繋がらないのはままあることで、そういう関係だと割り切ることにしていた。
ただ、今回は悪い事態を想定してしまう。
部屋で倒れている? 急いで行くべきか?
僕を嫌っている? 行ったら迷惑になるのか?
もし、別の男を連れ込んでたりしたら?
最悪な想定をうかべつつも。
「風呂入ってるのかな」
と、うわずった声で自分に言い聞かせるように一人で呟いた。
行ったら迷惑だ、なんて言うのはたとえそれが事実だったとしても、自分を誤魔化す言い訳だ。
立ち止まるくらいならハナからここに来ない。
そう言い聞かせて、アパートの階段の横ですでに立ち止ってスマートフォンを無意味に覗いて固まっている自身の体を前に進めた。
インターホンを鳴らす。
さて、顔を合わせたらなんて言おう。とりあえず心配したと一言言おう。
などと考えていたが、出て来ない。
部屋の物音すら聞こえない。
もう一度鳴らす。
音沙汰なし。
もしも彼女が部屋で倒れていて、助けが呼べずにいたとしたら。
僕はドアを開けて中に入っても良いのか?
入るべきなのか? それは警察沙汰ではないか?
正解がわからない。
入ることが勇気になるのか。このまま立ち去ることは臆病なのか。
ここまでくると分からなくなる。
道ゆく人にすがってたずねたいくらいだ。
…………帰ろう。
諦めた。僕は臆病者だ。
ドアから離れるように足を横に進めたときにそれがドアの向こうから聴こえた。
ダン!!
重量物が落ちる音に似ている。
爆発音ともとれる。
映像越しでしか聞いたことないが発砲音にも聴こえる。
その音でフリーズした僕の体とは逆に思考は一色だった。
ドアノブを回して引っ張る。カギは掛かっていない。
女性が一人で住むのにカギを掛けないなんてあり得るのか?
考えたってわかるわけがない。本人に聞いてやる。
ドアを開けると小ぎれいな台所とガラス戸。横の浴室とトイレには明かりは点いていない。
照明で照らされた黄色やオレンジなどの温かみのある色合いの部屋が磨りガラスの向こうにぼやけて見える。
「お邪魔します! 入るよ!?」
さっき聴こえた音の正体がわからない。何か物騒な事が起きているなら、このまま行くのは危険だろうか。
ならばと、僕はキッチンにある菜箸をパーカーの袖に隠した。
武器としてのチョイスで菜箸。何も言うまい。
「入るよ」と宣告しておきながら足音を消すように忍び足でガラス戸に近づき、ゆっくりと開く。
……誰もいない。
照明が点いている部屋は人形と小難しい本数冊が交互に並んでいる本棚が2つ、なんのキャラクタかは知らないが、リリカルなキャラクターが描かれたクッションと小さなガラステーブル。その上には文房具とノート。
何かが鳴った? 何が鳴った?
部屋はもう一つある。
左の引き戸をゆっくりと開ける。
「いる? 返事してくれよ」
もし、彼女が誰かに襲われ、拘束されているのだとしたら誰かが待ち構えている可能性もあり得る話だ。
隣の部屋は暗かった。何やら散らかっているがよく見えない。光がさす奥のベッドが映るが、綺麗に掛け布団がたたまれているのが見える。シーツの上には人の姿はない。
すぐに入って照明のスイッチを入れれば良いのだろうが、戸を半端に開けたまま僕は下がった。
部屋に無断で入ってる時点で足がガクガクなのだ。目が回りそうだ。
その時その時に常に適切な判断がとれる人間は尊敬する。
僕は、僕はどうすれば良いんだ。
改めて今いる部屋を見渡す。
テーブルの上にある開かれたノートを見る。
てっきり大学の講義の内容が書かれたものかとばかり思っていたがどうやら違う。
彼女の字で間違いない。
若干丸みを帯びたその時は、大きさと列に乱れがなく。機械で印字したように整っていた。
僕が彼女を好きな理由の一つに字が綺麗なところが挙げられる。
字が綺麗な人というのはそれだけで魅力が−−いや、それどころではない。
内容が異様、と言えば良いのか。
ノートに書かれているのはざっくりと。
“
・魔術言語のページ
「〜〜〜」でこっちの世界の3文字分が1文字。(ハートマークが描かれている)
1文字で1音節。文字の種類は33個!
頑張って覚えよう(横にかわいいくまの顔が描かれている)
「grd」「wrw」「prr」−−−−。
過去には減ったり増えたりしてる?
減った言葉のうち一つは特別な魔法が使えるみたい(横に小さく「あとで調べてみよう」)
・魔法陣のページ
魔術発動は魔法陣が必要。
大中小と分けられていて、いずれも円の中に自分が所属する属性界の模様を書かなきゃダメ。
私はエムレシアンだから星と周りにちょんちょん描くだけ!(太字で「楽チン」と添えられている)
円の数が多ければ多いほど規模が大きくなったり複雑な魔法が使える。
魔力的に3重が限界かな。(こっちにも熊のマスコットがいる。両手をあげて「がんばろ」と添えてある)
”
なんだこれは。いわゆる黒歴史ノートというやつか。
……僕も持ってるな。どこかに隠したままだが、思えば早々に捨ててしまった方が良い代物だ。
状況そっちのけでぱらりぱらりと見ていると背中の方からまたしても。
ズッドン!!
激しい音が響いた。
隣の部屋だ。僕はノートを片手に振り返り、急いで戸を全部開いた。
明かりが差し込み。部屋が見渡せる。
ベッドの前には魔法陣が書かれている。
ノートのあちこちに書かれているそれとかなり似ている。
バチン!!
魔法陣のすぐ上、空中で何かが光った。
目を疑った。
呆けて見ている僕に追い打ちをかけるようにインターホンがなる。
どんどん!
「あのぉ。さっきからうるさいんですけどぉ!」
隣人だろうか。ここは取り繕うべきだ。
僕は急いで玄関へ走り、ドアを開けた。
「何やってるんですか?」
「ああーあの、部屋の模様替えをしてましてー」
「はぁこの時間に?」
「ほんとすみませんすぐに終わるんで」
バチバチ! しゅぃぃぃぃ!
何の音っ!?
「変な音がしてるんですけど?」
「あーホントですね。エェー。とにかくすみませんでしたすぐ終わらせますんで!」
「だいたいね、あ、ちょっと!?」
「ごめんなさい!」
相手が何か言いかけてたが急いで閉めた。ついでに鍵も締めた。
それどころじゃない。なんかやばいぞ。
うっかり閉めたけど、助けを求めてもよかったんじゃないか。
とにかく部屋に戻ろう。
急いで戻ると、僕は固まった。
魔法陣の上には今までいなかった彼女が自分のお尻を撫でていた。
とんがり帽子に露出の高い茶色のワンピース。防寒具としての機能よりも見た目重視な黒い外套。
その身なりはまるでファンタジー世界の魔法使いだ。
彼女は僕にすぐ気づくのかと思いきや、どうやら周囲に飛んでいる何かに向かって話しかける。
「いったたたた。ほんっと何なのよ!」
いつからか彼女の周囲を飛び回ってる光は彼女の顔の近くでとどまりプルプルと震えると、言葉を発した。
「しょうがないやん。あなたの魔法陣が間違ってるんやん。
言語の書き間違いは致命的やん。あまつさえ発動中に書き直すなんて普通しないやん」
関西人が聞くと怒りそうな語尾だが、確かに日本語で話している。
「いい加減その語尾どうにかならない?」
「無理やん。ただでさえ人間の言葉は変換するのに魔力使うやん。
それを異世界の言語とか技術的にも、その、面倒やん!」
「面倒って言った! できるやん!」
うつってるうつってる。
「今すぐ語尾変えなさいよ! ほらほら!」
「よすやん! やめてやん!」
魔法の杖っぽい何かでつついてる彼女に、僕はようやく口を開いた。
「ちょっといいですか?」
敬語。
「きゃっ」
「やん!」
二人はこちらを振り向いた。
片方は光の玉なのだが、多分こっち向いてる、ような気がする。
固まる彼女と球体。
聞かないといけないことが多過ぎるが、その前に。
「お、お邪魔してます」
「いらっしゃいませ……?」
「おてもやん!」
「黙ってて! あ、あのこれ。そのー!!」
ああ、居た堪れない。
でも何だろう、この見たことない彼女の様子はまるで別人だ。
格好の話ではない。
こんな明るい一面を見たのは初めてだ。
「だいぶ見違えたね」
「あああ、あのねこれ、うん。実は私、コスプレが趣味で、そう。
ここ最近どハマりしてて、今日なんてずっとイベントに出ててさ。
ちょっと古いんだけどデジットモンスターの登場人物でさ」
ものすごい早口だ。
「んーと、そうね。あ、お茶出すね。ごめんね呼んでおいて、あれ私が呼んだんだっけ、あれー。あはは」
呼ばれてない。
いい感じでパニックだ。
彼女がこちらへ歩こうとすると彼女を進路を光の玉が遮る。
「オレはダージリンティーがいいや−−ゴッフォア!!?」
フルスイングした彼女の杖は球体を壁に叩きつけるに足るエネルギーを持ち合わせていた。
「これ。そーこれは。通販で買ったの!
アッポー社の最新のアイ……何だっけな!?
あ、すごいのよこれ。飛びながら会話ができるの。
歌とか歌わせられるの。
ヘイ。フーヤン! 歌を歌って!」
「…………。」
間。
「もー!!」
……ツライ。
彼女の顔は真っ赤で、目は何だか涙が浮かんでいる。
状況がまるで把握できてないが、このまま僕がいる訳にはいかない。
「お茶はいいや、帰るね」
「……違うの」
「……うん」
「聞いて……?」
「聞くよ」
「あー何て言っていいか全然わかんない!」
「落ち着いてからでいいよ。無事そうでよかった。
今日は帰るから、メールでもいいし。あ、店長に電話してあげて、心配してたよ」
「待って待って待って!」
彼女から”見られた以上ここで帰しちゃならねぇ”という気迫が感じられる。
僕はとりあえず彼女が落ち着くまで待つことにした。
テーブルのキャラもののクッションのある場所と向かい合うように座る。
お茶を淹れた彼女はキッチンから現れて、ミニスカを気にしてか股に手を当てながら移動する。
気にしすぎじゃないか。
気にしすぎてなんか、逆に煽情的だ。
「お茶です」
「はい、いただきます」
ずずっと飲むと、彼女の背中からひょいと光の玉が現れる。
「おお、ダージリンティーやん!」
「違います」
「やん」
ずずずっ。
球が紅茶を飲んでいる。
キャラもののクッションに腰を掛けて、目を閉じて深呼吸。
うー! っと小声で唸っている。まだ話を頭の中で整理できていないようだ。
これまで一緒にいるときは大人しめで、落ち着きがあり。
見た目以上に大人びていたイメージだったが。
今の彼女はまるで子供のような仕草が多い。
子供っぽいといえば聞こえが悪くなるかもしれない。
とても女の子らしい元気な一面だ。初めて見る。
「これはー。そのー、コスプレでぇ」
「もう無理だよそれ」
彼女の言葉をなるべくそのまま受け取りたい。
しかし一つの嘘を真実として誤魔化すにはさらに幾重もの嘘で囲んでいかなければならなくなる。
彼女の今の状況では苦しむ一方だ。
ならば、本当のことを話してほしい。
「あっちの世界って?」
僕はそう言って手に持っていたノートをテーブルに置いた。
”ああ、そりゃ読まれちゃうよね”って彼女の顔は頷きとともに真剣な顔に変わっていった。
「私、この世界と、ここじゃない、異世界? とを行き来できるの」
僕は「うん」と頷く。
まだにわかには信じがたいが、あの魔方陣から現れたのだろう。
ただ、現れたと言われてもその瞬間を見ていない。
どこかに隠れていて、僕が離れた瞬間を見計らって姿を現したのかもしれない。
それでも信じてしまうのは、やはりそこのティーカップの周りをふよふよと浮いてる光の球体の存在だ。
「いつから?」
「半年前くらいかな」
僕と付き合うちょっと前からか。
「魔法が使えるんだ?」
「そう」
僕からか簡単な質問を繰り返していく。
落ち着いてきたのか、いつものトーンに戻ってきた彼女はガチガチだった肩の力が抜け。
質問の答えも言葉数が増えていく。
「鍵かかってなかったよ?」
「あ、忘れてたかも今日急いでて」
「危ないな」
いつもの落ち着いた雰囲気。
僕は安心したのと同時に悔しくも感じた。
向こうではいつもあんな感じで楽しそうにはしゃいでいるんだろうか。
僕と居る時間は本当はとてもつまらないものだったのじゃないだろうか。
「もうひとついい?」
「何?」
「僕と一緒にいて、楽しい?」
「えっ?」
彼女は驚いたようだった。
「もちろんだよ。楽しい、一緒にいると落ち着くし」
「……そっか」
気を使っているのか、疑ってしまう。どうしたものか。
さっきの様子を見てしまった以上、どんな言葉を聞き出しても嫉妬心が拭えない。
僕はまだ子供なのだろう。
「ねえ?」
「うん?」
僕の声に俯く彼女、何か向けられる言葉を待っているようだ。
僕にはわかる。彼女が予想する言葉がなんなのか。
しかし言ってやるものか。
「僕もその世界に行ける?」
「ええ!?」
もしも別の男を連れ込んでいたり、僕に愛想を尽かされたというのであれば、あるいはそう言った話に持っていくことになっていたのかもしれない。もしくは女々しくも食い下がったりしてたり。
この場合はどうだろう。滾る嫉妬心の相手は世界そのものだ。
まともじゃない。
「行きたい?」
今の僕にはどうして良いかなんて正常な判断が下せるはずがないのかもしれない。
しかし、今の思いは頑なだ。
「行けるなら」
彼女は困った顔で再び問う。
「異世界に興味あるんだ?」
「ないよ」
「じゃあどうして?」
「僕は君を楽しませたい」
僕は正直に言う。
「小っ恥ずかしいセリフ」
「だね」
「ふふっ」
彼女は嬉しそうに笑った。
「わかった。良いよ。一緒にいこ」
「ありがとう」
「明日からで良いね」
「うん。よろしく」
「うん。よろしく」
「よろしくやん!」
あ、“アイなんとか”だ。
僕はつい笑ってしまった。笑う僕に釣られて彼女が笑うが、笑う理由がわかってないようで。
「え? 何よ」
「アイなんとか」
「あ、忘れてくれる?」
「嘘が下手なんだね」
さて帰ろうと。立とうとすると袖から隠していた菜箸がするりと落ちた。
「え? それ私の菜箸じゃない?」
「ああ、これ、ええっとこれはね」
僕は持ちながら考えた後、右手に持ち替えてフリフリと振った。
「指揮棒」
「嘘が下手ねー」
意地悪く笑う彼女の顔が面白くて僕も笑った。
次の日、僕は彼女に連れられ異世界へ行くことになる。
異世界へ飛び込む理由が“楽しんでいる彼女の姿に嫉妬したから”。
なんと締まらない理由だろうか。
これは誰にも言えないな。