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赤き羽根飾りの恋歌 8


 それは、白き者があらわれて月の満ち欠けが一周したころの夜だった。


「……今夜は外でたき火をしよう」


 リューランが、家の隅で三つ編み紐をつくっている白き者に声をかけた。


 部族では、晴れた夜はたき火を囲むことも多かった。広い草原、いくつかの集団でたき火を囲む者達もいれば、家族だけで、また嫁取りをしてまもない蜜月の夫婦などは、ずっと二人でたき火を囲む。


 草や木、布や皮で作る住まいは、雨もしのげ、横になってくつろぐことができるが、基本的に中で火が炊けないのだ。家族が多いものは大婆の占い小屋のように排気できるようにして竈をしつらえるものもいるらしいが、リューランの家を構えている場所は独身か嫁取りを待つような若い男なので竈はない。

 自然といままではそういう男達が夜はあつまり、たき火を囲んだものだったが、白き者がいついてからはリューランは誘いを断るようになっていた。

『逃げねぇんだったら家においてきたいいだろう。あの布巻きのチビ』

『そうだ布巻きのチビも、こちらの暮らしになれただろう、リューランもひさびさに酒をあおろう』

 などと声をかけてもらうのだが、「……今はまだ、木の実も割れんのだから」だとかなんとかかんとか言ってことわっていた。

 

 月の満ち欠けが一周してもまだ布にまかれている白き者に、部族の男たちもずいぶんと慣れてきていた。あの燃えていた塊のことは依然として何であるか不明のままだったが、白き者は無害らしいというのが、部族の男達の判断だった。

 リューランのそばで、巻かれた布からちょこんと顔だけだし、ただリューランのしていることを眺めている。もしくは、布のすきまから手をだして、小枝で地面に何かを描いている。そんな小さな生き物を、ずっと敵視するほどに部族の者達はしつこい性質ではなかった。

 

「たき火と言っても、わからないか」


 白き者に声をかけたものの、不思議そうな顔で見上げてくる女を前に、リューランは目を伏せた。

 いつもなら、このまま木の実や干し肉、穀物の粉で焼いた薄焼きパンを手渡して食事し、汚れていれば濡れた布で身体を清め、眠る。

 家の右と左の隅でそれぞれに丸まって寝る……そんな日々が続いていた。

 時には白き者が眠った後、家の戸口の外にでて、リューランは星明りや月明りを頼りに武具や小物の手入れをすることもあった。だが、基本的に夜は白き者は眠るので、その習慣に合わせていた。


 突然、暮らしの流れがいつもと違うようになっても、白き者は困るだろうとは思う。

 けれど、リューランはどうしても今夜はこの白き者と共に外でたき火を囲みたいと思っていた。

 言葉で伝わらぬのは、今までの日々でよくわかっていた。

 リューランはいつも外出に使う背負い籠にたき火のための火打ち石などを入れた。食べ物も入れ、今夜のために準備していたものも入れた。

 布に包まれたままきょとんとした顔でリューランの動きを見守っている白き者の前で、リューランは赤羽根の上着を着た。襟飾りの赤羽根、大婆の占いで抜いたところは、先日フュイ鳥を捕まえて補充した。抜けた場所はない。というよりも、以前よりも赤羽根がふさふさと襟飾りとなっている。

 それからリューランはひょいと背負い籠を背負い、戸口を指さした。それから白き者を手招きすると、白き者も外に出ることを理解したのか、もぞもぞと布にくるまれたまま立ち上がった。

 リューランは立ち上がる白き者のそばにより、難なく片腕で抱き上げる。

 出会った頃は身体を強張らせていた白き者も、どうやら慣れて来たのか、抱きかかえられても硬くならず、最近はほんの少しだがリューランの胸板に身体を預けるようになってきていた。

 リューランの肩に赤茶の髪が触れる。それは綺麗にまとめられており、リューランが与えた紐で結んでいる。

 何も会話が成立しないが、この白き者は紐を与えると配色を考えて、リューランや他の男たちが驚くような編み方で組み紐を作るし、髪も自分できちんと編みまとめ、リューランが背を向けていると身体も清潔にしようとしている。

 

「白き者は器用だな」


 そう声をかけると、また不思議そうな顔をしてリューランを見た。怯える目はしていない。

 リューランは白き者を抱えて、家を出た。



 ****



 草原を過ぎる。

 部族の縄張りの中で、他の者が騒がしいたき火をしておらず、かつ危険な獣たちの縄張りや獣道には近づかず、風があまり強くないところをここ数日吟味していた。

 良い地が見つかり、そこに白き者をいざなう。


 手際よくたき火を用意し、白き者の座る場所を作る。

 だんだんと火が強くなる。木の爆ぜる音がしはじめると、火であぶるとうま味が増す干し肉を火にかざす。

 最初はたき火の炎をおそるおそる見つめていた白き者だったが、燃え上がり、いい感じに肉の焼けた匂いがしてくると、くつろいだような表情を見せた。

 リューランはそんな白き者のまなざしや頬の赤みや口角のささいな動きをじっと見ていた。

 すべてを心に刻むようにして見ていた。

 

 木の実を渡す。もちろん硬い殻は割って。美味しいところだけを、そっとやわらかな手に渡す。

 白き者が瞬きして、小首をかしげる。

 あまりにその動きを見るたびにリューランは自分の胸が熱くなるので、最近は、自分も白き者と同じように瞬きして小首をかしげる動作を返すようにしていた。

 そうしてリューランが仕草をまねると、ほんの微かにだが、白き者の目元が柔らかくなり、口元が弧を描くようにみえた。


「今日は渡したいものがある」


 リューランはそう言い、持ってきた背負い籠から出したものを白き者に突き出した。

 驚いた顔で白き者はそれを見つめる。

 受け取らないので、リューランは白き者にぐいぐいと押し付けた。

 それは、薄い赤色に幾つか花の刺繍が施されている布。


「……女物の衣服がようやく手に入った」


 白き者は、いままでリューランがぐるぐると巻いてきた布と違う、見るからに刺繍が入り華やかな様相の布に戸惑っているようだった。

 仕方なくリューランは立ち上がり、それを広げた。

 それは頭からかぶり、広がる裾を身体に巻き付け、あとは紐通しのところに紐をとおして結ぶという、部族の女が着るものだった。

 首元から足首ほどまで隠れ、袖も手首と肘のあいだくらいにまでは覆われる。

 大きな布であるが、布自身は軽い、また刺繍をほどこしてあるので身体に巻いて着付けたときに、足や胸元や背中に美しい花模様がくるようになっている。

 紐も用意してきていたので、リューランは立ったまま、ざっと着方を仕草で示した。

 それから目を丸くしてリューランを見上げる白き者に突き出す。今度は、理解したのか、白き者が布の合間から小さな手をだしてきた。

 受け取ってから、小首をかしげる。そして、今巻かれている布を示し、それから、与えた衣服を指さした。

 なんとなくリューランには、着かえていいかとたずねられている気がして、


「着かえていい、背を向けている」


と言って、白き者に背を向けた。

 たぶん、伝わったのだろう、白き者がごそごそとたき火から離れ、籠などの荷物を置いたところまで移動した気配がした。

 布をはずす音がする。

 リューランは、胸が熱くなってくるのを感じた。なぜかはわからないが、胸が高鳴る。

 しばらくして衣擦れの音が止まった。

 リューランは「ふりむくぞ」と伝わらないのを承知で宣言してから、振り向いた。


 リューランは息をのんだ。 

 

 ――花だ。たおやかな、花だ。

 

 薄い赤色の布地、着方は危うくまだぶかぶかしているが、その布から白い手指が見える。足先は、いつも布でくるんでリューランが運んでいたので、今は素足だった。その白き足。

 目を移せば、いつも布に埋もれていたほっそりした首。

 赤い唇と、大きな瞳がリューランを見ている。

 編んだ赤茶の髪は、今はたき火の影になり暗くみえるが、きっと朝日の中でみると、すべてが花のようであろうとリューランは思った。


 ドクドクと胸が鳴る。

 なんといっていいかわからない。

 呆然と立ちすくんでいると、白き者が折り目正しくたたんだ布をリューランの方にわたしてきた。今まで巻いていた布だ。

 リューランは無言で受け取り、どうしようもなくてドスンと座った。つられるようにして、白き者も座る。


 リューランはふと自分の首元の赤羽根の飾りが目に入った。

 いくつも重ねた赤羽の飾り。

 衝動的に、リューランはそれをつかんでむしった。

 糸が切れる音が響く。

 リューランはむしりとった赤羽根を白き者に突き出した。

 たき火に照らされる大きな瞳と目が合う。リューランは赤い羽根を、白き者の編まれた赤茶の髪の耳元にそっと刺してかざった。白き者はなすがままになっている。

 白き者の白い頬に、赤が映える。


「俺の赤だ。赤羽根だ。……受け取ってほしい」


 わかっていた。言葉では伝わらない。

 リューランは白き者を赤羽根で飾ったあと、おもむろに立ち上がった。

 そうして空を向き、獣の咆哮のごとく大きく口を開けた。

 腹いっぱいに息を吸い、そして、腹の底から声を出す。

 歌いだす。

 白き者が驚いた顔をした。その横で、リューランは全身を使って声をあげ、そして大地を踏み鳴らした。

 舞うように腕を振り上げ、身体を揺らすと、リューランの赤羽根がひらひらと踊る。

 リューランの刻むリズムにあわせ、赤羽根が鮮やかに夜を彩る。


 それは雄鳥が雌に恋の踊りを見せるかのよう。

 

 見てくれ、俺を。

 知ってくれ、俺を。

 ――そばにいてくれ、俺の元に。


 たき火の木の爆ぜる音など、リューランの歌と踊りにかき消されてしまう。

 その熱き踊りはたき火の熱に勝る。

 リューランの踊りを目の当たりにした白き者の頬もまた、赤く染まってゆく。

 たき火の熱のためか、リューランの踊りの熱さのためか。


 たき火の周りをまわるように踊るリューランが、数周回ったときだった。


 小鳥がさえずるような声が聞こえた。


 リューランが動きを止める。

 声の出どころを見つめる。


 白き花が、歌っている。

 赤羽根に彩られた、たおやかな白い花。

 求愛する赤羽根の鳥に応えるようにして、そこで聞こえるは、激しさと熱気に満ちたリューランの歌と踊りと正反対の、穏やかなさえずり、清らかな鈴の音。

 

 リューランは白き者が歌うのを初めて聞いた。

 赤い唇が動いている。

 リューランにはわからぬ言葉だが、その調べは優しく麗しく、今しがた自分の熱を込めた歌と踊りが恥ずかしくなるような清らかさだった。

 緻密な音の動き、繊細な調べ。

 白き者が、リューランを見る。

 リューランは、固まったまま身動きが取れない。

 白き者は安らかに微笑みながら歌っていた。

 笑みを、リューランに向けてくれていた。 


 胸が詰まって、苦しくて、息ができないとリューランは思った。 

 子供のころ川であそんでいて溺れかけて苦しかったよりも、断然今の方が苦しいと思った。

 

 あえぐようにして、リューランは歌う白き者に手を伸ばしていた。

 白き者が伸びて来たリューランの腕から逃れようとしなかった。

 筋肉が編み紐のようになっている太い腕は、細心の注意を払い、繊細な白い花を抱きよせた。

 リューランはそっとそっと花を抱きしめた。


 清らかな歌が止まった。

 赤羽根が揺れる。

 たき火に照らされた人影に、ふわりと舞う赤羽根が混じる。

 二人が身動きするたび、赤羽根が優しく揺れていった。



 

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