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赤き羽根飾りの恋歌 3


 走り出したリューランを追うようにして、武器を手にしたほかの男たちも駆け出す。

 その駆け出した男たちに、まだ成人の儀を迎えていない少年たちが、慌てて大きなツボを抱えて男達を追いかけ始める。

 勝手しったる男達は、走りながら少年たちが差し出すツボに指を突っ込み、走りながら、自らの額、頬、顎に線を描くように塗っていく。


 塗るのはどろりとした白の呪い薬。

 指先で描かれ、褐色の肌に浮かび上がる、白の線。

 額の白は、武運を。

 頬の白は、身の安全を。

 顎の白は、勝利を。

 

 目尻の赤の入れ墨は白で汚さぬようにして、走りながら入れる文様。

 リューランは走りながら矢を背負い、差し出されたツボには、指を一気に三本突っ込んだ。

 そうして、振り返りもせず叫ぶ。


「もういい、俺が最後なら、戻れ! 女や子どもの住まいを守れるのはお前たちと爺どもだけだ、行け!」

 

 叫びながら、雑に額と頬、そして顎にざっと白く紋をいれると、荒々しく口で白い薬をぬぐった。もちろん足の速度はゆるめない。

 飛ぶように走り抜けていくリューランを、部族の男達も一気に追った。



 火の粉があがる近くに着くときには、リューランは、この先に燃えている何かが異様なものであることはわかっていた。

 まず匂いがおかしい。

 草木が燃える匂いではなく、もっと煙くさく嗅いだことのないような濁った匂いがした。

 吐しゃ物や糞便のような臭気ではないが、胸がむかむかとするような煙の臭いに、リューランは悪酔いしそうになる。

 嗅いだことのない異臭にリューランは布で口と鼻を覆うようにぐるぐると巻いた。

 

「リューラン、気をつけろ」


 くぐもった声に後ろを見れば、リューランと同じく口と鼻に覆いをつけているザンザイだった。

 その後ろに幾人もの男たちが来てはいるが、皆、この臭いにまいっているらしかった。せきこんでいる者もいる。

 ザンザイがリューランの横にならぶ。

 

「火は広がっていないようだな。もう燻っているだけか」

「あぁ、だが、なんだあれは。あの大きな塊は……。 あんなもの、ここにはなかったはずだ」


 ぼそぼそとリューランとザンザイが話していると、リューランの耳が何か異質な音をとらえた。

 燃えている音ではない。部族の男達の話声や、咳き込む音ではない。


 獣の無き声……?

 いや、人の声か?


 ザンザイの耳もとらえたのか、目配せしてくる。

 リューランは矢ではなく、背負ってきた石斧を手にした。横ではザンザイが得意の縄を構えている。


 この黒い煙の向こうに、火がくすぶる何か大きな塊がある。

 そこから聞こえる何かの獣に備えつつ、にじりよるようにして、煙の方向に一歩進んだ。

 その時だった。

 何か白い物体が飛び出してきた。

 その姿を目にしたとたん、リューランは石斧は振り捨て、素手でその飛び出してきたものをむんずと捕らえ、瞬時に屈強な腕で脇に抱えるように羽交い絞めにした。

 口と予想したところを毛皮で抑え込み、噛まれないようにする。

 仕留めた獲物はリューランの腕の中でもごもごと動いているが、力は強くない生き物のようだった。そもそも干し肉のように痩せている。爪も立てられぬ様子にリューランは警戒しながら相手を締め上げる力を若干ゆるめた。


「なんだこれは……獣か?」


 ザンザイが火をつけた松明をかかげ、リューランの腕の中でもがいている生き物が明るみにする。

 周囲に咳き込みながらも男達が集まる。

 リューラン自身も明かりに照らされた腕の中の獣を見て、思わず息をのんだ。 


 そこには、リューランの見たことがない色があった。

 川底で拾える石のような白い肌。朝焼けのような明るい赤の毛。

 そして、驚いたようにこちらを見上げる二つの眼は、新緑の若葉のような色。

 

「……形としては、人、なのか」

「まさか女か?」


 すでに嫁を迎えている年かさの男が、リューランの腕の中の生き物の全体を見まわしていう。

 女という言葉に、未婚の男達はぎょっとした顔をして色白の獣を見る。 


「女? これが?」

「そもそも……色が白いぞ。なんだこの肌は。髪は赤のような茶のような色だぞ? 目の色も葉の色だぞ。新しい猿じゃないのか」

「猿のメスか」


 男達が口々に言う。

 誰も見たことがない生き物を前に、これをどうしていいのか考えあぐねている。

 そんな中、別の男が声をあげた。 


「人じゃないのか? 身体に衣をまとってるじゃないか。獣は服を着ない」

「たしかに……だが、これが服?」


 また別の男の一人が、身体にまとっている布を引っ張ろうとした。そのとき、若葉色の瞳がいっきに怯えの色に変わり、首を強く横にふり、何かをわめきたてた。

 きゃんきゃんと泣きわめく声は、女こどもが泣くときの声に似ていなくもない。


「やはり人なのか……」


 ザンザイが持っている縄をもてますようにして呟いた。

 リューランがザンザイの方に目を向けると、困り果てた顔をしていた。獣であれば縛り上げるのだが、人であれば、そんなことをしていいわけがないので迷っているのだろう。

 リューランはまた自分の腕の中の生き物を見た。

 顔は涙をにじませた瞳、険しい顔つきをしているが、リューランの腕には生き物の震えが伝わってきていた。


「他部族の者が舞い込んだのか?」

「そうともいいきれない……こんな肌の白い部族はいない。それに、もしいたとして、女がこんな足や腕をさらし、胸も腹の形もわかるような衣を認めている部族など……野蛮な一族に違いない」

「たしかに」

「そうだそうだ。自らがこの衣をまとったのではなく、飼っている主人がこの白い猿に着せたのかもしれん」

「どちらにせよ、まともな部族とは思えんな……」


 男達は不可解な蛮族の女らしき者を見下ろした。


「占いの大婆様に見てもらうしかないだろう」


 男の一人が言い出した。


「そうだな。こんなよくわからない輩を女たちの住まいに入れていいわけがないし、かといって俺らの手にもあまる。占いの大婆さまにみてもらおう」

「そうだそうだ。この燃えた塊もこの生き物が持ち込んだものかもしれない。水をはこび、燻る火を消してから調べねば」


 男達の会話を、リューランは黙って聞いていた。

 『大婆さま』という言葉がでた瞬間、ザンザイが物言いただけにリューランを見たのには気づいたが無視した。

 リューランはザンザイの視線から目をそらし、腕で抱きかかえている塊に目をやった。

 片腕で簡単に抱えられるひ弱な生き物だというのに、涙をこらえるようにしてキッとこちらをにらんでいる。……実は震えながら。

 

 それは手負いの獣のようにも見えたし、人にも見える気がした。そう、かつてまだリューランが母と共に暮らしていた幼き頃の記憶にある、姉たちのような「女」と見えなくもないと、リューランはおもった。

 抱えている身体は細く、己のような男たちとは全く違う。

 だが、囲んだ男達が「干し肉のようだ」といったが、抱えるリューランにはそれが適切でな言葉でないことがわかっていた。

 

 痩せているが、硬いわけではない。 

 羽交い絞めにしているその身体は、骨が細くすべてが華奢なだけであって、しなやかさがあり柔らかい。


 ……そう、柔らかいんだ。

 

 リューランははっとした。

 柔らかいということを自覚したとたん、腕を動かし、白い肌の生き物を抱えなおしていた。

 親を亡くした幼獣を拾ってしまったときのように、そっと両腕で包むようにして抱える。

 腕を動かした瞬間、生き物は恐れるように眉を寄せて、身体をふるわせ逃げようとし、リューランの腕を蹴ってくる。だが、リューランにとってその生き物が懸命に出す力は悲しくなるほどに弱かった。

 その弱弱しさが、リューランには妙に苦しく感じた。 

 悲しくて苦しいというのが自分でも理解できず、リューランはおもむろに白い肌の生き物の頭に触れた。

 肌には毛がはえていないのに、頭の毛は赤茶で長い。その毛を撫でた。

 その赤茶の毛を撫でてみると、ほんの少し胸の息苦しさが収まった気がした。

 手に触れる赤茶の毛は、煙にまかれていたせいか煤けた匂いがするが、撫でてみると艶がある豊かなのがわかった。

 数度撫でたとき、白い肌の生き物が細い手指でリューランの手を押し返してきた。

 か細い指なのに爪だけが尖って長いようで、その爪がリューランの手に食い込んだ。だがリューランの厚い肌には、その爪ぐらいでは擦り痕は残せても傷をつけることはない。

 

 リューランはまたなんともたまらない気持ちになって、その手を握り返していた。

 片手ですべて握りこんでしまうくらいに、ちいさな手だった。



 

 



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