クロノユメ
私と母はアパートで二人で暮らしていた。
私が中学一年のときに実家を離れ、越してきた。
不自由の無い生活。若い母の、笑顔。
私にとって、とても充実した生活だった。
私が高校に入学して暫く経ったある日、私は母と喧嘩をした。
お互い、自分の非を認め素直になることが苦手で、ずっとギスギスしていた。
・・・そして仲直りできずに三日が経った。
八時二十八分。
母が作った夕飯をただ口に運び、咀嚼、そして飲み込む作業。それを淡々と繰り返す。
会話は行われない。ただ静かな空間。
味なんて感じない。固いか柔らかいかだけ。
「・・・ねえ」
母が感情のこもっていないような静かで冷たい声をだした。
「ん」
私も、聞こえるか聞こえないかくらいの声で返事をする。
・・・。
四秒間。無が通過する。
「・・・なに」
聞こえなかったのかと思い、私はドスをきかせて声を発した。
「御免なさい」
「・・・ぁ?」
「母さん、薬飲み忘れてた。それと生理が重なっててすごくイライラしてたの」
母は鬱病を患っていて、仕事に支障が出るほどなので抗うつ薬を服用していた。
「・・・だから、許してって言うの?」
「・・・」
「母さん、前に言った!『怒るのも死ぬのも勝手だけど、子供を巻き込むな』って!イライラしてて、僕に八つ当たりしたから今こんなことになってるんじゃないか!それで今になって『薬飲み忘れた』だの『生理が重なった』だの。」
「・・・」
口を開かない。
しかし私は続けた。
「都合良く考えるな!」
三日間、積もりに積もった感情を吐き出した。
「・・・・・・死ぬ」
「え?」
「死ぬ時は一人で、死ぬ」
そう言って母は部屋に入っていった。
それで会話は終わった。
私の部屋。殺風景。
私は部屋の片隅で自分を責めていた。
まだ高校生になったばかりだった私には、母の辛さが解っていなかった。
怒りに支配され、相手の気持ちを考えることなんて出来なかった。
どうしようもない気持ち。もやもや。何とも形容できない嫌な気分。
・・・一時を過ぎた。さすがに眠い。
強力な睡魔が脳を襲う。
あくびをしながら、布団にもぐる。
すぐに視界が暗転した・・・。
起きた。・・・気がした。
おかしい。目は開いているのに視界が真っ暗だ。
・・・そうだ。夢だ。
こんなに意識がはっきりしている夢は初めてだ。
少し時間が経てば起きるだろう。そう思った。
「・・・。」
一秒間をも感じられるせいか、『少し時間が経つ』のが長く感じる。
どうもおかしい・・・。
待てども、夢からは覚めなかった。私は少し歩くことにした。
そして歩きだそうとした時、あることに気づいた。
身体が固定されたかのように動かない。感覚から体制を察する。そして、自分がどうなってるのかようやく理解した。
「いま、僕の身体、丸まってる・・・?」
そして、突然意識が途切れた。
起きた。・・・今度は本物だ。身体が気だるい。
不気味な夢だった。思い出すと気分まで暗くなりそうだ。
ずっと真っ暗な世界だった。
目が覚めると、大抵見ていた夢は忘れてしまうものだが、先程まで見ていた夢は、感覚まではっきり覚えていた。
学校に行き、マンネリ化した授業。
気だるいので50分が余計に長く感じる。
鐘の音が鳴り響く。今日の授業が終わる。
部活には入っていないので、即帰宅。
怠い。今日は早く寝よう。
「・・・」
昨日のこともあり、更に気まずさが増した食卓。
私も母も言葉を発しない。
そして私は夕飯を食べ終え、自分の部屋に戻る。
宿題を終え、予習も済んだ。あとは寝るだけだ。
私は布団に潜り目を瞑った・・・。
気がつくと、昨日見た夢と同じ世界。
不思議だ。2日続けて同じ夢を見るなんて。
私は感覚を研ぎ澄まし、更なる発見を試みた。
そして気づいた。
「・・・温かい。」
私の体温と同じくらいの温度を肌に感じる。
温もりだ。安心する・・・。ずっと浸っていたい・・・。
そんな気持ちになるような温かさ。
まだ何かないかと、更に感覚を研ぎ澄ます。
しかし、意識が途切れた。
目が覚めた。夢で感じた温もりがまだ残っている。幸福。
そして枕元の時計を見て、すぐに現実に戻される。
出校。
・・・また身体が怠い。どうしようもなく、怠い。
若干だが、意識もはっきりしていない。
ふらふら歩いているのを保険の先生に見られ、保険室につれていかれた。
頭がぐらぐらする。
血圧を計られている。・・・正常。
脈拍。・・・これも正常。
「・・・ただの、寝不足、です。」
途切れ途切れに言う。
「何時まで起きてたの?もしかして寝てないの?ーーーー」
・・・まだ何か、話している。でも、聞こえているのに、理解できない。
「ーーーー。」
先生が何かを言って、私をベッドまでゆっくり移動させた。
そこから、記憶が、無い。
気づけば、また真っ暗だ。
身体がおかしいのはここが関係するんじゃないか?
ここにいると身体は何も問題無い。
「どうにかしないと・・・っ!」
動かしにくい身体を何とか動かし足を伸ばした。その時だ。
見えない壁に足がぶつかった。
「どうしよう・・・。」
予想外の事態に困惑していた。
そのときだ。
今まで感じなかった、『音』が聞こえた。
いや、これは『声』だ。日本語だ。辛うじて聞こえる。
「・・・ぁ・た・・・け・・・・た・よ」
内容は理解出来ないが、確かに日本語だ。
この真っ暗な空間に外がある。もう夢とは思えない。
自分の存在を伝えるため、もう一度蹴り、そして耳を澄ましてみる。
そして、さっきより鮮明に聞こえてくる。
「・・・た・・たけった・・もうす・・・」
もっと耳を澄まし、集中する。
「すご・げんきね・・・あ・たそっくりかも」
・・・そっくりかもって?なんなんだ?
結局、困惑しただけだった。
意識が途切れてすぐに、目を覚ました。
先生が顔を覗いている。
「喋れる?」
不安そうな顔で先生は尋ねてきた。
ゆっくり首を縦に振る。
「・・・よし。えっと、まず、君は保険室のベッドで寝た。記憶はある?」
「・・・はい。」
「うん。そして今は夜十一時。」
「ぇ」
「うん。驚くよね。十三時間寝てた。もとい、気を失ってた。お母さんに連絡しようと思って、何回も電話を掛けたんだけど・・・家は留守電、携帯も出ない。だからひとまずここで看てた。」
私はペコリと頭を下げた。
「もう大丈夫です。看ててくれてありがとうございました。僕はもう帰ります。」
ゆっくりとベッドから降り、帰宅の準備をする。
「あ、夜も遅いし、車で送るよ。遠慮しないで?」
「ありがとうございます。わざわざすみません。」
深々とお辞儀する。
「いいのいいの。先生だから。」
先生の車を見送り、私は玄関の鍵を開けようとした。が、回らない。つまり、既に開いている。
母さんが閉め忘れたんだ。ろくでもない。
ガチャンと鍵を閉め、食卓へ向かう。
唐揚げと味噌汁にラップがしてあった。
レンジで温めて、さっさと食べ終え自室に向かった。
相も変わらず暗い夢。
しかし、ひとつだけ違った。
揺れている。ごとごとと。そして急に止まった。かと思うと、また揺れ始める。
そんな不規則な揺れが暫く続いた。
外はどうなっているんだろうと、耳を澄ます。
そして、聞こえてきたのは、
「・・・・うぅ!・・ぁぁ・・・ふぅ」
呻き声?
何か緊迫感を覚える。
しかし私にはどうしようもなかった。
時間が経った。そして気づいたら目が覚めていた。
朝だ。
学校に行く準備をする。
朝ごはんを食べに食卓にいく。
しかし母の姿は無い。
いつもなら既に起きている時間だ。おかしいと思い、母の部屋を覗く。しかしここにも母の姿はなかった。
諦めて登校することにした。きっと母は早くから仕事に呼び出されたんだ。
コンビニでごはんを買って食べることにした。
コンビニでおにぎりを買おうとレジに並んでいた時だ。急に、来た。眩暈だ。
眩暈に対して何もすることが出来ず、世界が反転。つまり倒れた。
周囲がざわついていた。薄れゆく意識の中で得た最後の情報だった。
暗い。また夢が覚めるのを待つんだ。
いい加減この不気味な夢ともお別れしたい。
しかし今回の夢で今までの夢であった様々な現象や謎は解決した。
「・・・でくだ・い。」
「・・・・うぅ・・・ああう!」
なんだ!?頭が引っ張られる!
苦しい。痛い。
呼吸が辛い。
しかし、この一連の夢の中で初めて見たものがあった。
光。一筋の光だ。
今までなかった光景だ。
私は無我夢中で光が差す方向へ進むように身体を動かした。
「頭が見えましたよ!」
「もうすぐです!頑張って!」
「ううぅ!ふぐうぅぅ・・・っ!」
七分と十八秒が経過した。
私は声を発しようと喉に力を入れた。しかし、発音が出来ない。
「ああぁぁううう!えええう!」
自分でも何を言ってるか解らない。
しかし、だんだん理解してきた。
私は、今、たった今、産まれた。
それを理解したとき、頭に稲妻が走った。ここから私の人生は始まったんだ。
あなたは人生をやり直したい、と考えたことはありますか?
もしやり直すなら、いままで得たもの、感じたこと、記憶したこと、全てを失い、一からやり直すことになりますよ?
そして産まれたその瞬間から前の人生で歩んだ世界は消え去ります。
そして産まれたその瞬間から次の人生が始まるのです。
文章、思想、夢等々、様々な形であなたの世界は崩れ去り、あなたは新たな世界に降り立つのです。
※このお話は全てフィクションです