夜の子と昼の子
「……悪いことは言わん。そいつはやめておけ」
「なぜです!」
師匠であるジャン司祭の言葉に、鼻息も荒くミルマは噛み付いた。
二人の前には二人の男女。とはいえ、年の離れた兄弟ほども見た目の年齢狩りれている。二人の足元に影ができていないことは、師匠にも見えているはずだ。男の背後に隠れた少女を睨んで、ミルマは叫んだ。
「神に背いたヴァンパイアが2人も村に入り込んでいるんですよ。怯える村人達のためにも……!」
「あたくし達、村人を怯えさせるようなことをした覚えはありませんわ!」
金色の髪を振って高い声で抗議する少女の瞳は紅い。その小さな身体を背に庇った男が、肩を竦めてジャンの方を見た。
「まあ、我らの存在そのものが昼の子にとって脅威だというのは認めざるをえんが。しかしながら、弟子の振りかざしておられる知識のない正義は、師匠の責任ではないのかね」
紳士然とした、しかし厳しい内容の男の言葉に、言われた当の本人はくたびれた表情でガリガリと後頭部を掻きむしってボヤいた。
「優しいやつなんだが、こう……思い込んだら一直線の猪みたいな奴でなぁ」
「……互いに苦労をする」
「どういう意味ですかっ!」
「どういう意味ですのっ!」
男2人のぼやきに、ミルマと少女の声がハモった。
修道女として神に仕えて5年。ジャン司祭について悪魔祓いを学び始めて2年。実戦に出て1カ月。月明かりの中で見つけた少女の足元に、あるはずの影がないとわかった瞬間、ミルマは迷いなく十字架を構えた。
「お前……ヴァンパイアだな!」
怯えた表情を浮かべ逃げ出した少女を追って村の中を駆け抜け……そして、少女が男の足元に隠れたのを見て、ミルマも足を止める。
「ルーベン卿っ!」
「おお、どうしたレーナ。お前から私に抱きついてくれるなどなんと美味しげふゥっ」
「ふざけてないで前を向いてくださいませこのアホ血親!」
レーナと呼ばれた少女は力一杯ルーベン卿と読んだ男を蹴り倒した。
蹴り倒された男はのたのたと立ち上がり埃を払って視線を前へ投げてくる。勿論、その先にいるのはミルマだ。
「ヴァンパイアが2匹も……! 覚悟なさい。神の名の下、揃って滅ぼしてやるわ!」
声高に叫んで十字架を突きつける。
「……ほう」
声にならない悲鳴をあげて男のマントにしがみついた少女を背中に庇い、男はミルマを紅い瞳で見据えた。
……十字架を見て怯えていない。それだけで、男がかなり強力なヴァンパイアであることがわかる。実戦に出て1カ月とはいえ、本物との接触は初めてだ。戦えるか。はぐれた師匠を探すべきではないか。つう、と背筋を冷たい汗が流れていく。ミルマは恐怖を抑え込もうと十字架を構え直し、睨む目に力を込め直した。
と、その時である。背後から土を踏みしめるブーツの音が聞こえてきた。
「おいおいミルマ、置いていくなよ全く……」
ぼやくくたびれた口調は師匠のジャン司祭だ。ミルマは振り返らず構え直した。師匠がいてくれるなら心強い。これでなんとか戦えるはず……。
しかし、背後に立ったジャン司祭の気配が少し変わり、それからいつもの口調になってミルマに声をかけてきた。
「ミルマ」
「はい!」
「……悪いことは言わん。そいつはやめておけ」
……そして、冒頭につながるわけである。
「君は見ない顔だ。ヴァンパイア狩りに出るのは初めてかな」
「……答える義理はない!」
ルーベン卿と呼ばれる男に問われ、ミルマは警戒心むき出しで言い放つが、
「あー、そうなんだ初めてってわけじゃないが、本物に会うのはこれが初めてでなぁ」
「司祭様、あっさりバラさないでくださいっ!」
即座にジャン司祭がこれを肯定し、ミルマは顔を真っ赤にして悲鳴をあげることになった。
「ふん、ヴァンパイアハンターのひよっこがこのあたくしにあんな無礼な口をきくだなんて。ジャン司祭、貴方の教育がなっていないのではなくって?」
「お前、司祭様を馬鹿にする気か!」
明らかに強力と分かる男はともかく、その足元に隠れた少女にまで高圧的に出られたミルマは、途端に怒り十字架を構え直すも、
「悪いなレーナちゃん、俺も先生としちゃまだまだひよっこなんだ。大目に見てくれよ」
「司祭様っ、そんな近所の女の子相手にするような口調で謝らないでくださいっ!」
即行で軽く謝罪を入れるジャン司祭に若干涙目になりながら抗議する。その言葉に司祭はミルマを見返し、ガリガリと後頭部を掻きむしった。
「そうは言ってもなぁ……ミルマ、お前さんとんでもないのを見つけ出してくれちゃって……」
「とんでもないの、とはよく言ってくれる。なあ、レーナ」
ルーベン卿は軽く苦笑し、背後に隠れるレーナの髪を撫でた。子供扱いしないでくださいませ、と言いながらも素直にそれを受け容れる少女に、ミルマは何となく警戒心を緩めてしまう。ヴァンパイアとは思えないほど優しげな雰囲気がその場に流れていたからだった。
「とんでもないの、だろうがよ」
その姿に若干呆れた表情を浮かべたジャン司祭はぼやく。
だがぼやきとはいえ、ミルマはその内容に戦慄させられる羽目になった。
「まだお若いとはいえ、リヒター家の始祖様とその始祖様に血の洗礼を受けたご息女だ。とてもじゃないが駆け出しが手を出せる……いや、名のあるヴァンパイアハンターだって手を出せる相手じゃねぇ」
「……始祖?」
始祖と、その息女。2人が血の洗礼で繋がった親子であることはわかっていたが、始祖と、その息女。それは……それは……。
……ミルマの知らない情報だ。
「……し……!
……しそって、何ですか……」
消え入りそうなミルマの言葉に、その場にいたミルマ以外の全員が派手にこけた。
「……ジャン司祭」
マントとジャケットを直しながら、ルーベン卿が額に手をやる。
「……先生としてはひよっこと先ほど貴殿は言ったが……これはひよっことしても余りに……その、粗末ではないのかね」
「いや俺教えたぞミルマ! 教えたよな、ね、ミルマ!?ミルマさぁん!?」
慌てた様子でジャン司祭はミルマに詰め寄る。ミルマは慌てて記憶を辿った。
「えっとあの、教わったよーな、教わらなかったよーな……」
「いやそれ俺絶対教えてるってばァァァ!」
頭を抱えて仰け反る師匠の絶叫。ミルマは慌ててなおも記憶を辿るが、なんだか聞いたような聞いてないような、曖昧なものしかない。
「あの……えっとホント、しそって何……」
恥ずかしさのあまり消え入りそうな声で訴えると、ため息まじりにジャン司祭が口を開いた。
「……ご本人を前に説明するのか?」
「して差し上げてはどうかな?」
からかいを含んだ声でルーベン卿が言う。観念したようにジャン司祭はもう一度ため息をついた。
「いいか。二度は言わんからな」
「はい!」
思わず、目の前に宿敵がいるのも忘れて姿勢を正す。それを確認したジャン司祭は、人差し指をくるくる回した。人に何かを説明するときの彼の癖である。
「人間がヴァンパイアになる方法はなんだ?」
言われて、ミルマは眉を顰めた。そのくらいなら分かる。
「吸血行為、です」
「そうだ。ヴァンパイアは何度も吸血を繰り返し、衰弱させて誘う。強い力を持っているヴァンパイアであれば、一気に死なない程度に衰弱させる事もある。ここでもヴァンパイアの力を知る指標になるわけだ。何度も何度も吸血し、何度も何度も誘わなければ、相手を仲間にできないのか、それとも一気に力を奪い、その上で相手を従わせるだけの力を持っているのか」
ここで一旦言葉を切って、ジャン司祭はルーベン卿を見やる。ちらりと見られた件のヴァンパイアは、曖昧な視線をと手の動きでジャン司祭に続きを促した。肯定も否定もする気はない、といいたいらしい。ジャン司祭はそれ以上何も言わず、ミルマを振り返った。
「人間はヴァンパイアに吸血され、仲間になるよう誘われる。誘いを受け入れた者は死の直前に『血の洗礼』を受ける。死者がヴァンパイアに転生するのはこの『血の洗礼』のためだ。洗礼を受けてヴァンパイア化した者を『血娘』あるいは『血子』、洗礼を施したものを『血親』と呼ぶ。両者の関係は非常に深い。主従としても、そして、親子としても」
「……この場合、そこにいるルーベン卿……? が『血親』、そしてそこの子が」
「レーナですわ。というか、あたくしあなたよりはるかに年上なのですけど。年上に『この子』呼ばわりだなんて、無礼なハンターもいたものね」
なんとか自分の中で情報を消化しようとミルマが口をはさむ。と、それにレーナと名乗った少女が嫌味で返した。むっとしてミルマが睨むと、ちょうどたしなめるようにルーベン卿がレーナを振り返ったところである。とたん、レーナはつんと唇を尖らせそっぽを向いた。白いほほに金色の髪、赤い瞳が不気味だが、整った顔立ちはお人形のようで、むっとしていた気分がなんとなくそがれてしまう。気を引き締めなおし、ミルマは咳払いした。
「レーナ……さん、が『血子』?」
「そうだな、そのようになる」
今度は、ルーベン卿のほうから肯定の言葉。ジャン司祭はうなずいて、それから言葉を続けた。
「ヴァンパイアに洗礼を受けた者はヴァンパイアになる。じゃあ、その『血の洗礼』を施した側のヴァンパイアは、誰にヴァンパイアにされたんだ?」
「それはもちろん、そのヴァンパイアの『血親』……」
「じゃあその『血親』をヴァンパイアにしたのは?」
「えっと……」
ミルマはそこであることに気が付いた。それでは計算が合わない。血の洗礼を施した者は、別の存在から血の洗礼を受けている。その別の存在はまた他の存在から血の洗礼を……。
……では、その源流には何があるのか。
「最初の質問に戻るぞ。
ヴァンパイアになる方法は何だ? 吸血以外で」
「……それは」
ミルマはこたえられなかった。ヴァンパイアになるための血の洗礼。だが、それを受けずにヴァンパイア化した者がいなければ、この流れは絶対に生まれない。そしてそれがおそらく……。
「ミルマ。お前が考えている通りだ。ヴァンパイアの中には、何かの理由で血の洗礼を経ずに不死の道へ至ったものがいる。大抵は膨大な魔道の知識を持ち、その上で……神が背負うことすらできぬほどの大罪を負った者。彼らのことを、全てのヴァンパイアの父、母……すなわち、『始祖』と呼ぶ。ルーベン=フォン=リヒター卿、彼はまさにその、始祖だ」
言って、ジャン司祭はルーベン卿を振り返る。ルーベン卿は何も言わず、静かに口元を緩めていた。ミルマは思わず一歩後ずさった。ただ立っているだけの男が、とたんに恐ろしいもののように見えたのだった。
「始祖はその不死者への至り方から、聖書、十字架など、あらゆる魔よけが一切通用しない。銀でならば一応、傷つけることはできなくはないが……あまりにも強力過ぎて、とてもじゃないが生身の人間が互角にやりあえるような存在じゃない。相手にする前に見なかったことにするのが一番いい。……幸い始祖の数は少ないし、出会う頻度も確率的に0に限りなく近い。それに顔も名前も知れ渡ってるからな」
「……何で私の顔見るんですか」
ミルマはじろりとジャン司祭をにらむが、言いたいことは大体わかる。顔も名前も知れ渡っているような有名人の顔を知らなかったミルマが悪いのだろう。
「でも……見逃す、なんて……」
知らなかったから言えるだけなのかもしれないが、ミルマにとっては強力すぎる存在だから戦わず見なかったことにするという方がおかしい気がする。どんな方法でヴァンパイアになったとしても、ヴァンパイアはヴァンパイアであることに変わりはない。人間をエサ扱いして、殺す事になんのためらいもないモンスター。いくら強力だからといって、強い相手だからって、自分が死んでしまうとしたって、それを見逃すことなど……。
「ミルマはヴァンパイアに良くない印象を持っているようだ」
ややあって、ルーベン卿が静かにそう囁いた。その後すぐに、当然だな、と続ける。
「ヴァンパイアに殺されかかった者、大切な人を殺された者。昼の子にとってヴァンパイアの業は深かろう。始祖ともなればその業は計り知れぬ。
レーナ、そろそろ戻るとしよう。我らが出しゃばらずとも、この村にジャン司祭とミルマがいるのなら問題はあるまい。
……それから次に人里へ出てくる時までに、覚えねばならぬ事も増えたようだしな」
言いながら、ルーベン卿はすっと右掌で地面を払うような動作をしてみせる。すると、その手の動きに合わせるように、二人の足元に黒い影が現れた。思わず目をみはったミルマの肩を、ジャン司祭が叩く。
「……言い忘れていたが、ハンターが始祖と事を構えない理由はここにある」
ジャン司祭は、静かにヴァンパイアの二人を見やる。
「始祖は自分の力への絶対の自信からか、他のヴァンパイアに比べて理性的だ。なるべく人間と事を構えず、有事には人を助ける事もある」
「……ヴァンパイアが人を……助ける?」
そうだ、とジャン司祭は頷く。その視線の先では、ヴァンパイアの親子が口論を展開している。とはいえ、レーナが一方的にルーベン卿の胸をぽかすか叩き、ルーベン卿がそれを笑顔で受け入れているという異様な光景なのだが。
「さっき卿が言ってたろ。自分達が出しゃばらずとも、俺とミルマがいるなら大丈夫だって」
「それって……?」
さあな、とジャン司祭は地面を蹴りつけた。
「だが、卿が言うなら間違いない。この村には何かある。警邏を強化しよう」
「はいっ!」
姿勢をただしたところでもう一度ルーベン卿親子を見てみれば、ルーベン卿は地面に倒れ、その尻をレーナが一方的に蹴りつけていた。蹴られているルーベン卿の表情が割と嬉しそうなのは何故なのだろうか。
「……司祭様、さっきあの、始祖のことすっごく強いって仰いませんでした?」
「……うん、言った」
「ですよね絶対強いから事を構えるなって言いましたよね」
「……うん、言った。覚えてる」
ジャン司祭が髪をかきむしる。視線の先で血娘に蹴られて嬉しそうに笑うルーベン卿がいる。ミルマは顔を覆って呟いた。
「……なんでしょう私、今私でも始祖に勝てるんじゃないかって」
「……すげーよくわかるけど、あの影消してないところを見るとそれはやめといたほうがいいなって俺は思うなぁ」
ぼんやりつぶやくジャン司祭の声が、ミルマにはえらく大きく聞こえたのだった。
《了》