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花鳥月酔─幕末異譚─  作者: 黒川恵
壱、 迎春の宴
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 2

 伊東が趣向した宴は迎春の祝いを兼ねてか、振る舞われる酒や肴、芸者や妓女たちも皆、最上級ばかりが揃っていた。しかしそれを奢ることなく、隊士たちひとりひとりに対し、おおらかに親しみを込めて接してくれる為、時が経つのも忘れて盛り上がる。

 ふと、酒で満たされた盃を唇に寄せた斎藤は、おもむろに離してかたわらの女芸者を見やった。

「今、何刻だ?」

「そろそろ暮れ六つになる頃かと」

 その返答に、斎藤は顔をしかめた。

 新選組には夜の門限が定められている。当然、規則を破った者は処分されることになる。ましてや、他の隊士らの手本となるように厳しく指導されている役付きの者であれば、最悪の場合、切腹が待っていた。

 島原の街は、以前あった壬生の屯所を南下したすぐのところに位置しており、西本願寺に居を移している今、門限に間に合うか間に合わないかの微妙な距離だと言えた。

 ちいさく舌打ちをした斎藤は、右隣に座る永倉に耳打ちする。

「ああ? 門限? 気にするな、伊東先生がなんとかしてくださる」

 そう言って笑った永倉の顔を、斎藤はじっと見つめた。

(この態度、最初から知っていたな)

 永倉の酔眼に、普段見掛けない翳りを見いだした斎藤はちいさく嘆息をつく。

 永倉の気持ちがわからないでもないからだ。

 共に京都守護職である会津藩主に直談判した記憶はまだ新しく、いまだ局長近藤に対する不満が解消されていないのだろう。

「憂い顔だぞ、斎藤君」

 含みを持たせた笑みを浮かべた伊東が声を掛けてきた。

「そろそろ門限です。帰りませんか?」

「何、構いやしない。この酔い心地で隊に戻れば興醒めするではないか。後のことはこの伊東甲子太郎が引き受けよう。今宵は隊のことなど忘れて存分に飲み明かそう」

「おう、そうだっ」

「そうよ、我らには伊東さんが付いている。恐れるものなどないわ」

 伊東についてきた者たちが次々に賛同する。

「……ですが」

 それでも躊躇する斎藤に、伊東の眼光が鋭くなった。しかしすぐに溜め息をつくと、傍らにいる大夫に酒を注がせる。なんとも気障っぽい、舞台役者のような仕草だった。

「……それほどまでに、局長や副長が怖いのかい?」

 伊東の問い掛けに強い反応を見せたのは、斎藤の隣にいた永倉だった。

「誰が怖いものか。あんな百姓あがりの土侍が!」

 酒で上気していた永倉は立ち上がり、勢い良く片袖を脱いで啖呵を切った。だが、酒のまわりが一気にきてか、身体を揺らして座り込んでしまった。

「斎藤君はどう思う?」

 そんな永倉を苦笑して見ていた伊東が、改めて斎藤へと視線を向けてきた。

 一見にこやかに眼を細めてはいるものの、探りの入った視線に、ふらつく永倉を支えていた斎藤は低く唸った。

「しかし切腹ともなると……」

「観念しろよぉ、斎藤!」

 やや呂律が回った口調の永倉が斎藤の肩を抱き、酒臭い息を吹きかけてきた。

「切腹がなんだ、切腹が。見事にかっさばいて、あいつらを黙らせようぜ」

 局長の近藤は然理心流三代目・近藤周助にその腕を見込まれて養子となり、四代目を継いではいるが、その生まれは農家の三男である。副長の土方もまた、豪農の六男として生まれている。

 逆に幕臣である山口家に生まれた斎藤と、松前藩士の子として生まれた永倉は、あきらかに近藤らとは出自が違っていた。

 武士としての窮屈な枠を嫌い、脱藩までしている永倉は、己が捨てたはずの環境を求めてやまないふたりの胸の内を、真正面から見つめられないのだろう。

 それは脱藩というやましさからなのか、未練なのかはわからない。ただ、武士よりも武士らしさを重きに捉えている近藤らに対して、微妙な反感と皮肉を感じずにはいられないのだろう。

「よし、こうなれば呼び出しが掛かるまで帰らんからな。永倉、責任を取ってもらうぞ」

「その意気だ、斎藤っ。俺もとことん付き合うぞ!」

 片膝を立てて胡座あぐらいた永倉が笑う。

 彼が持つ自由快活さに溢れる笑顔は、周囲の者たちの気分を明るく染め上げた。

「さあ、もっともっと酒の用意を!」

 伊東の満足げな声が高らかに挙がった。

 舞台役者らしい一面を持った伊東は、場の雰囲気というものを流石に良く見ている。

 充分酔っているはずの斎藤の伏せた目が、伊東の上機嫌な表情を捉えていた。そして、今日集まった隊士たちを改めて眺めてみると、伊東派ばかりが揃い過ぎた光景に、少なからず居心地が悪く感じた己を薄く笑う。

 斎藤はちらりと永倉を見やって、再び盃を煽った。

(伊東派ばかりの酒宴、それも居残りになるのを承知で参加したとなると、まず思い浮かぶのは、局長へのあてつけだな。……だが伊東は、このまま局長と永倉との溝が深まるのをただ待つだけの男じゃない)

 だが、後からの飛び入り参加である自分をも快く迎えた伊東の考えがわからない。なにしろ永倉は、原田と共に行動することが多々ある。その原田は既に、彼らとも仲の良い藤堂と遊郭へ出掛けていたのは、はたして偶然だったのか。

 偶然ついでに、藤堂は伊東と同じ北辰一刀流の出だ。また、近藤に伊東を引き合わせたのも彼だった。

(藤堂は永倉たちとは試衛館時代からの付き合いだそうだが、同門だった山南総長が脱走し、切腹した辺りから、彼らとはどこか線を引いている。代わりに、同門の伊東たちと共に行動している姿を見かけることが多くなった……)

 長年の付き合いがある永倉たちよりも、同門の絆が勝ったのか。

 もし、天秤が傾いたきっかけが山南の死だとしたら、計画的に永倉と原田を引き離したことも、鬱憤晴らしに伊東の酒宴に参加する永倉が、普段ひとりでいることが多い斎藤を誘いやすいように仕向けたことも、藤堂は承知の上でした行動なのだろうか。

(参ったな、伊東の目的は、永倉と見せ掛けておいて、俺なのかも知れない)

 伝え聞くところ、斎藤の剣の実力は伊東すらも一目置いているのだと言う。

 なんとなく尻がむず痒く感じた斎藤は、苦く笑うのだった。

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