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花鳥月酔─幕末異譚─  作者: 黒川恵
四、 月下の告白
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 8

「私は貴女を失いたくありません」

「だが、妾が傍にいては、そなたの寿命が早まる」

「ならば私の命を奪ってください。貴女の糧となるのも本望です」

 吏鶯の真っ直ぐな眼差しに、魔性は微苦笑を漏らした。

「……そなたの泣きそうな表情かおを好む妾だが、泣いている顔はどうも居心地が悪くて仕方がない」

 吏鶯のまなじりから零れ落ちた涙を唇で受け止めた魔性は、困ったように──だが、とても優しげな声音で囁いた。そして首だけを巡らせて、息を飲んでいる岩倉を振り仰ぐ。

「ここはそなたの出番ではないかえ?」

「……都合良く使ってくれる」

「利用できるものは利用する。そなたが得意とすることを見習ったまでよ」

 岩倉は、心底嫌そうに顔を歪めた。

「言っておくが、私は大人しく利用されたりしないぞ」

「それでよい。妾では泣いて愚図る吏鶯を上手く宥めてやれそうにもない」

 だから何とかして欲しいと、傲慢なはずの妖らしからぬ言葉に耳を疑った岩倉は、どこか途方に暮れながらも滲み出る愛情深い微笑に目を奪われてしまう。

 図らずとも魅了に陥った岩倉だが、すぐにかぶりを振って自身を立て直した後の行動は、素晴らしく迅速だった。

「いつまでも見苦しい」

「なっ」

 あろうことか岩倉は、閉じた扇の先端で吏鶯の額を押し退けるように突いてきたのだ。

 この状況下でされた信じられない仕打ちに、魔性を拘束していた腕が解けたのにも気付かず、唖然とした顔で岩倉を見る。

 岩倉は心底うんざりとした顔をしていたが、依然華のある雰囲気に揺らぎはない。

「相思相愛なのは十分理解した。だが、一時の感情に流されるのは感心しないな」

「一時の感情な訳がっ」

「喚くな」

「……っ!」

 再度扇で突かれた額に手をやる吏鶯は、目を丸くして岩倉を見た。


 くすくすくすくす……


 ふたりの男に挟まれていた魔性が、さもおかしげに笑い声を立てた。気まずそうに互いを見やった彼らは、それぞれ苦虫を噛んだ顔になる。

「そなたらは余程気が合うと見える」

「やめてください」

 即答する吏鶯の顔は疲れて見えた。

「そんなに毛嫌いしなくてもいいのに」

 悲しいな、と寂しげに呟いたかと思いきや、にやにやと笑い出す岩倉を、吏鶯は険しい目つきで睨み付けた。

「まさか私に好かれているとでも?」

「……手厳しいな」

 苦笑する岩倉を無視して魔性を見下ろした吏鶯の目には、怒りが宿っていた。

「確かに私は貴女のものです。しかしだからと言って、私の進退を勝手に決めないでください」

「だが、そなたの命にも関わること」

 叱られた幼子のように悄然とする魔性に、吏鶯は怒りを解き、苦笑を零した。

「告白しましょう」

 戸惑う魔性に、もう一度微笑み掛ける。

「私は死にたいと思いながら、実のところは、己の存在を誰かに赦されたいと願っていました」


 ──認めてしまった。


 吏鶯の口元で力の抜けた笑みが滲んだ。

「それなら──」

 期待の込められた岩倉の声に、おもてを上げた吏鶯は緩くかぶりを振った。

「確かに貴方からの誘いに揺れたのは事実です。ですが既に私は、自身の存在意義を見出していた後。この事実は覆ることはありません」

 一呼吸置いた吏鶯は、再び魔性を見下ろした。

「私の願いは、貴女と出逢えたことで既に叶っていたのです」


 ──ですから、真実、願うことは別にあります。


「そなた、まさか……」

 魔性は吏鶯の決意に気付き、絶句する。

「告げる前に、心を読まないでください」

 悪戯が露見した子供のような、屈託のない笑顔が零れた。

「私は貴女のものです。……ですが、お忘れですか? 貴女は私のものでもあるのです」



 『燕君えんき



 揺るぎない想いを込めて、吏鶯は魔性の『真名』を紡いだ。 


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