表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花鳥月酔─幕末異譚─  作者: 黒川恵
四、 月下の告白
44/47

 7

 ふたりの動揺に臆することなく、斎藤の口元には自然な笑みが刻まれていた。

「俺の決着はついた。悪いが、一抜けさせてもらう」

「……そんな」

 愕然となる吏鶯に、斎藤は意外げに目を瞬かせた。

「愛しい女を斬られる心配がなくなったんだ。寧ろここは、喜ぶところじゃないのか?」

 確かにそうだ。あれほど警戒していたと言うのに、いざ解消された後に感じるこの喪失感は何なのか──。

 それが答えられず、吏鶯は口を紡ぐ。

「貴殿の闇は、俺よりも深い。どちらを選ぶのか興味はあるが、留まって見守るのは流石に悪趣味だろう」

 身体ごと振り返った斎藤は、吏鶯の顔を見つめた。最後まで救ってやれなかった藤堂の顔がかすかに重なり、苦笑を禁じ得ない。

(……救ってやれなかったなど、呆れたおこがましさだな)

 そう、あの結末を望んだのは、藤堂自身の意志に他ならない。斎藤は吏鶯の顔を──見えもしない藤堂の幻影を、じっと見据えた。

「一さんの心配顔も板についちゃったね」

 いかにも藤堂らしい、皮肉った物言いの幻聴が聞こえてきそうだった。

 それは自己満足からくる甘えからなのか、それともあの女が魅せる最後の不思議だったのかは解らない。ただ、照れた顔をした藤堂がこちらを見て笑うのが見えた。

 後はもう、抱えきれずに取り零してしまった、藤堂が藤堂とたらしめていた多くの輝きを、命が尽きる寸前でもいい。何かひとつでも拾い上げてくれていたらと、切に願うばかりだ。

 そしてそれは、藤堂の幻影が消えても尚、存在する若き僧侶──吏鶯と名乗る青年に向けて願うことでもある。

 彼もまた、己と似た闇を抱えている。

 生に対する執着はどこか希薄で──それはもしかしたら罪悪感があったのかも知れない。だからこそ誰かに断罪されたいと願っていた。

 だが、結局それは一種の逃避でしかない。

 真実心に秘めた想いは、己と同じであって欲しいと願うのだ。

「貴殿の闇が晴れることを願う」

 そう言って、斎藤は今度こそ踵を返したのだった。


「……どうゆうことだ?」

 心の機微にも聡いはずの岩倉は、吏鶯を顧みる。頭では理解できた答えを、心がそれを否定していたからに違いない。

 人が抱く闇が魔性を産み出しているなどと──己もまた、魔性に力を与えていたひとりなのだと、認めたくもないからだ。

「……まさか、そんな……」

 口中でちいさく呟く吏鶯には、岩倉の声も、斎藤の想いも届いていなかった。

「残念なことよ」

 斎藤の後ろ姿を見送っていた魔性は、せつなげに溜め息を漏らした。

「椿姫」

「気付いてしまったかえ?」

 縋る想いで問い掛けた吏鶯に、悪戯が見つかり叱られる童女のように笑った。

「では、やはり……」

 そして、二の次が出てこない吏鶯の身体を優しく抱き締める。

「そう、ヒトが抱く闇が晴れれば、妾も見えなくなる。寺の僧侶たちなどは、一度魅了から醒めた後は誰も妾を目に映しはせなんだ。それは、糧と成り得る闇が浅い為。……ましてや、糧がなければこの身を保つのも危うい。それが妖というものよ」

「椿姫っ」

 吏鶯は力を込めて魔性を掻き抱く。

「……話し聞かせたことはなかったが、現世にこの身が具現したのは、今回が初めてではない」

 にいっと笑う魔性の眼は、暗い深遠を映したかのような瞬きが宿っていた。その瞬きを間近で見下ろした吏鶯の背筋が凍り付く。

「ヒトの手によりこの地がひらかれてからは、時は移れど同じ場所で幾度となく乱が起きてきた。世が乱れる度にヒトの残留思念とも呼べる闇が濃くなり、この地に深く染み込んできた。この闇こそが妾のような妖を産み出しておる。ゆえに妾たちは人形ヒトガタを模す。しかし、この身を保つ闇がなくなれば淘汰される身でもある。消えてしまえば、己の意志で具現化できる訳ではないゆえに、次がいつかはわからぬ」

 己の秘密を告白する魔性は、吏鶯の顔を見上げた。

「具現する度、気紛れでヒトを相手にしてきたが、所詮しょせんは糧。飢えて渇いていなければ、暇潰しの玩具でしかなかった。だが、そなたに二度と見つめてもらえないのは寂しいと、初めて感じてしまった」

 吏鶯の頬を指で触れながら、魔性はゆったりと微笑んだ。

「貴女を生かす為ならば、喜んで闇を飼い慣らしましょう」

 縋り付くように懇願する吏鶯の姿に、魔性の喉が鳴る。

「そなたが持つ闇は特別ゆえ、それは無理なこと。妖の妾を成人にしても尚晴れぬ闇は、その身に宿る皇の血に宿る闇のせい。そなたに宿る古き血脈は、千年にも及びこの地に根ざしてきたもの。土地に染み込む恩讐に最も影響を受けやすい業を持っておる」

 そして、ふと柳眉を顰める。

「妾に関わらずとも、その身に宿る闇に沈むのは明らか。闇そのものの妾では、血脈の浄化は適わぬ。より強い闇の支配で追い払うことしかできぬ。だが、それも気休めでしかない。それに妾の支配を受け続ければ、死を早めてしまう。そなたがいるからこそ、今世に意味がある。そなたの死期を早めるのも、そなたのいない来世にも興味が持てぬ。だからこそ、妾を消滅させるだけの力を持つあの男に殺してもらおうとしたが、振られてしもうた」

 悄然と肩を落とした魔性は、吏鶯の腕の中で苦笑う。

「……惚れた弱みかのう」

 滲み出る笑顔の美しさに、吏鶯の表情が歪んだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ