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花鳥月酔─幕末異譚─  作者: 黒川恵
四、 月下の告白
42/47

 5

「そなた、妬いておるのかえ?」

「吏鶯の願いを引き出してもいないのに、乳繰り合うのはやめてもらおうか」

「宮仕えにあるまじき下品な物言いよのう」

 柳眉を顰める魔性の言葉に、岩倉の頬が強張った。

「……今すぐにでも排除できたなら、どれほど胸がすくことか」

 情念が籠もった怨磋えんさの言葉を呟いた岩倉は、手に持つ扇で吏鶯たちの背後を指し示した。

「おまえが連れてきて、放置しているあの侍は、一体何者だ?」

 厄介事を増やしてくれるなと、岩倉は嘆息を零す。

「何故、彼がここに?」

 吏鶯の声に険が宿るのも、毒気を抜かれた顔で立ち竦む斎藤の姿が、振り返った先にあったからだ。

「そなたや妾の為に連れてきた。だが、この男もそなたと同じ目的で、ここへ来る途中ではあったがな」

「私と貴女の為──?」

「……私にも解るように説明してもらえるかな?」

 答えを聞かせても理解できていない吏鶯と、不機嫌そうに口を挟んでくる岩倉とを交互に見やった魔性は微笑んだ。

「妾を殺してもらおうと、呼び寄せたのよ」

「椿姫っ」

「ほお、それは興味深い」

 強い非難声と、疑わしいがそれが事実なら喜ばしいと、歓迎する声が飛び交う。

「余程腕が立つのか、それとも特別な得物を扱うのか……」

 ゆるりと視線を斎藤へ向けた岩倉は、利用価値が上がった男の人となりを見極めようとする。

「名を何と申す」

 しかし、一向に言葉を発しない斎藤に、岩倉は拍子抜けする。

「……そなた、妖の不思議に囚われ、腑抜けたか?」

 の妖がこの男を認めている節があることから、さぞかし骨のある者なのだろうと期待していただけに失望感が湧く。

 見知らぬ公家から哀れむような蔑みを受けた斎藤は、頬を引きつらせた。

「突然あの女が現れたかと思うと、有無を言わさず不可解な力で連れて来られたんだ。今の立ち位置を把握し、動揺を宥めるのにも手間取るのは、お前と一緒だ」

 岩倉の頬も、ひくりと引きつる。

 一度姿を消した妖が現れた時にいたのではなく、吏鶯と対峙する以前からそこにいて見ていたのだと知り、岩倉の胸中では暗い嵐が吹き荒れた。

「……小賢しい口を利く。流石は、妖に見込まれただけのことがある」

 だが、自尊心を気付けられたことをおくびにも出さない。

「しかし、一介の剣士にお前呼ばわりは聞き捨てならない。この私、岩倉具視に向かっての暴言は高くつくと思え」

 公家の正体を知った斎藤は、意外げに目を見張ると不敵に笑った。

「高くつくと脅しかけても、護衛を連れていない様子を見ると、まさかそこの女に助けを乞う気か?」

 斎藤の言葉に、岩倉は不愉快げに眉根を寄せる。

「……どちらにしても俺は向かってくる敵をたおすだけだ。それに岩倉具視を殺せば、幕府側も泣いて喜ぶだろう」

「何?」

 訝しげに顔を曇らせた岩倉は、改めて男の全貌を眺め見た。

「新選組三番隊組長、斎藤一だ。相手が悪かったな」

 名を明かした斎藤を、岩倉は忌み嫌うかのように顔を歪めた。

 岩倉が抱く新選組の評価は底辺に近い。刀を闇雲に振るい、倒幕派の混乱を引き起こすだけの迷惑極まりない組織でもある。

 今でこそ幕府お抱えの臣となってはいるが、いまだに影で壬生狼みぶろと揶揄される人斬り集団としか認識していなかった。

 それでも、唯一好感が持てるとしたら、徹底した実力主義という側面だろうか。数多あまたいる剣客の中でも凄腕と恐れられる男たちは皆、幹部に集中していると聞く。特に一番から三番の長に居座る男たちが振るう剣は、獰猛な狼の牙のごとく血に飢え、敵も味方も恐怖に震え上がると言う。

 確かに相手が悪い。

 岩倉は狂犬を見る目つきで、斎藤の腰元に差された二振りの刀を見やった。

「その腰元にある牙は、向こうの妖だけに、是非とも振るってもらいたいものだ」

「もとより、そのつもりだ」

 いくら幕臣として格上げされはしても、嫌悪感も露わな岩倉の態度こそが、真実新選組に対する評価なのだ。

 斎藤の胸に黒い澱のような悲哀が沈む。その感情を押し殺した声音に、岩倉はふと興味が湧いた。

「そういえば、新選組から飛び出した者たちに御陵衛士と名を与えた経緯があった。伊東という小賢しい男から、そなたの名を幾度か聞いた覚えがある」

 岩倉の思わぬ告白に、斎藤は息を詰める。

「狂犬たちが集まる組織に属する一個人など、歯牙にも掛けなかったが、そなたのような面白い男がよくもあの中にいたものだ。伊東の言うまま、使い捨ての暗殺者として飼い殺すには惜しい人材だ」


 ──使い捨ての暗殺者。


 その言葉に潜む思惑に、斎藤の胸が軋んだ。

 やはり、危惧していた通りのことが画策されていたのだ。

「……俺を使って、新選組幹部を暗殺する計画は、立てるだけ無駄に終わっている」

「そうか。逆に暗殺されたのは伊東と言うことか」

 頭の回転が速い返答に、斎藤は目を瞬かせた。的確に言い当てられた斎藤の表情の変化に、岩倉は二度頷く。

「やはり、底の浅い男だったか。……そうとは知らず間者を引き込むとは、策士気取りが策に溺れたな」

 呆れたような──否、それも初めから解っていたとばかりに微笑んだ。

「剣の腕は勿論、内偵行為も得意となれば、そなたの存在価値はつり上がる。いっそのこと鞍替えをして、私の子飼いにならないか?」

「是と、応えると思っているのか?」

「思ってはいないさ。すぐ誘いに乗るようであれば、信を疑っていたところだ。だが、本気で誘ったのは事実だよ。これからの時勢に向けて、有能な人材は多く確保しておいて損はないからね」

 肩を竦めて見せた岩倉は、暗に斎藤を試していたのだと仄めかす。


 数多の剣達者たちを射竦めた斎藤の凍える視線をものとせず、岩倉はゆったりと微笑んだ。醸し出す華やいだ雰囲気が、彼の存在感に深みを持たせている。

 斎藤は知らず嘆息を漏らした。

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