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花鳥月酔─幕末異譚─  作者: 黒川恵
参、 御陵衛士
31/47

 4

 御陵衛士たちが奔走する中、脱走事件はあっけないほどに片がついた。それは伊東派とされる茨木以下、佐野に中村、富川の四人の切腹だった。

 会津藩邸の一室で六人の脱走者たちから傍を離れた彼らは、もう後がないと、別室で自刀して果てたのだ。

 他の六人は新選組に連れ戻されたが、佐野らの凄惨な最後を見た会津藩から温情を掛けられる。また、伊東派とは関わり合いのなかった平隊士だということもあり、即刻放逐された。

 近藤をはじめとする新選組は、彼らの武士としての死を最大限に悼んだ。

 守護職の屋敷から遺体を受け取ったその日の午前中に葬儀が行われた。屯所が西本願寺だからこそできる対応の速さなのか、それとも彼らの切腹が予め決まっていたからなのか、定かではない。ただその日は、午後から屯所を西本願寺から南東の不動堂ふどんど村に居を移すという忙しい日で、組葬と呼べるほどの大規模なものとなった。

 新屯所は、どうしても新選組を立ち退かせたい西本願寺が、全費用を負担して建築したもので、表門、高堀、玄関、長屋などが造られ、大名屋敷のごとく立派なものだった。

 長廊下の右側には平隊士の部屋が並び、左側には幹部たちの部屋。他には使者の部屋や小者の部屋、客室や厩舎もある。特筆すべきは、一度に三十人が収容できる大風呂が完備されていることだろう。これには医師の松本の意向が強く現れていた。

 そして表門には、厳めしい文体で書かれた新選組の標札が掲げられ、晴れて幕臣となった彼らに相応しい屯所となったのだった。


 対して御陵衛士も屯所を移転した。

 太閤秀吉の冥福を祈る為に、北の政所が徳川家康の協力を得て、東山に建て住んだ古刹でもある高台寺に。萩の名所としても知られている。

 その高台寺の境内にある月真院に引っ越し、門前には「禁裏御陵衛士屯所」の標札を掲げ、長く張り巡らした菊花紋入りの幕を飾った。まるで天皇お預かりの浪士隊と言ったていだ。


 ──ただただ、時間ばかりが過ぎていった。



 今はもう初秋を迎え、澄んだ月明かりに淡く反射する花々に囲まれた廊下を渡ってやってきた藤堂は、音もなく障子戸を開けて部屋に入ってきた。

「ここにくる途中、誰かに気付かれたか?」

 部屋の主である斎藤の声に、それまで神妙な顔付きだった藤堂は、人懐っこい笑みを浮かべてかぶりを振った。

「大丈夫。誰にも会わなかったし、布団にも細工をしておいたから」

「ならいい」

 自信ありげに言う藤堂が、この状況を楽しんでいるのが窺えた。元々悪戯が好きなひょうきんな男だ。嬉々として、いかにも眠っているかのように布団を細工をし、気配を殺して忍んできたのだろう。

 ならば伊東たちに、今宵のことを密告されている可能性はないとみていい。もし密告されているのなら、藤堂から僅かでも殺気や緊張を感じたことだろう。部屋の外にもそれらしき気配はない。

 万が一の為に、いつでも逃げ出せるようにと、胸元には雪駄を隠し持ち、剣を傍らに置いてもいたのだ。

「一さんって不思議なひとだよね」

「不思議? 確か、前にも同じことを言われたな」

「うん。表立って自己主張することがないから、割と地味な感じがするんだけど、接して見ると意外と存在感があって、印象が強いんだ」

「それは褒めているのか?」

 表情を曇らせる斎藤に、藤堂は唇の端を上げて笑った。

「普段は無口だから、ここぞって時の言葉には重みがあったり、核心を突いていたり、大人の余裕? ってのが感じちゃうんだよね。しかも剣の腕はぴかいちだし。もう、一さんってかっこいいっ」

「何度も訊ねるが、褒めてくれているんだな?」

「勿論だよ」

 にっと笑う藤堂は、ふいに真面目な表情になる。

「伊東さんがしきりと一さんのこと気にしていたから、ああ、こっちの陣営に引き込みたいんだなぁって、感じてはいたんだけど……」

 途中言葉を区切り、じっと斎藤を見つめた。

「冷静で大人な一さんは、決してこっちには来ないひとだと思っていたんだ」

「実際は御陵衛士ここに身を置いているがな」

 見込み違いだったなと、続けた斎藤に、藤堂はかぶりを振る。

「今までの新選組だったら、分離なんてことは絶対認めなかったはずなのに、許された。他の皆は伊東さんの功績だって言ってるけど、俺は違うと思う。……土方さん、ううん、新選組からていよく切り捨てられたんだよね」

 暗い光を宿す瞳を細め、ちいさく笑う。

「だから余計に、一さんがここにいることに違和感があるんだ。俺と違って切り捨てられるような人じゃないからこそ、何か意図を持ってここにいるって思えてしまう。……御陵衛士っていうのも、新八ちゃんが言っていたように胡散臭いよ。確かに」

「やけに冷静だな」

「考え込む時間が多いってことだよ」

「……胡散臭いと感じる訳はなんだ」

 斎藤の問いにちらっと笑った藤堂は、まぁいいかと呟く。

「伊東さんは薩摩藩に気に入られようと必死だよ。新しいまつりごとの担い手として加わりたいって豪語している人が、墓守りなんてやるはずないじゃないか。今夜だって、いそいそと薩摩藩邸に行っているしね。……前向き強気で自信家な伊東さんが、そんな辛気臭い仕事を好んでするはずないもの」

「だが何故、御陵衛士に入った?」

「……元々新選組に伊東さんたちを勧誘したのは俺なんだし。それにもう、同門を死なせたくない」

 項垂うなだれる藤堂に、斎藤は溜め息をつく。

「何故、切り捨てられたと感じたんだ?」

「何故って……!」

「俺がここにいる理由のひとつが、おまえを連れ戻してこいって頼まれたからだ」

 明かされた真実に藤堂は息を飲む。やはり何か含みを持って御陵衛士に加わったということだ。しかし藤堂は、裏に含まれた危機感よりも、告げられた言葉に衝撃が走っていた。

「……嘘だぁ」

 それしか言葉がでてこない。必死に動揺を抑えているつもりのようだが、顔の筋が小刻みに震え、泣き顔に近い表情かおになってしまっている。

「命令されたのではなく、頭を下げられて頼まれたからだ」

 だからここにいると、斎藤は言った。

「誰に頼まれたか、解るな?」

「こ、近藤さんかなぁ」

 懐かしい顔を脳裏に浮かべた藤堂は、他に違う人物の顔もちらついたが、すぐに打ち消していた。

「局長だけじゃない」

「……ありえないよ。あの人が頭を下げるなんて」

 それも俺の為にと、自嘲気味に呟いた藤堂は、寂しそうに微笑んだ。

「実際にされた俺でも目を疑ったさ」

 斎藤もまた、肩をすくめて笑った。藤堂とは違って、悲壮感のない笑みだった。

「……本当に?」

「よっぽど大事に想われているな」

「……ほん、とう……なんだ」

 確かめるように呟く藤堂の声が、揺れる。

「俺と隊に戻る気はないか?」

「……戻る?」

「皆が待っている」

「……皆。だ、駄目だよっ。今更そんな……」

「今更じゃない。おまえが必要だからこそ、俺がここにいるんじゃないか」

 苦しげに顔を歪ませる藤堂に、斎藤は力強く答える。

「……どうしたらいいのか、わからないよ」

 現在の御陵衛士たちは、新選組をあからさまに非難、拒絶をするなど、緊張感が張り詰めていた。やはり、佐野たちが切腹したこと。そして組葬と銘打って葬儀を急いだ近藤らに対する疑惑が彼らの苛立ちを駆り立たせるのだろう。衛士の長である伊東も、何度か接触を試みる近藤を避けるなど、強気とも取れる強固な態度を見せるほどだった。

 新選組に身を置いていたことなど、まるでなかったことのように過ごす日々だったが、実際のところは、新選組の動向をこれまで以上に注意深く静観し、警戒を強めているのだ。

 そうした中、最近の藤堂は市内の見回りにも出ず、薄暗い部屋で引き籠もるか、たったひとりでふらりといなくなるなど、情緒不安定な行動ばかりを繰り返していた。繰り返された同門の死に、藤堂の精神が酷く衰弱しているのは明らかだった。

 危険なこの時期に藤堂を部屋に招き入れたのも、見ていられなかったからだ。

「……自信が薄れたな。俺の言葉は核心を突いていて重みがあると言われたばかりなのに」

「そういえば、言っていたね……」

 お互い見やって苦笑をする。

「まぁ、すぐにとは言わない。ひとりで悩むくらいなら、また俺のところへこい」

「……うん。ありがとう、一さん」

 少しだけ表情がやわらいだ藤堂は、鼻から息を吐き出して肩の力を抜いた。

「御陵衛士にきてくれてありがとう。……本当は、結構心細くて仕方がなかったんだ」

 力弱く微笑んだ藤堂は立ち上がり、本音を漏らした。

「……遅いかも知れないけど、もう一度考えてみるよ」

「遅くはないさ」

「そうだといいな」

 見る者の心を締め付けるような、透明な微笑みを浮かべた藤堂に、斎藤の胸中で嫌な予感が広がり、ざわめきだす。

(もしかしたら、俺ひとりで御陵衛士ここを抜けることになるかも知れない)

 斎藤は暗い面持ちで藤堂を見送る。


 茨木たちの脱走事件以降、伊東の活動はより活発となり、倒幕派勢力とも垣根なく接触するなど、御陵衛士は最早、新選組が掲げる思想とはかけ離れた集団となっている。

 確かにあの一件で、新選組に対して僅かに残っていた遠慮がなくなったのだろう。

 伊東自身北辰一刀流の凄腕剣士であるだけに、斎藤の剣の腕前にすっかり心酔し、自分の側に侍らせていた。その際、色々と秘密事を明かす為、伊東と薩長との関係は筒抜けになっていた。

(信頼されていると言うより、試されてもいるんだろう な)

 実は今宵の薩摩藩邸にも同行を求められていたのだが、腹の調子が悪いと言って辞退していた斎藤は嘆息を漏らした。

 部屋を出て行った藤堂が最後に浮かべた微笑みが、どうしても脳裏から離れない。

(最近の藤堂は、新選組の用達をしている男と何かしら接触しているみたいだが……)

 それも近藤の細々とした用事を捌いている男な為、密かに隊に戻りたいのかと思っていた己は、もしかしたら検討違いをしていたのだろうか?

 嫌な予感だけが増えてゆく。

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