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花鳥月酔─幕末異譚─  作者: 黒川恵
参、 御陵衛士
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 2

「田中に続いての脱走か」

 呟いた斎藤は、硬い表情の篠原に視線を投げた。

「伊東先生は何とおっしゃっていた?」

「……分離の際交わした移籍禁止の取り決めがある。同士である茨木たちを迎え入れるにしても、時期が悪い。当面は表向き、新選組とは良好な関係を保ったほうがいいんだ」

「なら、拒絶か」

 斎藤の一言に、篠原は押し黙る。それは肯定しているのと同じ意味を持つのだが、脱走した者の末路が切腹しかないことは明らか。ほぼ確定された彼らの未来に、篠原にはどうすることもできないのだ。

 分離してすぐに田中寅三という隊士が脱走し、伊東に移籍を懇願するも、拒絶された例がある。彼は翌日潜伏先の寺院で新選組に捕縛され、帰隊後すぐに切腹している。それと言うのも、田中の潜伏先は、御陵衛士の組織防衛の為、伊東側から新選組に通報されていたのだ。

「彼らはまだ善立寺ここにいるんだな?」

 だが今回の脱走者の中には、伊東が敢えて新選組に残してきた同士たちがいることで、先の田中のように冷淡な対応が取れずにいるのではないかと、斎藤は睨んでいた。

「ああ。伊東さんと鈴木、それに新井が彼らの説得に当たっている。なかなか切迫した様子だが、どうにか京都守護職の屋敷に駆け込むよう、持ち掛けている」

 確認するように問い掛けた斎藤に、おおきく頷いた篠原は苦しげに顔を歪めた。

「茨木に佐野、富川に中村の四人だけでも、御陵衛士われらで預かることはできないのか?」

 それまで沈黙していた阿部が、心配げに曇らせた顔を上げて言い募ってきた。その胸の内には、田中の末路が重くのしかかっているに違いなかった。

 しかし篠原は力なくかぶりを振った。

「彼らを新選組に残すことが、分離の条件のひとつだったからな。彼らを通じて新選組の情報を探れる反面、人質のような立場でもあるんだ。大手を振って受け入れられるものじゃない。……ここは守護職に泣きついて執り成してもらうか、何としてでも時間を稼ぎ、打開策を考えるしかない」

「……そうか」

 がっくりと首を項垂うなだれたのは内海で、加納は憤然と顔を赤く染め上げた。

「新選組が幕府直参に取り立てられたと聞くぞっ。我らの仲間が幕臣になるなど、もってのほかだ!」

「……残留するだけでも心もたないのに、この上幕臣としての資格を得てしまう事態となり、余程困惑したのだろう」

 冷静に言を紡ぐ毛内もうないが、ちらりと視線を藤堂に投げた。

 膝を立てて抱え込むように座る藤堂は、部屋の隅にいた。表情は暗く、病人のように青白い。

「元々、清原と西登は出張中、富山は薩摩藩邸に、橋本は中岡慎太郎を頼りに出掛けたまま……」

 毛内の言葉が虚しく通る。

 彼の言葉通り、守護職屋敷以外に、脱走者を匿う場所の確保に奔走するつてがない面々にできることは限られていたからだ。

 こうして一室に集まり、沈痛な面持ちで誰かしらの報告を待つしか術がない。それは酷く息苦しい時間だった。

 ──中天の月がようやく傾いた頃だろうか?

 板廊下から聞こえてきた足音に、それぞれが反応した。

「何か動きがあったか?」

 毛内が立ち上がり、板廊下に接した障子戸を開ける。伊東と共に脱走者たちの説得に当たっていた新井の姿を見た毛内は部屋の中を振り返り、不安げに顔を曇らせる面々に視線を投じながらちいさく頷いた。そして、開けた障子戸から少し身を引き、新井を迎え入れる。

「どうなったっ、新井!」

 声を荒げる加納に、厳しい顔付きの新井は、自身を一度落ち着かせる為におおきく息を吐き出した。

「夜明けと共に、守護職邸に駆け込むよう、やっと説得することができた。今も伊東さんが脱退の嘆願書の文面を考え、茨木が清書し終えたところだ」

「夜明けと同時にか……」

「だとしたら、佐野らが無事守護職邸に駆け込みができるよう、我らで警備をするのか?」

 随分疲れた顔で報告する新井に怯んだ内海が唸り、篠原は心配げに囁いた。

 すると新井がかぶりを振った。

「既に脱退が知られている可能性がある。下手に警備を付けて見つかった時、言い逃げられない」

「……そうか。そう、だな」

 しかし、このまま夜明けを待つには、やや中途半端な時刻でもある。

「茨木たちと話をすることはできないのか?」

 かと言って自室に戻って眠ることもできず、内海は気遣わしげに呟いた。

「やめておいたほうがいい」

 仲間の気遣いに、新井は酷く疲れた顔で断じた。

「彼らは伊東さんに宥められて一応は落ち着いている。だが、我らの姿を見ればまた、茨木たちの感情が爆発しかねない」

 そうして肩を使って溜め息をついた新井の言葉に、誰ひとり反論することができなかった。

「局を脱すなという、法度はっとのひとつを破ってきたんだ。違反者がどこまでも逃げようが追い掛けられ、捕まったら切腹させられる。その恐怖に怯えている彼らに、伊東さん以上に上手く言葉を掛けられる奴はいるか?」

「……」

 重い沈黙が広がる。

「……こうして離れてみると実感するなぁ」

 部屋の隅でちいさく膝を抱えて座っていた藤堂が、面を上げて皮肉げに呟いた。

「組織としての新選組は容赦がない。……恐怖政治そのものだね」

 くつくつと喉を震わせ笑う声は乾いている。

「どこで変わってしまったんだろう? あの頃は確かに、みんなの笑顔があったのに…─」

 誰に問い掛けているのでもなく、自問している藤堂の表情はどこか危うげだった。

「藤堂」

 誰も声が掛けられずにいた中、斎藤が立ち上がり声を掛ける。

「恐怖だけで組織が成り立つと思っているのか?」

「そうとしか思えないよ」

 自嘲気味に呟く藤堂の前に座り直した斎藤は、真剣な眼差しで藤堂を見つめた。

 固唾を飲む周りの反応を背に感じながら、斎藤は言葉を選んで紡ぐ。

「結成当時、恐怖で支配しようとした男がいたが、その男の末路を忘れてはいないな?」

 戸惑いと驚きで斎藤の顔を見つめていた藤堂の脳裏に、ひとりの男の姿が蘇る。

 恐怖の代名詞でもある男。

 ──もうひとりの局長、芹沢鴨。

 新選組が発足して、しばらくした後に起きた事件。

 新選組に潜んでいた長州の間者たちに暗殺されたと、公式に発表がなされてはいたが、真相は隠しきれるものではなかった。

 会津藩お預かりの組織だけに、内々の要請を受けた近藤ら幹部の一部が結託し、芹沢の暗殺を行ったのだ。その幹部の中に、藤堂が兄と慕う山南もいたことは周知の事実だ。

「今の新選組があの時のように、個人の思惑で支配されているのであれば、会津藩は再び同じ処置を繰り返すだけだ。いや、今度こそ新選組自体を解体するに違いない」

「……」

「人を束ねるのに必要なものは、人望と信頼だ。だがそれだけでは、数が膨らみ過ぎた人心をまとめ上げることは難しい。必然的に集団としての決まりを作るほかはない。決まりがあるなら、罰則も必要だ。となれば、決まりを軽んじて破る者が多くなれば、どうな……」

「言いたいことは、わかっているよっ」

 藤堂は声を荒げてかぶりを振ることで、斎藤の言葉を遮った。

「頭では理解しているよ。だけど気持ちが、……そう、気持ちが悪いんだっ」

「──そうだな。俺だって人のことをとやかく言える立場じゃないさ」

 ぽつりと落とされた呟きに、気がこうじていた藤堂が怪訝な顔付きになる。

「一さん?」

「俺は集団に属すると、どうしてか影ばかりに偏ってしまう。俺という個は、日の目を浴びる性質ではないと知らしめられているようで、時々苦痛になる」

 そうして藤堂と目が合い、斎藤は苦笑いを零した。

「新選組から離れてみて、思っていた以上に呼吸が楽にできるようになった。……もう一度、己自身を見つめ直せている」

 そう言って立ち上がると、斎藤の思わぬ告白に戸惑う新井たちの前を横切ってゆく。

「どこへ行く?」

 毛内が一言、声を掛けた。

「厠さ。すぐに戻る」

 にっと笑い返し、部屋を出て行く。

「……斎藤さんは底が知れないな」

 狐につつまれた感が残る篠原は、低く呟いた。

「なかなか本心を喋らないことに歯痒く思うことが何度もある。が、いざ聞いてしまうと戸惑ってしまって、どう対応したらいいのかわからなくなる……」

「不思議な男だ」

 ちいさな呟きが、毛内のすっきりとした口元から零れ出る。

「いや、俺は、囲っている女に何度も贈り物をしていることを知っているぞ。何を贈ったら喜ぶか、相談されたこともある。意外と豆なところがある男だ」

「俺こそ斎藤さんが目利きした刀を、三日前に譲って貰ったばかりだ。新選組にいた時から、他の隊士たちが順番待ちをするほど、斎藤さんが選んでくる刀剣は確かなものが多いんだ。こうして譲り受ける順番を待たなくてもよくなったこと、俺としては大歓迎だ」

 にやつく内海と、ほくほくとした顔で傍らの剣の鞘を擦る阿部が、次々に喋り始めた。

「斎藤の言葉が妙に耳に残る。普段無駄口がないせいなのか、ひとつひとつの言動が重々しく感じるのだとしても、こう、何か琴線に触れるものがある。……まったく不思議な男だ」

 新井もまた毛内に賛同し、加納はその都度感心していた。

 席を外した斎藤について各々の見解を述べ合う中、再び両膝を抱えて顎を乗せた藤堂は、自身の足袋の先をじっと見ていた。

 その胸の内を推し量る者はいない。

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