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花鳥月酔─幕末異譚─  作者: 黒川恵
参、 御陵衛士
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 離脱した者は全員で十三名。意外なほど少数だったのだが、離脱に真っ先に賛同した彼らは完全に伊東の腹心たちばかりであった。

 別の平隊士たちも加わろうとする動きも見せたが、離脱する者をこれ以上増やしては本隊の士気にも関わる事だとして、伊東が丁寧に断りを入れたほどだった。また、離脱後にも伊東たちを追って隊を脱することのないように、近藤土方と約定も結び、離脱時の混乱を最小限にする為の調整にしばらく掛かった。

 伊東を筆頭に、伊東の実弟で九番隊組長の鈴木三樹三郎。

 諸士調役兼監察の篠原泰之進、新井忠雄、毛内有之進、服部武雄の四人。

 伍長の加納鷲雄と富山弥兵衛。平隊士からは安部十郎、内海次郎、橋本皆助。

 そして八番隊組長の藤堂平助と三番隊組長斎藤一。

 今や御陵衛士ごりょうえじとして活動する斎藤は、主に篠原と藤堂と共にすることが多かった。

 離脱した仲間ではあるが、斎藤と藤堂を監視する名目で篠原が付いていると言った感じか。

 流石に全幅の信頼を寄せてはもらえないらしい。


(……以前は、斜めにモノを見て辛口な発言をする、ひょうきんで明るい男だったのだがな)

 原田と永倉と行動を共にすることが多かった華やかな男が、口数少なく沈んだ表情で隣を歩いている。その横顔をちらりと見て、斎藤はある事件を思い出していた。

 それは藤堂が兄のように慕っていた同門の山南敬助の切腹。それも藤堂が隊士募集の為に江戸に下っていた間に起こっただけに、やり場のない想いが募るのだろう。

 その場にいれば脱走などさせなかっただろうし、また脱走させるまで山南を追い詰めた近藤土方たちに対する不信感は、一度抱いてしまえばもう以前のように接することが難しくなった。

 藤堂が勧誘してきた伊東は北辰一刀流という同門で、試衛館以前からの縁と言ってもよい間柄だ。

 山南の一件以来、試衛館時代の同士たちを避け、同門の伊東たちの傍で過ごすことが多くなるのも仕方がないことなのかもしれない。

 以前なら善くも悪くも、騒ぎの中には必ず明るい藤堂の姿があったものだ。

 あの一件が藤堂の心境に変化をもたらしたことは明らか。ただ、その変化が悪い病のように伝染し、結束力の堅かった面々の想いが空回り、取り返しのつかないところまで蝕まれているようだった。


 ぴくりと、藤堂の頬が緊張で引きつり、歩みを止めた。

 斎藤は藤堂の視線の先を見やった。

「……ちっ、お前らか」

 二番隊の隊士三人を伴った永倉が、苦虫を噛み潰した顔で立ち止まる。その恰好はお決まりの隊士服だったが、幹部である永倉だけは昨今流行の黒縮緬を羽織っていた。

 対する御陵衛士は、永倉と同じ黒縮緬の紋付きを羽織り、白足袋に雪駄せったという揃いの扮装。諸々の機密費が薩摩藩から出ているだけあってか、贅沢に身を飾っていた。

「おいおい、御陵衛士さんが御陵にいなくてどうするよ」

 旧知である藤堂らに、永倉は皮肉った物言いで野次ってきた。

「永倉さん、お忘れですか? 我々は御陵以外にも、町の治安を守護するむねを拝命しています」

 緊張を隠せない声音で答える篠原は、隊随一と言わしめる剣士の冷ややかな視線に息を飲んだ。

「お前さんには声を掛けちゃいねぇ。藤堂、お前にだ」

「……新八ちゃん」

「勝手なことばかりするのも大概にしろよ。今までお前の気持ちが整理できるまで距離を置いてはいたが、俺らから離れるなんて許していないぜ。……原田の奴は単純だから、お前に裏切られたって酒びたりだしよ。いい加減、目ぇ覚まして戻ってこいや」

 真摯な眼差しに藤堂は逃げるように視線を外した。

「これ以上、うじうじ悩むなんてお前らしくねぇぞ。同門の絆もいいけどよ、俺らの絆も忘れんな」

 郷愁に彩られた藤堂の横顔を捉えてそう言うと、後ろにいる隊士に声を掛けて斎藤たちの横を通り過ぎて行った。

 斎藤は黙って藤堂の肩に手を置いた。

 反射的に顔を上げた藤堂は、斎藤の心配顔に苦笑する。

「意外だなぁ。一さんのそんな顔、初めて見た」

 人を食った物言いが久しぶりに零れた藤堂は、再度苦笑する。

「新八ちゃんも相変わらずだね。あ~あ、耳が痛いや」

 そう言って、棒立ちになったままの篠原に明るく声を掛けた。

「篠原さん。行きましょうか」

「あ、ああ」

「お役目、お役目」

 陽気に笑う藤堂の姿は久しぶりに見るが、それがカラ元気であることに斎藤は気付いていた。永倉の想いも理解しているつもりだが、一度作ってしまった溝は狭いが、逆に深いのも斎藤は承知していた。

 実は土方から別離の件と共に、藤堂のことも任されていた。「できることなら藤堂を連れ戻してくれ」と、深々と頭を下げてまで、斎藤を頼ってきたのだ。

 鬼の副長と言われてはいても、仲間は大事なのだ。だが、篠原の目のあるここで藤堂に土方の想いを伝える無謀は避けたい。まだ機は熟してはいないのだから──。

 ちらりと篠原を見やった斎藤は、ふっと笑いを零した。

「そんなに永倉の眼光はおっかないか? 篠原さん」

 斎藤の問いに肩を震わした篠原は、疲れた顔をして頷いた。

「斎藤さんと張るくらいのな」

 思わず零れた本音に、篠原は慌てた。

「傷付くな」

「すまん」

 だがふと疑問に思ったことがあったのだろう。篠原は遠慮がちに声を掛けてきた。

「なぁ、斎藤さん」

「何だ?」

「新選組随一と言われている沖田さんや永倉さん、……っと、その、なんだ、斎藤さんと闘うとなると、どっちが強いんだ?」

 その質問に藤堂も食い付いてきた。

「総ちゃんと新八ちゃんと一さんの対決かぁ。うぅ、怖い組み合わせ」

「突然何を言い出すやら」

 わざとはぐらかしたのだが、答えを期待するふたりの熱い眼差しに肩をすくませ、苦笑する。

「……そうだな。一番強いのは沖田さんだろう」

「やっぱりか」

「いや、篠原さん。そうは言ったが、沖田さんは胸を患っている。持久戦になれば彼の身体が持たない。……となると、永倉との勝負。実力は拮抗していると言うと、自信過剰に聞こえるかな?」

「総ちゃん、胸を……」

「薄々気付いてはいただろう? 池田屋事件後、頻繁に咳き込むし、やけに薬臭い時があった。……非番の日には必ず医者に通っていたことも、いつものおまえなら気付けたはずだ」

「……知らなかった」

 そっと己の額に残る池田屋事件の際に負った傷跡を撫でた藤堂は、自分のことしか考えていなかった浅はかさに唇を噛んだ。この傷を癒やす為に東下りをし、暇を持て余していた時に、上洛前から懇意にしていた伊東たちを新選組に勧誘をしていた事実があるのだ。

 賑やかしい雰囲気が好きな寂しがり屋の一面を持つ藤堂が考えていたのは、自信家で学識のある同門の伊東が入隊すれば、最近沈みがちだった山南の良い話し相手にもなるだろうし、自信家の強気発言に感化されて、また明るい山南に戻ってくれるのではないかと期待してのことだ。

 ここで藤堂とは逆の反応をしたのは篠原だった。

「そんなにも前から沖田さんは病持ちだったのか。そうか」

「嬉しそうだね、篠原さん」

 藤堂は厳しい表情で非難した。

「い、いや、喜んでなんかいないさ。若いのに不運だと思っているさ」

 ──不運。

 その一言で済んでしまえる付き合いの短さと親しさに、藤堂と斎藤の胸に重く響いた。

「……そう」

 これ以上話を続ける気が失せた藤堂は、物憂げに呟いた。斎藤もまた、「参ったな」とぼやく篠原を横目で見てはいても、敢えて言葉を掛けなかった。

(隊内屈指の剣客の弱点を知って浮かれるのは勝手だが、この男つくづく感情が顔に現れやすい。よく監察方にいられたな)

 冷静に観察しているつもりだが、どこか険を帯びた批判となってしまう。胸中で鬱屈とした嫌な感じが、どうしても払えないのだ。

「さ、さぁ、お役目を果たそう、な?」

「そうだな」

 愛想笑いを浮かべる篠原を足早に追い越した斎藤は、立ち竦む藤堂の肩に手を置いて先を促せば、同意を得てほっとする篠原が慌て後を追う。

「知らないことがたくさんありすぎて、なんだか嫌になるよ」

 斎藤にしか聞こえない声で呟いた藤堂に、ならば己も小声で応じてみる。

「知らされていないということは、逆に守られているとは思わないか?」

「え?」

「山南さんが亡くなって、これ以上近しい仲間を失うことを怖がっている人がいるってことだ」

「……」

 それが誰なのか、藤堂とてわかっているのだろう。今にも泣き出しそうな顔をして、斎藤を見ている。

「永倉や原田とて、おまえと一緒だ。何も詳しいことは知らされていない。おまえが抱く思いだって奴らにも確かに持っている。だからこそ嫌気が差して、多少の反発もしたくなるんじゃないか。先の建白書騒ぎもそのひとつさ」

「……」

「これ以上は篠原の目と耳のある場所では言いたくない。それに、……このことをおまえが伊東に密告するのも、別に構わない」

 はっとした藤堂は、真剣な眼差しの斎藤に息を飲んだ。

「実はおまえこそが俺の監視役だと気付いている」

「一さん……」

「俺だってすべてを知っている訳じゃない。それでも俺が知っていることを聞きたければ、夜中ひとりで俺の部屋に来い」

「……うん」

 思い沈んだ声だが、頷くその目には意思の強さが宿っていた。

(これでいい)

 土方の希望通りになるかどうかはわからない。だが斎藤自身、藤堂と彼らが仲違いしたままでいて欲しくなかった。山南とのことでも感じたが、お互いに掛ける思いやりの心がほんの少しずれてしまっただけなのだ。まだ、間に合うと思いたい。

 斎藤自身、仲間の死にいまだおおきく揺らぐ繊細な男を納得させるだけの親交は、残念ながら浅い。永倉や原田に任せるか、それこそ土方自身が副長という立場から離れ、藤堂と向き合うしかない。

(……やれるだけやってみるか)

 愚痴っぽい呟きを胸中で零し、斎藤は薄く笑った。


 しかしこの日、藤堂は斎藤の部屋を訪れることはなかった。新選組に集団脱走事件が起こったのだ。

 移籍禁止条約を結びながらも、十人もの若者たちが御陵衛士に合流を図ったのだった。

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