2
まだシステムに慣れません…。
文中、未成年者に対する不適切な表現があります。創作上でのひとつの表現となる為、ご理解の程、よろしくお願いします。
結局、赤子の身元はわからず、異例ながら住職の養女となって、寺で養育されることとなった。
赤子が包まれていた錦地の真綿から察するに、高貴な生まれであることは容易に想像がつくことや、長く名乗りが出ないところを見ると、表立って出てこられぬ事情があるに違いなかった。
そして第一発見者であり、何よりも誠実な人柄が住職の目に留まった吏鶯が、養育係に指名された。
しかし、異例なのは赤子の待遇ばかりではない。
最も異常とでしか言えない変化が、時が経つにして色濃く赤子の身に起きていた。恐るべきことに常人の三倍近くの成長振りを見せたのだ。
それはまるで御伽噺にあるかぐや姫のようで、美しく成長した赤子をいつしか椿姫と呼ぶようになっていた。
やがて三年の月日が経ち、九歳となった椿姫は、大輪の花が咲き誇らんとばかりの蕾に似て、瑞々しい美しさに輝いていた。
──視線を感じた。
衣を透かして素肌を舐め上げるかのように、ねっとりとした、不快感を煽る視線を感じた。
つい、と首を巡らす。
薄黄緑色と濃い小豆色との重ねの着物が、あどけない顔にとても良く映えている。腰まである長い髪を高く結わずに自然なまま下ろしているのも、型破りだが良く似合っていた。
「誰ぞ、おるのだろう?」
少女が使うにしてはやや硬過ぎる言葉は、養父である住職譲りのものなのか、天性のものなのか。
しばらくして、障子の戸を開けて部屋に入ってきた男は、どこかぎこちなく微笑んでいた。
僧侶特有の白い肌に、うっすらと赤味が差している。
「何用か」
少女が放つ凛とした声音に、男は僅かに怯みはしたものの、慌てて笑みを浮かべて歩を進めてきた。
「ご機嫌はいかがかと思って、椿姫にお土産を持ってきたよ」
身体の後ろで隠し持っていた小枝を差し出す。
選りすぐって手折られただろうそれは、やや細身の平坦な艶葉で、直立した筒しべを抱えるように五弁の花びらが広がる純白の椿の花だった。
「聖、か」
濡れたおおきな黒曜の瞳で見上げたまま、言葉少なげに受け取った季節の土産物に、少女の表情が緩む。そして手に取って花の姿形を眺め、香らぬ香りを求めて顔の近くへと引き寄せた花目を細める椿姫の仕草を、男は凝視していた。
ごくりと喉を鳴らした男は、よろめきながら後退りし、そのまま後ろ手で障子の戸を乱暴に閉める。
その音に驚き、顔を上げた少女の全身は、男の体臭と抹香の匂いに包まれていた。
「椿姫っ」
容赦のない男の力に圧倒され、少女は目を見開いたまま、己の胸下で蠢く男の頭を見下ろしている。まるで夏の嵐が覆い被さってきたような荒々しさだった。
けれど、やわらかくちいさな身体に走る絶大な不快感は、高まることはあっても薄まることなど決してなかった。ただ、あまりにも突然の出来事過ぎて、抵抗するこができずいるだけなのだ。
他人の温度を直接触れ合わされている舌や唇の内側の粘膜の生々しさ。着物の襟刳りと裾の合わせを割られ、首筋や胸元を往復する動きは、まさに執拗の一言に尽きた。
いよいよ硬く閉じた足を無理やり広げられようとした時、障子の向こう側に人の気配を感じた。
「椿姫、ここですか?」
障子越しにかけられた、涼やかな声音。
一番慣れ親しんだ呼び声に、少女の身体がちいさく反応する。それと同時に、重くのしかかっていた男の身体にも変化が見えた。
急に硬直したかと思えば、脂汗を滲ませて震えだしたのだ。
だがそれは、仲間に咎められるのを畏れたわけではなかった。少女の中へと自身を埋めようとした瞬間、何かが違うと警鐘が鳴ったのだ。
喉元に込み上がる得体の知れない異物感。
組み伏し見下ろすいたいけな少女。
どちらも関わり合いのない、むしろ対比することすらできないはずのふたつが、何故か同質の感情を呼び起こしていた。
そう、まるで熊か虎の鼻先にでも放り出されたかのような、純粋な恐怖──。
自覚した途端、冷や汗が噴出する。
それでも尚、沸き起こった違和感を理解できずに恐慌する男へ、少女は鮮やかに微笑んでみせた。
「……ひ、い、……っ、」
常であれば、己だけに向けられた少女の微笑みに、陶然と頬が緩むところなのだろう。だが実際は、とてつもなく恐ろしいモノに微笑まれて、悲鳴にならない声を漏らしていた。
「ひぃいい……っ!」
「誰です?」
只ならぬ男の悲鳴に、障子の戸を開けて部屋の中へ足を踏み入れた吏鶯は、組み敷かれて無残な姿をした少女と、良く見知った仲間の醜悪な恰好に目を疑った。
「!」
驚愕の次に底知れぬ怒りが沸き立ち、泡を喰っている男のはだけた僧衣の襟首を引っ張り上げ、廊下へと放り出す。
「恥を知れ!」
最大級の侮蔑と嫌悪を込めて吐き捨てた。
普段こそ冷静沈着で、あまり強い感情を表に出さない吏鶯の一喝は、半ば失神していた男を一瞬にして正気に戻し、再び震え上がらせた。
同時に、仏の道から外れた過ちを犯すところだった姿を見咎められてか、蒼白な顔をたちまち赤く染めて醜く歪ませる。
少女に抱いた畏れと恐慌が吹き飛んだ換わりに、吏鶯に対する劣等感と羞恥心がとぐろを巻き、自身への絶望感へと変わるのもそう時間はかからなかった。
下帯がだらりと下がったままの格好で、脱兎のごとく自室へ逃げ出していった。
くすくすくすくす……
鈴振るような軽やかな笑い声に振り返りながら障子戸を閉めた吏鶯は、乱れた衣装を直さずに仰向けになったまま、手の甲を口元に添えて笑っている少女を見た。
「何がそんなにおかしいのですか?」
「あやつの思考は鶏以下かと感心しておった」
己に対して抱いた畏怖を、吏鶯の一喝に恐慌したことを機に、都合良く感情を上塗りして逃げ出して行った先程の男に対し、少女は冷淡に笑った。
そしてふと悪戯を思い付いたような瞬きを目に宿し、手だけを高く挙げて吏鶯を招き寄せる。
ちいさく嘆息を漏らした吏鶯だが、無言の命令に従う姿にも堂が入っていた。
「どうされましたか?」
傍らで片膝を付いて少女を見下ろした吏鶯は、声音低くゆっくりと問いかけた。
「そなたの怒った顔、久し振りに見た」
暗い顔をした養育係に身体を起こさせる。吏鶯の腕を咎めることなく、むしろ当然のように己の身を預けた少女は、真近にある秀麗な横顔を見上げて告げた。
「湯を使いたい」
身体中に残る男の汗と唾液で不快感を増長させていることを暗に訴えられれば、吏鶯とて異を唱える理由はない。
剥き出しになったままの足や乳房が、現実を、生々しく物語っているのだ。
少女の希望に添うべく、はだけた着物の前を掻き合わせてやると、手を取り、立ち上がらせようとす。「否」と、少女は吏鶯の手を押し返した。
「抱いて連れて行っておくれ」
にまりと笑う少女に反して、吏鶯の表情が僅かに曇る。
いくらちいさな境内であろうとも、本堂より奥まった場所にある湯殿までには距離がある。見るからに着乱れた少女を抱いて歩くには人目が多い。
「吏鶯」
齢九歳にして遊郭の妓女を凌ぐ妖艶さで再度願う。
強制力を秘めた意志に逆らう術を持たない吏鶯は、少女の身体に腕を廻した。
……くすくすくすくす
さもおかしげに喉を鳴らした少女は、抱き付いた吏鶯の首筋に頬を擦り付けるのだった。
行間を詰めてみました。ちなみに、聖とは、椿の品種名です。実際にある白椿の品種ですが、幕末からあったかどうかは、ファンタジーでお願いします(苦笑)