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花鳥月酔─幕末異譚─  作者: 黒川恵
壱、 迎春の宴
14/47

 9

 厚く張った雪雲から雨粒が降り出してきた。この雨が雪へと姿を変えるのも、そう遅い時刻ではないはずだ。

 ──やけに肌寒い夜だった。

 見渡せば幾つもの行灯あんどんあかりで互いの表情を読み取ることができた。皆、一様に生気が奪われたように曇っている。

 静まり返った部屋に、しとやかな雨音がやけに響いて聞こえた。

「覚悟はできているな」

 静寂の中、土方の声が響き渡る。死を宣告する彼の声は優美で冷徹だった。

「全員、切腹の用意だ」

 ざわりと騒ぎ出す隊士たちに、それまで微動だに表情を崩さなかった土方が、初めて怒気を顕わにさせた。

「餓鬼じゃねぇんだ。駄々をこねるんじゃねぇ!」

 その気迫に、幾つかの灯りが揺れる。

「土方君、しばし待たれよ」

 沈黙を守っていた伊東が土方を制すると、一同がぴたりと口をつぐんだ。緊張と期待が走る静けさの中、伊東の涼やかな声が続く。

「土方君、何を焦っている?」

「焦る、だと?」

 土方の鋭利な眼差しが、悠然とした伊東の顔を捉えた。しかし、お互い微妙に自然を合わせない。

「最近の隊内はどこか殺伐としている。これでは我々の士気にも関わってくる。……その一端が、昨年から続く粛清の嵐であることは、まず間違いない。中には温情すべき者たちも多く含まれていたというのに……」

 視線を下げ、悩ましげに顔を曇らせた伊東は、再びおもてを上げた。

「君は厳し過ぎる。人は君のように完璧ではないのだよ。……ひとつひとつの過ちに対する罰が極端過ぎるとは、思わないのかい?」

 忠言とも皮肉とも取れる伊東の言葉に、土方は冷徹な一瞥いちべつを放った。

「だが、決まりは厳粛だ。隊の規則はすべての入隊者には守る義務がある。そうでなければ寄せ集めの大所帯で統制が取れるか? 逆にこちらが聞きたいな。ここをどこだと勘違いしている?」

 眼光を鋭くさせた土方は、一同を見渡して言った。


「ここは新選組だ」


 初めて土方と伊東の視線がかち合い、火花を散らす。

「まぁ、待て土方」

 それまで岩のように口を閉ざしていた近藤が土方を制止した。

「我らとて、ここで伊東先生を処罰することで、これ以上隊の雰囲気を損なうことは本意ではないんだ。だが、これだけの騒ぎになったのも事実だ。……伊東先生、何かお考えがあってのことですかな?」

 新年早々の豪遊に表情を曇らせる近藤に、伊東はにっこりと微笑みかけた。

「流石だな、近藤氏。私の非行の裏に狙いがあると見抜いてくれている」

 そしてゆっくりと、まるで恋人に語り掛けるように言葉を紡ぎ始めた。

 粛清の連続に隊内が戦々恐々としていること。すなわち、互いを疑い始め、三人一組みで行動を常とする隊務に支障を来すこと。命のやり取りを日常としている我々の身内から足を引っ張られては本末転倒云々と、隊内部の不満を代弁する伊東の姿は、舞台上の役者のごとく生き生きとしていた。

 不満が募っては皆の意志が揃わない上、爆発して暴動にもなりかねないと警告を発し、だからこそ今回の大豪遊は、隊士たちの切迫した気持ちを吐き出させるのに恰好な的にもなっただろうと、自身の正当性を強く示したのだった。


 いつの間にか、外の雨が牡丹雪に変わっていた。

 暗闇の中、まるで大きな灰の塊が降っている錯覚さえしてしまう程、暗く寒々としたものだった。

 しばらく沈黙が続いた。

「──では、伊東先生のお言葉を充分含んだ上で、処分を言い渡すことにしよう。その間、伊東先生は拙者の居間に、永倉と斎藤は土方副長の部屋に、おのおの方はそれぞれ別室で謹慎を命ずる」

 難しげに顔を歪めた近藤は、その場での返答を避け、無難な対応策を提示した。結果として伊東の言に屈したことになるのだが、近藤の胸の内では、誰にも邪魔されずに伊東と答弁をしたいと切に思っていたのだ。

「あい、わかった」

 目元を滲ませて答える伊東の顔を見つめていた土方は、胸中で舌打ちをする。

 皆が安堵の表情で自室へと戻ってゆく。

「あ、終わりました?」

 底抜けに間延びした沖田の声が、土方の耳に小憎たらしく聞こえてきた。

 ひくっと土方の眉根が動いた。

「総司っ! お前にもたっぷりと説教があるっ。部屋に来い!」

「ああっ、やぶへび!」

 ちょうど土方の後ろにいた斎藤は、その視界の端に、土方と沖田のやり取りを見て忍び笑いをする伊東の姿を捉えたのだった。

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