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花鳥月酔─幕末異譚─  作者: 黒川恵
壱、 迎春の宴
12/47

 7

「伊東先生方、そろそろお戻りください。先生たちを連れ戻さないと、土方さんに怒られちゃんですから」


 居続け四日目にして、予告もなく突然部屋に入ってきた沖田は、声音明るくそう告げた。

 そのよく澄んだ声に、伊東は沖田の姿を見出すと、笑顔で招き寄せる。

「沖田君か。そんなところに立っていないで、一杯どうかね」

 沖田の幼顔が困惑げに曇った。

「えー、僕にお酒を勧めているんですか?」

「一滴も呑めない、という訳ではないんだろう? それにこれは、迎春を寿ことほぐ振る舞い酒。何も悪いことを勧めてはいないよ」

「……仕方がないなぁ、もう」

 言葉とは裏腹に、にこにこ微笑む沖田は、膳を挟んで伊東と向かい座り込んだ。

「じゃあ、一杯だけですよ。この一杯を飲み干したら、ちゃんと戻られるんですよね?」

「よし、そうしょう」

「本当ですね?」

 そう確認してから、渡された盃に継がれた酒を気持ち良く飲み干す。

 手の甲で口元を拭った沖田は満足げに微笑んだ。

「久しぶりだなぁ、この味」

「沖田はん、もう一献」

 伊東に傍に侍る大夫が、やわらかな微笑を湛えて、空になった沖田の盃にさりげなく酒を注ぐ。可愛く綺麗な大夫の顔に頬を赤く染めた沖田は、傾いて零れそうになった盃を慌てて持ち直すと、照れた様子で再び飲み干した。すると申し合わせたように、伊東や他の隊士たちが喝采を挙げる。

「えへへへ」

 その後も沖田は、大夫が注ぐ酒をうまそうに空けたのだった。



 むっつりと押し黙ったまま腕組みをする土方に、半ば気圧されている近藤は、ひとしきり沖田の帰りの遅さを愚痴っていた。

 その幾度目かの愚痴に、土方が反応する。

「遅過ぎる。早朝に使いに出したというのに、もう宵の口だ。……総司の奴、伊東のどんちゃん騒ぎにちゃっかり便乗しやがったな」

 苦虫を何十匹も噛み潰したような顔で舌打ちをする。

「犬っころのように俺の周りをうろちょろしやがって。自分がお使いに行くってうるさくてかなわなかったから頼んだが、……案の定だ」

 煩わしいからと、安請け合いをして送り出した己の馬鹿さ加減に呆れ、奥歯を鳴らす。

「山崎君を呼んできてくれ」

 立ち上がった土方は襖を開け、控えていた隊士に声をかけた。短い返答で下がって行った隊士の背を見送った土方はちいさく息をつき、苦笑している近藤の元へと戻る。

「まぁ、こうなることくらいは、わかっていたことだ」

 慰めるような近藤の言葉に、土方もまた苦笑しながら頷いた。

「俺だって今回の経緯を踏まえれば、伊東らが一度の呼び出しで戻るなんてことは考えていないさ。それがわかっているからこそ、総司の奴も役目を買って出たんだろうこともな」

「総司にはいつも気を遣わせているな」

 下がり眉になった近藤の言葉に、土方の眉間に皺が寄った。

「半分はそうだろうが、もう半分は絶対楽しんでやがる」

 仏頂面な土方に、近藤は笑い噴き出した。

「それは言えている」

 土方の険も薄れ、お互い見合って笑い合うと、探索の山崎蒸の声がかかった。

「入れ」

 短い土方返事に、襖を開けて入室してきた山崎が膝をつく。

「副長のお呼びだし、どのような御用でございましょうか」

 一見、商家の若旦那風の姿に、まさか新選組の隊士であるとわかる者はそうそういない。

 山崎は大阪の針医の息子で、近畿地方の地理に詳しく、また冷静沈着な性格から探索方に就いていた。今の姿も変装のひとつで、無論任務なら乞食姿も厭わない男だ。

「伊東先生たちのことは聞いているか?」

「はい。隊にいる人間なら、誰もが今一番の関心事と言えるほどに、噂になっています」

 山崎の返答に苦い顔をした土方が腕を組む。対する近藤は神妙な顔付きをしている。

「そうだ。今日でもう四日目だ。流石にまずいと総司を使いに出したが、奴も戻ってこない。すまないが、山崎君。総司も含めた全員を引っ張ってきてもらいたい」

 すると山崎の口元がちいさな弧を描いた。

「私で効果があるでしょうか」

「多少脅してでも構わない。連れ戻してくれ」

「努力はしますが、もし万が一、私も沖田さんのようになったらどうなさいますか?」

 どこか面白がっている節が見え隠れする山崎に、土方はたっぷりと微笑んでやった。

「その時は、総司共々覚悟するんだな」

 腹に響く低音の脅しに顔を青ざめさせた山崎は、苦笑いを浮かべた。そして「肝に銘じます」と、短く応えたのだった。



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