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後編

彼女の歌が、響いた気がした。

相変わらずの透き通る声で。



愛しい人へ



鬱蒼とした谷。

いつまで経っても見知らぬ景色と、相変わらず纏わり付く闇。

…彷徨うようにひたすら歩き続けた。

何処へ向かっているのだろう。

いや、役に立たなくなった地図と磁石はもう捨てた。

もはや俺は何処へも向かっていない、当てなどない。

ただひたすら歩き続けている。

優しい笑顔と、温もり。

義父の期待と友の激励。

思い出すと、心に火が灯るようだった。

決して屈しない。

この素足で、試練を踏みしめて歩こう。

…希望を持てば持つほど、闇は深く、深く、纏わり付いてきた。

そして気付けば、自分は闇に飲み込まれていた。

足の裏の感覚がない。

歩いているのか、止まっているのかさえわからない。

頭では腕を伸ばしてみても、感覚がない。

そして何より、輪郭が見えない。


俺は此処にいるのか?

此処にいるのは俺なのか?


わからない。


わからない。


…バラバラだ。


だれのものかわからない

てとあしと

みみとくちと

あたまとこころが


バラバラになってういている


「隙あらば、求婚する」


あのこえは


ああ、あの声は、

そうだ、友の声だ。


口ずさまれる美しいメロディは


君の歌だ。


…愛している。

君は俺のすべてだ。

それなのに、俺は君と離れた土地でバラバラになっている。


君が去って行くようで恐ろしい

君が、奪われるようで恐ろしい


ああ、そうだ。


あれは恐怖だったのだ。


俺の全てが、奪われるようで恐ろしかったのだ。


あの言葉が恐ろしい。


激励の言葉が、友を違うものにする。


…何故あの言葉でなければならなかった?

湧き上がってくる、このおぞましいものは怒り。

俺に怒りを植え付ける。

いや、怒りに気づかされてしまったのだ。

自分はもともと、バラバラだったのだろうか。

恐怖も怒りも

確かにあるのに、

わからなかった

自分の手と足と、目と耳と、頭と心があったのに

恐怖と怒りがわからなかった。

いや、

今となってはもうわかる。

自分の恐怖が、怒りが、

底しれぬ闇が、渦巻くのがわかる。


カラダを失って、感情を得た

貴方の闇は深い

そうだ、この闇を知りたくなかった

心地良い

…感情は、重い

そうです、感情は…


…誰だ?


「こんにちは、ようこそ。」


俺の、声か?


「いいえ、違います。」


では一体?


「…貴方は、誰ですか?」


俺は…ルイス…ルイス=イーズ…


「おや、それが貴方の本当の名ですね。」


「ルイ…コルーンだ。」


「ルイ=コルーン。

人知れず育つ貴方の闇が心地良くて、私の中に招き入れました。」


「…何のことだ。」


「いいえ。

さて、ルイ。貴方の目当ては私でしょう?」


「!!」


「改めまして。こんばんは、ルイ=コルーン。

私は“護りの谷の精霊”。そしていつからか、人間から“宵の君”と呼ばれるようになった者です。」


風景が吸い取られるようにして目の前に圧縮されると、

黒い布が剥ぎ取られたように鬱蒼とした谷が現れた。

叩き起こされて、目覚めたように、

ハッとした瞬間、俺は立っていた。

圧縮された黒い塊が目の前に漂う。


「ここは魔物の谷と呼ばれているようですね。」


「はい。この谷から帰って来た者は、気が狂ったように皆怯え、何も語ろうしない。

“魔物”の気にでも触れたのだろう…と。」


「私は、実にたくさんの呼び名がある。」


漂うものは掠れた音を出した。

笑っているのだろうか?


「…つまらない人間が、ここへ何人もやって来ました。

私は“護りの谷の精霊”。少し脅かして追い返しただけです。

…しかし…」


塊が少し揺れて、また掠れた音が鳴った。


「貴方には興味があります。」


「俺もです。」


「気が合いますね…。」


「あなたの…本当の姿と名前を、教えて頂きたい。」


「…良いでしょう…。」


塊から黒い芽が出て、蔦が絡み合いながら落ちて行くように伸びる。

それがゆっくりと木になり、やがて人型になった。

威光の君や激昂の君よりもハッキリと、その姿が見える。

ああ、俺は手に入れたのだと直感した。

宵の君は、光を返さない真っ黒の布を身に纏っている。

右目は覆われ、左目だけが真っ直ぐ俺を刺す。

片目なのに、ものすごい数の視線をあびているような気分だ。


「ルイ、私の名前はー」


目が離せなくなった宵の君の表情が、微笑のような、憐れむようなものに変わった瞬間だった。

突風が前触れなく吹き、生い茂る草が一斉に傾いた。


「そこまでにしてもらおう。」


「?!激昂の…君?」


「おや…これはこれは。」


「なかなかの不快指数だな、此処は。

さて、あまり時間がないので、早速本題だが」


「何故貴方がここに?」


「…今から話す。貴様は本当に他人の話を聴かんな。」


「それはどちらでしょう?私たちは今、取り込み中ですが。」


「護りの谷の…いや、“宵の君”、か。

一刻も争う事態だ。それを理解しろとは言わんが、この者に興味があるのならば、まず私の話を聞くがいい。」


「おや…これはまさか。」


「…?何の話だ…?」


「リオナが倒れた。」



「貴様に、運命を背負う覚悟はあるか?」


「運命?!」


「そう焦っても列車は速くならん。」


「だが…!」


「気持ちはわからんでもないがな。

…貴様は知らな過ぎる。こうして焦ることしかできん。哀れだ。」


「何のことだ…!」


「リオナの話をしてやろう。」


「お前にリオナの何がわかる!」


「…貴様よりも知っている。」


「この…!!」


「…、…これがリオナの頼みでなければ、貴様を八つ裂きにしただろう。」


列車はガタガタと揺れて、忙しなく身体が震える。

胸倉を掴んだ激昂の君が俺を睨んで、更に俺も目に力が入った。

…それを宵の君が少し離れた所で静かに傍観している。

なかなか混沌とした空間だと思ったら、急に頭が冷静になった。


「…頭を冷やせ。」


パシャ、と水が床をたたいた。

その後に俺の髪や肌から垂れ落ちる雫が不規則に続く。

頭からかぶったのか、衣服もだいぶ濡れている。

…酷く寒かった。

身体が震えて仕方ない。


リオナは名家であるリロード家の長子だ。

優秀な光の魔術士として、俺と同じ頃に国の証印を得ている。

俺は首に、リオナは右足首に、その証印が。

ヴァルダの魔術士の憧れであり、誇りである。

証印を得て様々な自由と特権が与えられたが、驕ることなくその力を磨き続けたリオナは、

この力で人々を救いたいと言っていた。

それにはまだまだ力が及ばないのだと。

証印を得て、両親を失い、義父に引き取られ、闇雲に足掻いていた頃。

それを聞いて、愕然とした。

あまりにも眩しいリオナと出会う。

この出会いが、全ての始まりだった。


「リオナは悩んでいた。」


そんな風には見えなかった。

絶えず微笑んで、美しい言葉を紡いだ。


「誰も自分の声を聴いてくれないと。」


…俺は聞いていた。

美しい言葉を、一つも落としたくなかった。


「そして脅威が迫ってくる。」


「あはは…」


「…何が可笑しい?宵の君。」


「あははは…!」


「…続けよう。」


「…。」




酷く疲れ果て、やっとヴァルダの地を踏んだ時。

鐘の音がなった。

誰かが祈っている。

誰かのために。


「リオナ…!」


「…ルイ。」


リオナは微笑んだ。

あまりにも美しくて、息を飲む。

喉が震えて声が出なかった。


「ルイ、ルイ…。」


「…どうか、心を…」


「蝕まないで」



うるさく鳴り響く鐘の音を背に歩く。

俺と同じように石畳を行く人は、鐘の意味を知っていても気に留めない。

苛立ちが抑えられなかった。

だが、仕方のないことだともわかっていた。


「ルイ!」


「…。」


ゲーテだ。

ゲーテは驚いたように目を見開き、一瞬硬直したが再び歩み寄って来た。


「気を確かにな。

まさか、このようになるとは…。」


「…。」


「まだ鐘は鳴っている。

私も友の為に全力を尽くそう。

…だが、君はリオナの元にいなくて良いのか?」


「…。」


「ルイ…。」


「…行く所が、ある。」


やっと絞り出した声が、そう言った。

そして、それを聞いた誰かの笑い声が聞こえた。


「…?

そうか。…気を確かに、な。」


「…。」


ゲーテをすり抜けるようにして、石畳を行く。

…俺は確かめたいことがあった。



しんと静まった部屋。

昼間と言うのに仄暗く影を落とす。

そこで蝋燭に灯る火に顔を照らされた、肥えた男に問う為に、

祈りの鐘をかき消すように、重い口を開いて声を絞り出す。


「ちちうえ、」


「帰ったか、ルイ。」


「リオナのことを、聞いて、戻ってきました」


「宵の君は…契約したのだろうな?」


「…」


「…どうなんだ、ルイ。」


「…」


「ルイ、私の息子…!」


男は、俺の背中で笑い声をあげる存在に気付き、嬉々とした表情で立ち上がった。

普段大切にしている紙が卓上から舞い落ちたが、気にせず踏み荒らして近付いてくる。

鐘は、鳴っていなかった。

俺の身体を抱き締める肉厚の所為で聞こえないのではない。

もう鳴り止んだのだ。


ずっと前に、鳴り止んだのだ。


「リオナが、死んだ」


「今日は良い日だ!」


「リオナは…」


「コルーンの血よ!名よ栄えよ!」


「リオナを、」


「そして、」


『殺した』



「リオナの身体は蝕まれていった。

とある男がリオナの身体に毒を蓄積させていったのだ。

リオナは、それを知っていた。

ずっと昔から、知って口にし続けていた。」


俺は掻き毟った。

争いしか生まぬ名も、血も、全てが忌々しい。


「リオナは、この世界に絶望していた。」


俺たちを縛り続けた証印が血に滲み、消えて行く。


「ただ、」


痛みなどどうでも良かった。


「未来だけを守ろうと

愛しい人への事付を頼むだけの為に私を使役したのだ。」


笑い声が響いた。

真っ暗な世界で、何もない世界で。



「…俺についてくるのか?」


「ああ。」


「ええ。」


「言っておくが」

「わかっておる。ただ、」

「面白いので。」


「…まだ私が話している途中なのだが?」


「そんなこと知りませんよ。私はずっと話の途中です。」



名に、血に、囚われないで

争いの道具にならないで

ただ、



「…好きにしろ。」



貴方を、未来を、

愛していたいだけなのに



「愛しい人へ、お願い。」

20130120

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