魔女と水晶
ふらりと、何かに誘われたような気がした。
帰宅途中、今まで気がつきもしなかった小さな古びた店を見つけた。
『夜想曲』。そう、古びた文字で書かれた看板の店はなにやらアンティークショップのようだった。
「こんな店、あったっけ?」
止めれば良いのに、どうしても気になって店内に足を踏み入れた。どうせ買うものなんて何も無い。嫌な客だろうに。
案の定、アンティークショップだったらしく、なにやら古そうな机や柱時計、人形や仮面なんかが置いてある。
「お、これいーじゃん」
小洒落た懐中時計。少し気になって値段を見ようとしても値札は付いていない。
「ごめんなさい。それは先約があるの」
「え?」
若い女の声に驚いて顔を上げれば、15,6の少女が居た。
「君、この店の人?」
「ええ。店主よ」
「うそっ。随分若い」
「ふふっ、ありがとう。でも、そう若くはなくってよ」
店主はそう言って懐中時計をなにやら小さな箱につめ始めた。
「坊や、他に何か気になるものがあったら声を掛けて頂戴。値段は気にしないで。後から相談に乗るわ」
彼女はそう言って店の奥に入ってしまった。
値札が付いていないのはそういうことかと思うと同時に、いかにも胡散臭いこの店に入ってしまったことを後悔する。
「早く出よう」
明日佐々木と一緒に来るか。
きっと面白がるだろう。
そんなことを考えながら出口に進むと何かとぶつかった。
「やべっ」
床に落ちたそれを拾い上げる。
「ガラス玉?」
「水晶よ」
女は言うが、どう見てもこれは水晶には見えない。
水晶と言うものは、もっと透明で透き通っている。そんなイメージがあった。
「これはね、地獄水晶の種なの。育てると大きくなるのよ」
「種?」
「ええ、水の中で魔力を注いで育てるの。大きくなると、いろんなものに加工できるわ。まぁ、技術があればの話だけど」
女は笑う。
その笑い方が酷く奇妙に見えた。
そうして、店内を見回す。
逃げ道を探して。
いや、もう既に逃げられないことは知っていたのかも知れない。
見回すと、さらに妙なことに気がつく。
この店には時計ばかりがある。
砂時計や壁掛けの時計は沢山ある。奇妙に捩れたデザインの時計やからくり時計。だが、それだけではない。
時計柄の服、帽子、鞄、耳飾……。
どれを見ても時計ばかりだ。
よく見れば人形の目も時計だ。
気が狂いそうだ。
「ま、またにするよ」
そう言って店を出ようとした。けれども、扉が開かない。
「残念だけど、「また」は無いみたいね」
女が笑う。
その顔はもう見えない。
目の前にあったはずの扉は無い。
手には、いつの間にか古びた懐中時計があった。
―せいぜい自力で頑張りなさい。坊や―
気味の悪い女の声がする。
ただ、この女の声には聞き覚えがある気がする。
―この国に異邦者はいらぬ!―
―陛下を愚弄するか!―
―俺の縄張りで好き勝手しやがって!―
時計の秒針の音と共に声がする。
―あなたに怨みはありませんが助ける義理もありません―
―ここはあんたの来るところじゃないわ―
―君は僕とは違う―
知らない奴らの声。
―死んで―
―信じるほうが悪い―
―君に関わっても面白いことはなさそうだ―
ただ、分かるのは、誰も歓迎していないということだけだ。
―こっちだ―
一つだけ、否定とも肯定とも取れない声がした。
この声に従って良いものか分からない。
ただ、遠ざかる意識の中で、声のほうに手を伸ばしていた。