1白梅園
宮殿より少し北に離れた山の麓。毎年冬の終わりと共に淡く色付く場所がある。厳重な警備と周りを囲む高い壁に切り取られたその場所こそ、女人禁制の花園、「白梅園」である。
14歳の誕生日を迎え白梅園で働き始めてもう半年ほどになる。草引きに水やり…。始めての仕事に戸惑うことも多かったが、この前ようやく独り立ちが認められた。
長屋での新たな生活にも慣れてきたが、生まれ故郷に比べて寒冷なこの土地では毎朝顔を洗う前に強い決意が必要になる。肌に当たる夜風も日に日に鋭さを増しており、今から遠い春が待ち遠しい。だけれど、
(梅が満開になれば忙しくなるんだろうな。)
春が来れば白梅園には豪勢な宴席が用意され、帝に招待された貴人達が休む日間もなく詰めかける。せっかく咲いた梅の花を楽しむ余裕も無いままに、僕達は夏を迎えるのだろうか。
(これだけたくさんの梅の木が花を付ければ、壮観だろうに。)
薄暗い園内に重く、鐘の音が響く。少しばかりの口惜しさを胸の奥に仕舞い、長屋へ戻ろうとした時の事だった。夜の暗闇がどこまでも広がる無彩色な世界の中心が濃紅に染まっている。
(まだ梅が咲く時期ではないはずなのに。)
服の袖で目を擦り、よくよく目を凝らしてみるとそれは風にたなびく衣の裾だった。月明かりに艶めく濃紅の布地に金の糸で施された刺繍。それは土に汚れた下働きの僕とは到底比べようが無いほどの身分の持ち主である事を物語っていた。
蕾が目覚め始めたばかりの白梅園に、貴人が訪れる事自体は珍しくない。しかし問題はその行き先だ。僕は胸の前で手を組み、頭を下げる。
「お待ちください!恐れながらその先は立ち入りが禁止されております。どうかお引き返し下さい。」
貴人は静かに振り返り、黒い髪の下に覗く気品高い顔立ちをクシャリと歪める。
「立ち入り禁止だと?誰がそんな事を決めた?」
「先々代の帝、鋒煜様と聞いております。」
「奴らは俺達を捨てただけでなく、その存在すら無かったことにしたのか。」
「捨てた…?」
彼の言葉の意味が分からず僕は困惑する。下働きをまとめる翁からは「この先には山から崩れ落ちた土砂が積み上がっており危険だ」としか聞いていない。そんな場所に人が住んでいるとは思えないが…。
「下女風情が知るはずもない。不快だ、失せろ。」
彼は僕の疑問を見抜いたのか、溜め息を付くと手を大きく振る。すると、どこからともなく強い風が吹き荒れる。風の中では立っていることもままならず、思わず目を閉じる…。轟々とした風の音が立ち去った後、恐る恐る目を開けてみるも目の前に広がるのは見慣れた梅の木々ばかりだった。
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次の日の朝、日の出とともに僕は離宮の端にある建物へ向かっていた。石畳で整備された道の隅を歩く僕の足取りは重い。僕はどうしても離宮という華やかな場所が苦手なのだ。
白梅園には美しい梅の鑑賞地とは別にもう1つ、隠された顔がある。それは帝一族のための休養地だ。
4代前の帝が崩御した後、数多く残された後継者達による争いが長きに渡り世は乱れた。3代前の帝が即位すると宮殿にあった後宮は縮小され、代わりに北にあった白梅園の中に離宮が建てられた。梅の木々に囲まれた離宮では帝一族が来訪する度に見目麗しい男官達が歌や踊りを披露し、日々の疲れをお慰めしているのだ。
「あれ、子墨?」
物陰を歩く僕を目ざとく見つけパッと顔をほころばせたのは男官の1人、万姬だ。白梅園に来た頃合いは僕と近いそうだが、男性とは思えない可憐な容姿と優れた舞踊の腕前で頭角を現す存在だ。
「今日もそんな汚れたままの格好をして、まったく…。早く私の所へ来たらいいのに。」
彼は懐から手巾を取り出すと僕の頬についた土汚れを拭う。この手巾もきっと高価な物だろうに。断ろうにも「いいからジッとしてて!」と怒られてしまうので、彼が満足するまで大人しく待つことしかできない。
「申し訳ございません。…生憎と今の仕事が気に入っておりますので。」
「いつもそればっかりね。歌や舞踊だってとっても楽しいのよ?たくさんの人に褒めて頂けて嬉しいし、美味しいお菓子だって貰えるんだから!」
「少し考えさせて下さい。」
「どうせ考えるなら、前向きに考えてね?」
彼は少し不満げにそう返すと、忙しない様子でその場を立ち去る。どうにか納得のいく返答ができたようでホッと胸をなで下ろし改めて目的地へ向かうと、翁が1人僕の到着を待っていた。
「お待たせしました、翁。」
「あぁ、来たか。おはようさん。朝早くから呼び出して悪いね。」
「何かあったんですか?」
「お前さん、昨日の夜禁足地の前で突っ立っていたみたいじゃないか。あそこで何かあったのかい。」
昨日の夜、周囲に人の気配は感じなかったが…。
白梅園の中で最古参、誰よりも白梅園を知り尽くす翁が淡々と尋ねてくる。仕事では誰よりも厳しく、雇い主としては誰よりも親切に接してくれた翁のその様子に緊張が走る。
「紅い装束を着た男の人に会いました。何か失礼な事をしてしまったでしょうか。」
「いいや、今のところは大丈夫だ。そのお方は何か言っていたかい。」
「捨てられた、とか言われていましたが詳しくは分かりません。それとその、怒っている様子でした。」
園内を自由に出入り出来るのは帝一族と一族に認められた者だけだ。そんな方々に失礼があったとすればただでは済まない。一体どうなるのだろうか、と先の見えない不安に身を縮めていると翁は一言こう言った。
「子墨、お前は神や精霊を信じるか?」




