プロローグ…星の神話と2人の許嫁
プロローグ。星の神話と2人の許嫁
雪のように、それはそれは肌の白い女の子が生まれた。
すれ違う誰もが思わず足を止め、
「まるで白雪姫のようね」とため息をつくほどに美しい赤ちゃんだった。
けれど、その子が生まれた家はとても貧しかった。すきま風の吹く古い家で、女の子は大切に、けれどどこか儚げに育ち、四歳になったある冬の夜、恐ろしいほどの高熱を出して倒れてしまった。
「誰か、誰か病院の先生を! 早く!」
寝床の脇で、母の悲痛な叫び声が響く。
「しかし、お前、医者を呼ぶにもお金が……」
「そんなことを言っている場合ですか! この子の命がかかっているのよ!」
激しい熱のせいで、私の意識は深い沼の底へと沈んでいくようだった。大人たちの焦燥しきった会話が、まるで遠い世界の出来事のように鼓膜を震わせる。
その時、不意に家の外から、まだ若い青年の力強い声が聞こえた。
「――おばさん! 今、近くに有名な医大の先生が来られているって聞きました! 僕、今からその先生を呼んできます! あの方なら、きっとこの子の熱を下げられます!」
ドタバタと激しい足音が響き、青年が雨の降る夜の闇へと駆け出していく気配がした。
(だれだろう……、あの、優しい声の人は……)
そう思った瞬間、私の意識はぷつりと途切れ、真っ暗な闇に包まれた。次に目を覚ましたとき、周囲の騒がしさは消え去っていた。熱さも苦しさも消え、体が羽のように軽くなっている。気がつくと、私の枕元に、見たこともない一人の「おじさん」が静かに座っていた。
おじさんは、とても穏やかで、吸い込まれそうなほど優しい目をしていた。
「目が覚めたかい」
おじさんが微笑むと、なぜか部屋の天井が消え去り、そこには息をのむほどに美しい、満天の星空が広がった。空から柔らかな光が降り注ぎ、私たちを包み込む。
おじさんは私の小さな手を包み込むように握り、夜空を指差しながら、静かな声でお話を聴かせてくれた。
それは、星の神話のお話だった。
星座になった神様たちの、優しくも切ない愛の物語。
おじさんの声があまりにも心地よくて、私は童話を読んでもらっているときのような、絶対的な安心感に満たされていた。
(この人、だれなんだろう……。とっても優しい。神様みたい……)
私は小さな声で、おじさんに尋ねた。
「あなたは……、神様?」
おじさんは悪戯っぽく笑って、私の頭をそっと撫でた。
「そうだよ。この国の神様だよ。君と同じ、名無しの権兵衛さ」
そのとき、閉め切られた襖の向こうから、大人の話し声が聞こえてきた。
「……今回のことで、あの家には大きな貸しができたな」
「ああ、あの娘が大きくなったら、うちの息子の嫁に貰えばいい。そうすれば、あの家から多額の結納金が手に入る……」
それは、私の体を心配して集まってくれたはずの、近所の人の声だった。
しかしその声には、冷酷なお金への執着が混じっていた。
枕元のおじさん――神様は、寂しそうな目で襖の向こうを見つめ、それから私を振り返った。
「そろそろ、私は帰らなければならない」
(嫌だ。手を離したら、もうこの優しい人には会えない気がする)
私は必死で、神様の手を握りしめた。
すると神様は、その大きな、ゴツゴツとした手のひらで、私の手をぎゅっと力強く握り返してくれた。
「神様の馬車が待っている。この子を連れて帰ろうか……」
神様はそう呟き、私の視界は再び心地よい眠りへと落ちていった。
次に目が覚めたとき、神様の姿はなかった。けれど、その次の夜も、私は目を覚ますと神様と会うことができた。
神様はまた私の目の前に座り、今度は星の神話ではなく、少し不思議な話を語り始めた。
「いいかい。お前にはね、将来を約束した『許嫁』が二人いるんだよ」
「いいなずけ……? なぁに、それ」
四歳の私には、その言葉の意味が分からなかった。
神様はただ優しく微笑むだけだった。
それからしばらくして、私の熱はすっかり下がり、元気を取り戻した。
けれど、熱が下がると同時に、神様は毎晩待っていても、二度と姿を見せなくなってしまった。
ある日、ようやく庭に出られるようになった私の前に、全身に白い服をまとい、杖をついた不思議なおじさんが現れた。
おじさんは私の顔を見て、嬉しそうに目を細めた。
「元気になったのか。よかった」
私はおじさんを見上げた。
どこか、あの夜に見た神様の面影があるような気がした。
おじさんは、静かに私に告げた。
「お前が病室で『名無しの権兵衛』と泣いていたが、私も名無しの権兵衛だ。お前と同じ神だから、名無しの権兵衛なんだよ」
おじさんはゆっくりと私に近づき、私の小さな手を包み込んだ。
あの夜と同じ、大きくて温かい手だった。
「約束しよう。お前が人生で本当に困ったとき、私は必ず、死ぬまで永遠にお前を守ろう」
それが、そのおじさんを見た最後だった。
それから二度と、私の前に神様が現れることはなかった。
私はあの夜の不思議な記憶を、胸の奥の小さな宝箱に仕舞い込んだまま、すくすくと成長し、やがて中学生になった――。




