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陰陽の濤 〜防芸厳島戦記〜  作者: 紘野 流
【第二部】尼子襲来
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其の八: 危急存亡


 天文(てんぶん)九年八月。


 山口の大蔵院に滞在中の毛利(もうり)少輔太郎隆元(たかもと)は、急報を聞くや膝から崩れ落ちた。


 出雲の尼子詮久(あまこ あきひさ)率いる三万の大軍勢が、吉田郡山(よしだこおりやま)城に向かって安芸国内を進軍しているという。




「尼子は東へ向かっていたのではないのか。なぜ安芸へ…‥」



 このままでは、故郷が蹂躙されてしまう。少輔太郎(しょうのたろう)の顔から血の気は失せ、身体は不安と恐怖で大きく震える。



 山陰の雄、尼子(あまこ)家。


 出雲守護の京極(きょうごく)家に仕える守護代の家系であったが、謀将尼子経久(あまこ つねひさ)は主君京極政経(きょうごく まさつね)の死後にいつしか出雲守護職を奪取。山陰に地場を固めた。


 西国山口の大内義興(おおうち よしおき)が前将軍を奉じて上洛した際には、経久は同盟者を装って従軍したが、義興の畿内滞在が長引く隙を狙って帰国し、山陽にまで覇を広げた。毛利を大内方から引き抜いたのもこの頃だ。


 そんなしたたかさから経久は「山陰の謀聖(ぼうせい)」と崇められ、大内の将弘中興勝(ひろなか おきかつ)は経久を、獲物を狙って喰らいつく様子から「出雲の狼」と評した。



 天文六年、齢六十を超える尼子経久は隠居を表明し、孫の詮久(あきひさ)に家督を譲った。


 二十四歳の若さで後を継いだ詮久は、武芸には秀でるが思慮深さに欠けるところがあり、当初は偉大すぎる祖父経久と比較されて家臣団からも不安視されていた。ところが当主に就任するや、予想外の采配を見せた。大内家が九州北部の平定に力を入れている間に、因幡、播磨と東征を強化し、いつしか大内に匹敵するほどに支配地を広げた。


 祖父経久以上に勢力を拡大した詮久は、東征の果てに上洛して天下に覇を唱えるという夢を描く。


 だが、そんな東征中の詮久がいきなり西へと反転した。祖父経久を阻んでいた名将陶興房(すえ おきふさ)も死去した今、後顧の憂いを断つべく安芸支配を狙い、国衆の盟主となりつつある毛利元就(もうり もとなり)を討って一気に制圧しようと考えたのである。



 大内にとって毛利は東の防波堤だ。毛利当主の元就は練達の謀略家である。しかし、毛利勢は総じて三千程度。さすがの父でも、三万の尼子勢を防ぐとなると限界がある。少輔太郎はなす術もなく呆然としていた。


 毛利はかつて大内から尼子へ乗り換え、再び大内に鞍替えした過去がある。尼子はその忘れざる宿怨から毛利を許すはずがない。詮久の性格から考えれば、吉田郡山の城も民も尼子に破壊され尽くすに違いない。その地獄が脳裏によぎり、少輔太郎は顔面蒼白となり吐き気に堪えきれなくなる。


 この数年人質として山口に滞在して強く実感したことは、大内家中にも毛利を快く思っていない者が多いということだ。国家基盤の強化に注力している今、毛利は見捨てるべきという重臣が大半だろう。毛利が倒れても他の国衆を使えばいいのだから。


 自分は大内の中にいながらなんと無力なのだ。少輔太郎は頭を抱えて床に倒れ込んだ。




「大丈夫か、少輔太郎どの」



 急いで大蔵院に駆け込んできた者がいた。弘中(ひろなか)小太郎隆包(たかかね)である。尼子侵攻の報せを聞いて、小太郎は真っ先に隆元を心配し、弟の舵之丞(かじのじょう)従妹(いとこ)のあややを連れて駆けつけたのである。


 少輔太郎は青ざめ、震え上がっている。



「太郎どの、しっかりして」


「太郎どのー」



 あややも舵之丞も心配して声をかける。あややは気遣いながらも、ちゃっかり少輔太郎の頬をすりすりと撫でている。舵之丞は少輔太郎の頬を指でつまんで変顔を作ろうとして、あややにどつかれる。


 小太郎が両手で少輔太郎の肩をがっちりとつかむ。



「少輔太郎どの、小太郎(こたろう)だ。分かるか」


「……小太さん。尼子が……尼子が……」


「ああ聞いた。毛利を救うためにも、気をしっかりと持て」



 小太郎は少輔太郎の肩を激しく揺さぶった。少輔太郎は力なく揺らされながら、うめくように呟く。



「でも、毛利はもう……」


「いいか少輔太郎どの。毛利を救うには、大内からの援軍が不可欠だ。そのためには評定衆の議決が要る」


「しかし……大内の方々は……」


「ああ、今は分からない。今日これから、その評定が開かれる。私は評定衆の一員だ。私が毛利への救援を全力で提言する」


「……かたじけない。小太さんだけが頼りだ」


「いや、少輔太郎どのにも動いてもらわなければならない。さあ、行こう」


「どこへ……」


「評定には根回しが必要ということだ」



 小太郎は少輔太郎の手をとって宿所を飛び出す。舵之丞とあややも遅れないようにその後ろに続いた。




 四人が毛利(もうり)救済の理を説くために駆け込んだのは、評定の最大の鍵を握る人物の屋敷だった。


 (すえ)家の屋敷である。幼馴染の五郎(ごろう)に会うためだ。



 五郎隆房(たかふさ)は陶家の家督を継ぎ周防(すおう)守護代に就任してからは、忙しく働いていた。ここのところも周防国内の治安維持に駆け回っており、陶邸には不在であることが多い。小太郎(こたろう)は評定前を狙って面会の約束を取り付けていた。


 小太郎は少輔太郎(しょうのたろう)とあややを次の間に控えさせ、弟の舵之丞(かじのじょう)だけを伴って表座敷で待った。


 五郎は側近二名を連れて、遅れて座敷に入ってくる。



「おう、待たせたな。小太(こた)ァ、今日の評定(ひょうじょう)の話か?」



 声をかけながら上座に腰を下ろした。


 五郎は幼少期から親友の駒之介(こまのすけ)を「(こま)ァ」と呼んでいたが、小太郎隆包(たかかね)となった元服式の日からは小太郎と呼ぶことに決めたものの、結局その日のうちに「小太ァ」とくだけて略すようになった。


 五郎の左右に偉そうに座したいかつい若武者は、三浦常松(みうら つねまつ)宮川佐之助(みやがわ さのすけ)だ。五郎が名門陶家の家督を継いでからはいっそう威圧的に振る舞うようになり、小太郎と舵之丞にも見下ろすような睨みを向ける。


 虎の威を借る三浦と宮川など全く意に介せず、小太郎は話を進める。



「そうだ。毛利が危ない」


「おう、尼子(あまこ)の話だろ。この五郎隆房様がいるっていうのに安芸(あき)に攻め来るとは、尼子も調子に乗ってんな」



 五郎は冗談混じりに笑った。五郎も既に尼子の安芸侵攻の報を聞いており、今日の評定ではそれが主要の議題になると把握していた。


 だが、五郎はさほど急難な事態だとは思っていない。主家京極(きょうごく)から国を乗っ取った成り上がり者に過ぎない尼子など、いつでも撃退できる自信がある。また、毛利家のことも大した存在とは思っておらず、攻め滅ぼされたところで大内にはそれほどの影響はないと考えていた。



「毛利を救わないとまずい、って顔だな、小太ァ」


「まさに」


「まあ小太ァの言うことは無論信じるが、そんなに急いで救うまで、毛利には肩入れしなきゃならんものか」



 五郎は念を入れて尋ねた。それは疑念からではなく、小太郎の考えはきちんと根底から理解しておきたいという思いからだった。


 思わず、舵之丞が小太郎の背後から声を上げた。



「毛利も仲間じゃないですか、五郎どの。太郎どのの実家でしょ、助けてやりましょうよ」


「おい、調子に乗るな。雑魚(ざこ)は黙ってろ!」



 三浦常松が舵之丞を睨みつけて大声で怒鳴った。取り巻きの逆上を予想していた舵之丞は、意地悪く笑いながら首をすくめて(つぶや)く。



「はいはい。でもオレや佐之助どのまで雑魚扱いはひどいなぁ」


「誰が雑魚だ!」



 今度は宮川佐之助が蛮声を張り上げる。



「やめないか、おまえたち」



 五郎が叱責し、三浦も宮川も怒りを抑えて姿勢を正す。


 五郎は三浦たち取り巻き連中を若山党(わかやまとう)と呼んで従えているが、若山党は舵之丞とすこぶる相性が悪い。舵之丞は五郎個人の武勇には憧れているのに、五郎からの若山党に加わる誘いは即時に断っていた。


 三浦と宮川が舵之丞と睨み合っている中、駒之介は構わず五郎に進言する。



「お父上と我が父が、尼子方だった毛利を大内方に引き入れるためにいかに力を尽くしたかを考えてもみられよ。毛利の存在がいかに緊要であるかは、五郎どのにも深く分かるはずだ」


「要は俺にも賛成しろということだろ、小太ァ。だが、この事態で毛利を救おうなんて、(すぎ)の奴らは戦費投入を憂慮して賛成しないだろうし、相良(さがら)ら文官衆も慎重論で反対に回るだろうよ。俺と小太ァだけで主張しても、実現は厳しいんじゃねえか。ここは一旦……」



 五郎が消極的な意見を語っていたその時。


 五郎と小太郎が向かい合っている表座敷の横の(ふすま)の一つが、バコォォツと大きな音を立てて外れ、倒れてきた。宮川佐之助がその襖の下敷きになっている。


 そこには、次の間から襖を蹴り上げた人物が立っていた。


 内藤家のあややである。その後ろで、少輔太郎があわあわと唇を震わせている。


 五郎も小太郎も、あややの顔を呆気にとられて見ている。


 あややの美しい眉は吊り上がり、肩で息をして、怒気に満ちていた。筆頭家老の陶隆房に臆することなく、上から見下ろして睨みつけている。



「え、あややどの、何してんの……」



 舵之丞が静寂に耐えきれず、あややに声をかけた。



「うるさい、舵ちゃんは黙ってて」



 あややは怒りが収まらないようで、足元に倒れる襖の縁を不機嫌に踏んだ。襖の下から「ぐえっ」という佐之助の声が聞こえる。


 誰よりも豪胆な五郎だが、この時はあややの気迫に押されて、見上げたまま視線を外すことができなかった。





<つづく>







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