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陰陽の濤 〜防芸厳島戦記〜  作者: 紘野 流
【第一部】 西京山口
8/19

※登場人物図鑑・用語集 【第一部】

【主要登場人物】



毛利千代寿丸(もうり ちよじゅまる) → (元服後)少輔太郎(しょうのたろう)


後の毛利隆元(もうり たかもと)。安芸国衆の吉田郡山城主・毛利元就(もとなり)の嫡男。毛利家の大内家への恭順の証として、山口へ人質として送られる。師兄として弘中駒之介を慕い、安芸安泰の夢を語り合う心の友となる。文武は及第の水準だが、知謀に長けた父元就や武芸に秀でる駒之介や陶五郎など周囲の実力の高さに気後れしている。後に「安芸の龍」と呼ばれるほどに成長する。



弘中駒之介(ひろなか こまのすけ)→ (元服後)小太郎(こたろう)


後の弘中隆包(ひろなか たかかね)。大内評定衆の一人で周防岩国の亀尾城主・弘中興勝(おきかつ)の嫡男。律儀で几帳面な性格で、武芸も勉学も日々の鍛錬を怠らず、剣術にも軍略にも長けている。心友の千代寿丸からは「駒さん」、幼馴染の陶五郎からは「駒ァ」と呼ばれている。後に「岩国の鷹」と称される勇将となり、安芸発展の夢に着手することになる。



陶五郎(すえ ごろう) (陶隆房(すえ たかふさ)


後の陶晴賢(はるかた)。大内筆頭家老にて周防国守護代・陶興房(すえ おきふさ)の嫡男。生まれは石見問田家で、伯父の興房の養嗣子となる。恵まれた体格と卓越した武芸で、早くから西国無双の大将の器量を見せている。豪胆な性格で気前も面倒見も良く、誰からも頼られる存在。「若山党(わかやまとう)」と呼ぶ近習武闘集団を率いている。後に「周防の虎」と呼ばれる豪将となる。



弘中舵之丞ひろなかかじのじょう


後の弘中方明(ひろなか かたあき)。岩国領主・弘中興勝の子で、駒之介の弟。几帳面な兄とは違ってズボラな性格だが、好奇心旺盛で武芸の筋もいい。ひと懐っこく、毛利千代寿丸や陶五郎からもかわいがられている。奇妙な幼名に父興勝の願いが込められていることを知り、早く初陣したいとワクワクしている。



内藤(ないとう)あやや


後の尾崎局(おざきのつぼね)。大内評定衆の次席家老で長門守護代・内藤興盛(ないとう おきもり)の娘。姉は大内義隆の側室。幼馴染の駒之介と舵之丞の弘中兄弟は母方の従兄弟。美しい顔立ちで気立てが良く、多くの武家から縁談話が来ているが、山口で人質生活を送る千代寿丸に一目惚れする。




【大内家・評定衆】



大内義隆(おおうち よしたか)


大内家第十六代当主。周防・長門・石見・豊前・筑前の五国の守護を務める西国の雄で、大宰大弐(だざいのだいに)も兼任。室町幕府との関係も良好で日明貿易(勘合貿易)の権利を独占し、名君と讃えられた父・義興(よしおき)をも凌ぐ大内の最盛期を築き上げている。文化に明るく芸能に長け、多くの公卿や文化人を招き、山口を花の都「西京」へと発展させた。



陶興房(すえ おきふさ)


大内評定衆の筆頭家老で、周防国守護代。尾張守(おわりのかみ)。大内義興・義隆の磐石な治世を支えた知勇兼備の名将で、「周防の虎」の名は全国に轟く。出雲から台頭した謀将・尼子経久や九州豊後の大雄・大友義鑑らの大内領侵攻も幾度となく撃退している。子が早逝したため、妹が嫁いだ石見問田家から五郎を養子に迎え、名門陶を継ぐ後継者として育て上げた。



弘中興勝(ひろなか おきかつ)


大内評定衆の一人で、周防岩国の亀尾城主。三河守(みかわのかみ)。駒之介や舵之丞の父。没落した弘中家を拾った大内家への忠節、武に疎い自分を副将格に抜擢した陶興房への恩義が深い。その交渉力で尼子方の毛利元就を大内方に引き入れ、東西条代官、評定衆へと出世。人材に二つ名を付けるのが得意。所領岩国の白崎八幡宮の大宮司も兼ね、興房からは予言者扱いされている。



内藤興盛(ないとう おきもり)


大内評定衆の次席家老で、長門(ながと)国守護代。下野守(しもつけのかみ)。文化に明るく信義に厚く、家中の信頼が厚い。いとこである妻の姉は先主大内義興の正室で現当主義隆の母、長女の問田殿は主君大内義隆の側室であり、強力な外戚である。妻の妹は弘中興勝の正室で駒之介らの母。三女のあややは毛利千代寿丸に惚れ込む。




【未登場の重要人物】



大内義興(おおうち よしおき)


先代の大内家当主。現当主・大内義隆の父。第一部の時点では故人。文武に秀でた名君で、西国に勢力を広げ、また応仁の乱で落ち延びた前将軍・足利義尹(あしかが よしただ)を奉じて上洛し復職させたことで、室町幕府の要職も歴任し、日明貿易(勘合貿易)の権利の独占も許可された。最盛期の大内を、嫡男の義隆に円滑に継承できた。



尼子経久(あまこ つねひさ)


出雲国(いずものくに)(島根県東部)を拠点とする戦国大名。第一部の時点では隠居直後。守護代からのし上がり、大内義興の上洛時を狙って、毛利元就を籠絡するなど謀略を進め、山陰から広く勢力を広げた。「謀聖(ぼうせい)」と崇められ、弘中興勝は「出雲の狼」と評している。長男が早逝したため、孫の尼子詮久(あきひさ)に家督を譲って引退した。



毛利元就(もうり もとなり)


安芸国の吉田郡山(よしだこおりやま)城城主。後に有力な戦国大名へと飛躍するが、第一部の時点では大内と尼子の二大勢力に挟まれて揺れ動く小勢力の一つでしかない。大内方から尼子方に鞍替えした過去があり、弘中興勝の説得で再び大内方へ帰参したので、大内への忠誠を示すために嫡男の千代寿丸を人質として山口に差し出した。




【用語集】



守護代(しゅごだい)


室町幕府から任命を受けた守護職が、その領国の統治を任せている代官。大内義隆は五国の守護なので、五人の家臣を各国の守護代に任じている。陶興房は周防国の守護代、内藤興盛は長門国の守護代であり、全五席をほぼ三家老が独占している。



評定衆(ひょうじょうしゅう)


大内家の最高経営会議「評定(ひょうじょう)」のメンバー。現代企業でいう取締役会の取締役たちにあたる。武官と文官の重臣たちから成り、武官は三家老ら五人の守護代を筆頭に、警固衆の冷泉隆豊ら大内直属軍の将や、岩国領主の弘中興勝ら有力豪族が並ぶ。文官は右筆(ゆうひつ)相良武任(さがら たけとう)を筆頭に、奉行人などが並ぶ。全体で十数人が参加する。



三家老(さんかろう)


大内家の三大武家である陶家・内藤家・杉家のことを指す。特に陶家は長きにわたり筆頭家老を務め別格とされる。内藤家は次席家老とされ、杉家は筑前守護代など北九州の統治を一任されている。五席の守護代の職は、この三家老の一族によってほぼ独占されている。かつては長らく陶家と内藤家が権力争いに明け暮れていたが、現当主の陶興房と内藤興盛の仲は良好で、平穏体制である。



西京(さいきょう)


大内家の本拠地・周防国の山口の別称。現在の山口県山口市にあたる。大内家の財力で発展した巨大な近代都市で、応仁の乱にて荒れ果てた京都に代わって続々と公卿や文化人が集まり、日の本一の文化都市となっている。政権を追われ復職を狙う足利前将軍や、水墨画家の雪舟(せっしゅう)、宣教師のフランシスコ・ザビエルなども滞在した。



■大内警固衆(けごしゅう)


各地の領主の水軍とは独立した、大内家直属の水軍の呼称。遣明船の警護や瀬戸内海の制海等に力を発揮する。冷泉隆豊(れいぜい たかとよ)が指揮を取る。



■岩国水軍


岩国領主の弘中家が組織した海軍だが、弘中家当主の興勝が文官畑に進んだ際に、冷泉隆豊の預かりとなり、大内警固衆に吸収されている。弘中興勝は次代に岩国水軍の復活を期待している。



若山党(わかやまとう)


陶五郎が、陶興房家臣の若き次男や三男らの中から武芸に優れる者を集めて引き連れている武闘集団。居城・周防若山城からその名をつけた。五郎の腰巾着のような連中だが、筆頭格の江良鬼丸(えら おにまる)は無類の強さを誇る。



安芸国(あきのくに)


現在の広島県の西半分(東半分は備後国(びんごのくに))。守護は安芸武田(たけだ)家だが、本作第一部の時点では武田家の権威はほぼなく、国衆(くにしゅう)国人(こくじん))と呼ばれる各地域の豪族が乱立割拠している状態で、周防国(山口県)の大内家と出雲国(島根県)の尼子家の二大勢力に挟まれ、国衆たちはどちらかの傘下に収まっている。経済も現代の広島市のように発展はしておらず、大内家の本拠である山口に比べてはるかに経済水準が低い田舎。ちなみにサブタイトル「防芸厳島戦記」の「防芸」とは、周防国と安芸国のこと。

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