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陰陽の濤 〜防芸厳島戦記〜  作者: 紘野 流
【第一部】 西京山口
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其の五: 継往開来


志道(しじ)どの、千代寿丸(ちよじゅまる)どのは稀に見る名君となりそうですなぁ」



 目を細めて笑う弘中(ひろなか)三河守興勝(おきかつ)が、客人・志道広良(しじ ひろよし)の盃に酒を注いだ。広良はつい苦笑する。



「ははは、三河守どの。お世辞も度を越すと嫌味となりますぞ」


「世辞なものですか。思ったままを申したまで」


「いや、うちの若殿はご子息に膝をつけられておりましたでしょう」



 志道広良は謙遜の表情で盃に口をつける。そこに上座の(すえ)尾張守興房(おきふさ)が割って入る。



「志道翁、この三州(さんしゅう)の見立ては確かで、嘘もつけぬ男だ。三州が申すなら、千代寿丸どのは間違いなく賢君の資質があるのだろう」


「尾張守どのまでそうおっしゃるなら、喜んで受け止めますが、なんと申し上げてよいものやら」



 志道広良はただただ恐縮する。陶興勝は口先の冗談を言う将ではないし、また弘中興勝の眼識も広良は以前からよく知っている。


 興房の名将ぶりは天下に轟いているが、その陰には興房が親しみを込めて三州と呼ぶ三河守興勝の慧眼と謀計がある。いつも気難しそうな興房の傍で終始莞爾でいる食えない無名の将だが、大内との交渉役を長らく務めてきた志道広良にはその実力は強く分かっている。



「ときに三河守どの」



 志道広良は三河守興勝に問いかける。



「三河守どのには二つ名を生む才がおありじゃ。我が殿のことも早くから、安芸の伏龍と評してくださってましたな」


「そうですな。やはり右馬頭(うまのかみ)どのは目覚ましく駆け上がっておられる」



 興勝は当然だとばかりに頷きながら答える。毛利(もうり)右馬頭元就(もとなり)は必ず龍として大成する人物であると、興勝はずっと確信してきた。



「では三河守どのの目から見て、千代寿丸様にはどんな二つ名が相応しいじゃろうか」



 志道広良には不安があった。広良も人を見る目には自信はある。千代寿丸に対しても幼少期から大器晩成型の器量を感じていた。しかし今のところは千代寿丸には智にも武にも突出した部分は特に感じられない。本人も次弟の武勇や三弟の知恵に気後れしている節があり、大成する前に潰れないかと心配の念がある。


 興勝は笑顔を絶やさずに答えた。



「千代寿丸どのの二つ名は、安芸の龍、でござるよ」


「えっ。それでは、我が殿と同じ」


「ええ。千代寿丸どのは父君を伏龍から昇龍へと覚醒させる存在となり、そしてその龍の名を継ぐ。拙者にはそう見えますがのう」


「まことですか……」



 興勝の即答に、志道広良は戸惑っている。興勝が世辞も虚言も言うような人物でないことは重々承知だが、平凡そうな千代寿丸に対してあまりにおだてすぎではないか。どうも信じ難い。


 困惑のあまり、広良は助けを求めるように陶興房に目を向けた。目の合った興房は相槌を打ちながら明言する。



「白崎の大宮司たる神眼、当たるぞ。三州の予言にはわしも幾度と救われておるからな。三州の評なら、わしが保証する」



 弘中興勝は、所領岩国に鎮座する白崎八幡宮の大宮司を務めている。白崎八幡は鎌倉政権期に弘中家の先祖にあたる源良兼(よしかね)によって創始され、以来代々の弘中家当主が大宮司の職に就いてきた。


 弘中家は一時、大内家の内紛に巻き込まれ、白崎八幡宮の社領を有するだけになるほどに落ちぶれた。だが、応仁の大乱で大内政弘(おおうち まさひろ)が上洛した際、興勝の父が神がかりな剛勇で大きな軍功を挙げた。政弘の一字を与えられて三河守弘信(ひろのぶ)を名乗り、厚い信頼を受けて岩国全土の所領も取り戻せた。


 この弘信の嫡男である興勝は、父ほどの武勇は受け継いではおらず、役人の道を進んだ。戦さとは無縁の人生のつもりだったが、陶興房は大内義興の上京に供奉した時、縁起をかついで興勝を副将格に起用。大宮司だからと戦勝の祈祷を執り行わせた。


 すると興勝が祈祷をした日には、なぜか大内軍は勝利を収めた。当初の名は弘中興輔(おきすけ)だったが、大内義興があまりに勝利を招く興輔を気に入り、興勝の名を与えた。興房も興勝を友のように親しみ、軍監として常に意見を求めた。興房の強い推薦もあって、いつしか興勝は大内家の評定衆に加わるほどに出世した。


 興勝自身は神眼など持っているつもりはない。大宮司の職も家業でしかなく、感じたことを素直に伝えているだけだ。しかし興房は興勝の意見にはどこか神秘が宿っていると考えている。



「では三州よ。我が子、五郎(ごろう)はどう見る」



 興房は庭で他の子弟と木剣を交えている隆房を顎で示しながら、興勝の目を見つめた。後継者たる五郎隆房(たかふさ)の行く末を真剣に案じている様子が、興勝にも強く伝わってくる。陶家には血塗られた過去があったが故に、興房が次代を気にかけるのも無理はない。



「三州はわしを周防の虎と評したな。では、五郎はどうじゃ」


五郎(ごろう)どのも、周防(すおう)の虎です。あの武勇ですぞ。されば、西国無双の大将となるは必定」



 興勝(おきかつ)はいつもの笑顔のまま即答し、興房(おきふさ)は驚く。



「まことか。そんな器か」


「はい。もちろん人である以上、欠けている部分はありましょう。しかし、欠点は周囲の力を借りれば足りること。うちの駒之介(こまのすけ)もおりますし、千代寿丸(ちよじゅまる)どのもおります。虎児(こじ)は立派な猛虎に育つもの。今後の大内を導くのは、五郎どので間違いないでしょう」



 興勝の意見を聞いて、興房の表情は緩む。興勝の発言には美辞麗句もないし、何より当たる。興勝の月旦評(げったんひょう)にはいつも安心感がある。



「しからば、駒之介はどうなんじゃ。己が子を(たと)えるとしたら」



 気分に余裕ができた興房は、意地悪く興勝に尋ねた。志道広良(しじひろよし)も面白がって身を乗り出すように聞き入る。


 興勝は庭の駒之介の姿に目をやり、しばし考えた末に答えを口に表す。



「そうですなあ。鷹ですかな。岩国の鷹」


「ほう、鷹か。その心は」


(とんび)が鷹を生む、雀が鷹を生む、の鷹ですな」



 にこやかな興勝の答えに、興房と広良は一瞬呆気に取られ、その自虐が可笑(おか)しく共に大笑いした。


 だが興房も広良も案外的確な評価だと感じていた。駒之介の電撃的な太刀捌きは、隆房の豪快な斬撃とはまた違う。隆房の剣が(たけ)き虎の爪なら、駒之介の剣は確かに機敏な鷹の爪だ。さすが興勝は上手い喩えをする。


 興房は庭で剣に戯れる次世代の子たちに優しい目を向ける。



「周防の虎に岩国の鷹、そして安芸の龍か……。彼らが共にその手を携えてくれれば、大内の今後も安泰かもしれぬな。なればこの興房、この世に何の憂いも未練もないぞ」



 晴れやかな表情で、興房は告げた。


 この宴会の数日後、名将陶興房は突如隠居を表明した。これには大内の諸将は言葉を失い、国衆たちは大事態だと驚いた。


 主君大内義隆(おおうち よしたか)は慌てて撤回を求める。



「尾張よ、思い直してはくれぬか。まだまだ教わりたいことは山ほどあるというに」


「ご冗談を。御屋形様はもう立派な名君でございます。そして後進も心強い者ばかり。この老骨おらずとも、大内は安泰です」



 陶興房は恭しく頭を下げた。天下の名将といえども齢は六十を超える。老齢を理由に決意は揺らがず、義隆も受け入れるしかなかった。


 興房にはもう憂患はなかった。興勝が見立てたように嫡子五郎隆房をはじめ将来有望な次世代が育ってきているし、また長門守護代の内藤興盛も信頼のおける重臣で、次世代を善く導いてくれるだろう。


 興房は陶の家督を、五郎隆房に譲った。



「五郎。三州が申すに、おまえも周防の虎だそうだ。これまで実の父ではないわしの厳しい教えに、よく耐え抜いて強く育ってくれた。おまえのような子を持てて、わしは幸せであったわ。陶を、大内を頼むぞ」


「実の父は人としての父、親父どのは虎としての父にございます。虎の名に恥じぬよう、必ずやご期待に添えてご覧に入れまする」



 五郎にも迷いはなかった。必ず来る道だと覚悟があった。養父のような名臣に、いや養父を超え後世に名を残す名将になると心に誓う。


 嫡子隆房に陶家の家督を譲った興房は、出家して道麒(どうき)の法号を得た。


 陶興房の引退は、先主義興の逝去に並ぶほど、大内の歴史がまた一つ新しい時代へと移る大きな転換点となった。




<つづく>





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