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陰陽の濤 〜防芸厳島戦記〜  作者: 紘野 流
【第一部】 西京山口
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其の四: 家老筆頭


「両者、そこまで」



 陶興房(すえ おきふさ)の声が響いた。主審役が扇子を突き出して割って入り、二人の剣は止まった。盛り上がっていた会場中の声も、暴風の後の静寂のようにぴたと止む。


 夢中で打ち合っていた千代寿丸(ちよじゅまる)駒之介(こまのすけ)も我に返る。剣を引いて互いに礼を交わすと、肩で息をしながら、声の主のほうへと座礼の姿勢を向けた。


 主宰者の陶尾張守(おわりのかみ)興房は立ち上がる。その存在感は圧倒的だった。


 興房は稀代の名将である。今の大内家の繁栄も、興房の強大な支えがあってこそと言えた。


 陶家は大内家の傍流にあたり、家臣団筆頭として重きを務めてきた。一時期凋落の危機に陥る混乱があったが、その渦中で若くして家督を継いだ興房は、その優れた知勇を発揮してたちまち陶の家名を立て直した。


 先主大内義興(おおうち よしおき)が上洛した隙に出雲から覇を広げた謀将尼子経久(あまこ つねひさ)が、なかなか大内領を侵すことができなかったのも、陶興房の巧みな戦術とただならぬ気迫に阻まれていたからだ。陶興房の存在が山陰山陽の勢力図の鍵となってきたと言っても、過言ではない。


 副将格の弘中興勝(ひろなか おきかつ)は人材に通り名を付ける癖があるが、上洛の際に主将の陶興房を「周防の虎」と呼んだ。将軍足利義尹(あしかが よしただ)もその異名を気に入って連呼し、以来興房は西国の猛き虎として朝廷や諸国にも知られた。


 激しい仕合を終えた駒之介と千代寿丸は、名将の次の言葉を待つ。



「千代寿丸どの。初参加の緊張もあったろうが、最後までよく諦めずに闘われた」



 興房の言葉はまず千代寿丸に向けられた。



「はっ、恐れ入ります」


「駒之介の剣はいかがであったか」



 高名な興房からの質問に、千代寿丸は内心慌てる。興房が自分を見る目は、毛利を見る目。千代寿丸はなんとか言葉を選び出す。



「はっ。駒さん……、いや、駒之介どのは卓出の剣の使い手。今の私ごときではとても太刀打ちできませんでした。天下に聞く大内の強さを、身をもって知った心地です」


「そうか」



 興房は目を細めて頷いた。千代寿丸は毛利を高める言葉が出せなかったことを悔やむも、ひとまず大内を誉めるそれらしい回答ができたと思って安心の息を吐く。



「では駒之介よ。千代寿丸どのの剣はどうであったか」



 興房は次に駒之介に問う。駒之介の返事は早かった。



「はっ。千代寿丸どのにはなかなか隙がありませんでした。私も防戦一方になってしまい、反撃の機会がつかめないままでした」



 駒之介はうやうやしく述べる。


 横で聞く千代寿丸は駒之介に感謝する。きっと自分を気遣ってくれたのだろう。剣捌きに長けた駒之介が自分などに苦戦するはずがない。毛利を立てるための接待役に徹してくれたのだと直感し、心が救われる気がした。


 興房は両者を讃えるように微笑むと、その視線は次に嫡男の五郎(ごろう)へと向けられた。



「五郎よ。今の仕合、よく見ておったか」


「はっ。しかと」


「これからおまえは、ここの皆と共に戦うことになる。どうだ、おまえの目から見て、おまえも含めてここの誰かが戦さ場で窮地に陥り最初に命を落とすとしたら、それは誰だと思うか」


「真っ先に死ぬ者ですか」



 興房の突然の問いかけにも、五郎は冷静だ。この上覧仕合が後継者たる自分の教育のために催されているということを、五郎はよく理解している。父がその手の質問をしてくることは想定済みだ。


 五郎は堂々とした態度で率直な意見を述べる。



「単純に考えれば、千代寿丸でしょうか。力も技もまだまだで、真っ先に力尽きるでしょう。しかし、一方の駒之介にも甘さがある。千代寿丸の技を引き出そうと手加減していたようにも見えます。その優しさで、駒之介は弱い者らを真っ先に守って一番に死ぬかもしれませぬ。しかし父上」


「うむ」


「そんな彼らを死なせるわけにはまいりません。この五郎は陶を継ぐ者として、陶に仕える彼らの命を、私の武をもって守っていきます」



 五郎は迷いなく答えた。陶一党を率いる立場で考えれば良き答えに違いない、と五郎は自信満々の表情である。周囲の諸将や子弟たちも、さすがは五郎様と賛美の表情を見せる。


 だが、その回答を聞いた興房の表情は厳しく曇り始めた。



「相変わらず、思い違いをしておるのう」


「……ははっ」



 褒められるはずだと思い込んでいた五郎(ごろう)は途端に焦り、姿勢を正す。最後の一言は余計だったか、などと思いが巡る。


 養父興房(おきふさ)からは叩かれたり怒鳴られたりしたことこそないが、静かに諭す時が最も恐ろしく感じる。父の気迫はどんな仕合相手より怖い。


 興房の険しい表情に、場が凍りつく。なぜか横に座る弘中興勝(ひろなかおきかつ)だけがいつもの笑顔のままだが、みな背筋に冷汗を感じた。


 興房が口を開く。



「五郎よ、よく覚えておけ。弘中も毛利(もうり)も、(すえ)の家来ではないのだぞ。弘中は我ら陶と同じく大内の直臣。毛利は大内の同志なれど独立した国人。弘中も毛利も大内に尽くしてくれるが、その一臣に過ぎぬ陶などいつでも見放せるのだ。それが分からぬようでは、おまえが戦さ場で真っ先に死ぬ。陶は皆に生かされておるのだ。決してそれを忘れてはならぬ」


「は、はっ……。親父どののおっしゃる通りでございます。五郎が浅はかでございました」



 五郎は頭を下げた。興房の苦言はまさに正論で、反論の余地がない。自分はそれらしい答えに酔っていただけだと悟る。養父の教えに感謝する。五郎は武骨ではあるが、そういうことが理解できる頭を持っていた。


 陶興房の声が、場に響き渡る。



「皆の者、今日も素晴らしき武芸であった。共に鍛え合い磨き合って、戦さ場で支え合える力を持とうぞ。大内の今後の繁栄はおぬしたちの働きに懸かっている。しかと頼む」


「ははぁっ」



 一同がかしこまった。これをもって会はお開きとなる。


 仕合ってまだ物足りない様子の子弟たちは広い庭のあちこちで思い思いに木剣を交えている。




(こま)ァ、千代(ちよ)ォ。さっきの仕合(しあい)、どちらもよかったぜ」



 五郎が人懐っこく二人の肩を抱き寄せて、楽しげに声をかける。


 五郎と駒之介(こまのすけ)は、昔から共に学んできた幼馴染である。五郎は父が弘中興勝を重用して仲良くしている関係性に憧れて、駒之介には気を許している。一方の駒之介は一つ年上の五郎に対しては一歩引いて接しているので、五郎は駒之介にもっと心を開いてくだけてほしいと思っている。



「駒ァ、おまえの太刀は相変わらず早ぇな」


「五郎どのこそ、貫禄の全勝で感服した。まだまだ私も未熟ゆえ、戦場で真っ先に死なないよう努めないと」


「おいおい、親父どのに叱られた話を蒸し返すなよ」



 隆房は駒之介の返答に苦笑し、次に千代寿丸(ちよじゅまる)の肩を引き寄せる。



「おう、千代ォ。おまえもなかなか度胸があるな。山口にいて困ったことがあったら何でもこの五郎に言いな。駒ァの友であれば、この五郎の友も同然よ。この力、友にはいつでも貸すからな」


「は、はい」



 五郎が笑って軽く肩をパンパンと叩き、千代寿丸は恐縮して応える。


 千代寿丸はそれまで、五郎が苦手だった。初めて会った時から、駒之介を「駒ァ」と独特の発音で呼ぶのも耳に障っていたが、自分を「千代ォ」と勝手に呼び始めるのにもイラッとした。郎党どもを引き連れて威勢を張るお山の大将気取りのぼんぼんという印象だった。


 だが、仕合での天下無双の武芸を見て、そして自分を友と呼んでくれたのを聞いて、千代寿丸は五郎を見直した。天下の名将となる資質が大いに感じられる。


 卓越した陶五郎の将器に、卓抜した弘中駒之介の智勇。やがて大内の中核を担うことになるであろうこの二人からの心象で、毛利の未来は決まるのかもしれない。千代寿丸には二人からの友情がありがたかった。


 自分はまだまだ小さいと、仕合で実感した。いつか必ず、隆房にも認められ駒之介にも驚かれるような武勇を持ちたい。できることなら、彼らを超えたい。


 千代寿丸は仕合前よりもさらに、志気がみなぎった。





<つづく>




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