其の二十一: 両家婚儀
お紺が初めて心を開き、弘中小太郎へ嫁ぐ意思を父に告げた。
突然の告白に驚いて唖然としている小太郎に構わず、二宮下総守の言葉は次に長男・善哉丸に向かう。
「……善哉丸っ」
「ここにいまーす。善哉丸は、ここでーす」
「……善哉丸よ。今わしがおまえに、この弘中どのの家来になれと命じれば、おまえは今すぐに岩国に行く気はあるか」
「行く行くー。寺はイヤだし、面白そうー」
善哉丸は呑気に手を挙げて喜んでいる。兄の姿を見て、お紺も微笑んでいる。
下総守は姿勢を正して一つ後ろに下がると、突然頭を深く下げた。きょとんとしている善哉丸とお紺に、下総守は男泣きをしながら謝罪した。
「善哉丸っ、お紺っ……。この愚かな父を赦してくれ。わしが全て間違っておった。これまでおまえたちに、そんなにも辛い想いをさせてきたのは、わしのせいだ。赦せっ……!」
下総守は頭を床に擦り付けて詫びた。流れ出る涙で床が濡れていく。
今まで、善哉丸やお紺がなぜ親や周囲の者の思いを分かってくれないのか、なぜ自分から遠ざかろうとするのか、下総守はそれが分からずに苦悩していた。家中に示しがつかず、困り果てていた。
しかし、目の前で小太郎に心を開いている二人の様子を見て、下総守は思い知らされた。自分たちのほうが善哉丸やお紺を分かってやろうとしていなかった。自分たちのほうが善哉丸やお紺を遠ざけていただけなのだ。
二宮家の面子ばかりを気にして、寺に追いやったり自室に閉じ込めたりして人との接触を避けるようにしたのは、親の自分である。その後悔がどっと心に押し寄せた。
善哉丸は頭の病、重度の精神疾患と思い込んでいたが、それは違った。親も知らないような文献の学を驚異的に吸収していき、それらを楽しく披露していただけだったのだ。
そしてお紺は心の病と思い込んでいたが、それも違う。単に兄思いの心優しい少女だった。家族も家中も誰もが兄の善哉丸を毛嫌いして無視し、遠ざけて追い返す様子を見て、二宮家に絶望し心を閉ざしてしまったのだろう。善哉丸が家に戻るたびにお紺の部屋に飛び込んでいたのは、お紺がだけが話し相手になってくれていたからである。
二人の子は誰からも見捨てられながら生きてきた。全ては親の悪い偏見から始まった結果なのだ。
弘中小太郎にはそんな偏見がなかった。善哉丸の知識を理解して一緒に楽しみ、その兄との友誼を窓から目にしたお紺は自ら部屋を出て心を開いたのだろう。本来親がやるべきことを、小太郎は目の前でやってくれたのだ。
「……弘中どのっ!」
「はっ」
「この二宮下総守、一生に一度のお願いを申し上げる。この我が娘、お紺を嫁に迎えていただきたい。そしてこの善哉丸を、岩国の郎党として預かっていただきたい。二人はこの愚かな父と違い、心の優しい子たちでござる。何とぞこの願い……、お聞き届けくだされっ」
下総守は頭を床に埋めたまま、小太郎に懇願した。表情は見えないが、その涙声からも下総守の真剣な想いは伝わってくる。
「二宮どの……」
「この縁談成れば、わしは責任をもって全力で家中をまとめ、大内に臣従することを誓いまする。命を差し出せと言われれば、すぐにでも差し出しましょう。それゆえ、何とぞ、何とぞっ……!」
下総守はいつまでも平伏した。この小太郎が忠節を尽くす大内家ならば信用できる。いや、この小太郎という若武者が天下に羽ばたくのを近くで見ていたい。下総守にはそんな想いが燃えていた。
小太郎は困惑していたが、お紺も善哉丸も父の悲しみを案じるような視線を送ってくるのを見て、心に決めた。
「表を上げてください、二宮どの。ご子息もご息女も心清らかなお方で、感服致しました。私も皆さんと身内になれれば嬉しく存じます」
「弘中どの……。では……」
「はい。私は大内評定衆の身ゆえ、山口で御屋形様のお許しをいただければの話になりますが、謹んでお話をお受けいたします」
小太郎は了承し、優しく微笑んだ。お紺と善哉丸の顔にも笑みが咲く。頭を上げた下総守の顔は、涙でくしゃくしゃになっていた。その涙はまだ止まらない。感謝の言葉が嗚咽で詰まり、代わりに何度も頷く。
口を開けたまま珍しく言葉を止めていた善哉丸が、思い出したようにまた喋り始めた。
「ボクが小太郎どのの家来になるってことは、これからは小太郎どのには敬語じゃないといけないよねー。いや、妹のお婿さんなのだから、ボクのほうがお兄さんってことかー。じゃ敬語は要らないってことかなー」
善哉丸の無邪気な明るさに、お紺もくすくすと笑う。小太郎も微笑んでいる。下総守はこれまでに一度も感じたことのなかった、家族の幸せというものを肌で知り、感涙を止められずにいた。
縁談を決めた下総守が最も懸念していたのは、最新参に過ぎない二宮家と評定衆の弘中家との婚姻を主家の大内が認めない可能性が大きいことだった。だが、小太郎が山口に帰って確認すると即刻、主君大内義隆からの許可が下りたという。大内家としても安芸二宮家をとり込めるのは良策と判断されたのだろう。
周防も安芸も尼子撃退直後の不安定な時期とあって、両家の婚姻は早急に進められることとなった。二宮下総守は慌ただしく結納の準備に追われたが、これほどまでの幸せな作業は生涯の記憶の中にはなかった。
弘中家の居城、周防岩国の亀尾城の一帯を、錦見という。周防随一の清流である錦川を眼下に眺める丘陵であることからその地名がついた。
その錦見の丘の一画に、琥珀院という禅寺がある。遠くに望む錦川を借景とした美しい庭園を持つ古寺で、大きな広間などの使いやすさから、岩国領主の弘中家は迎賓の宴や式典などに度々利用してきた。小太郎とお紺の婚礼の儀もまた、この琥珀院にて執り行われた。
十分な準備期間もなく、両家の近親のみのささやかな祝宴である。華燭の典とは言い難い質素な小宴ではあったが、両家の幸せはいっぱいに満ちていた。新領主の慶事とあって、岩国の領民たちも新鮮な野菜や川魚などを持ち寄ってきた。城下の町や近隣の村の家々でも乾杯の声が聞こえる。
安芸から琥珀院へやってきた二宮家の一族は当主下総守を筆頭に、新婦側に並ぶ。次期当主に指名してある次男の万哉丸は療養中、またその母である後妻も万哉丸の看病のため欠席となったが、二宮側の参列者はみな小太郎の人柄を認め、お紺の幸せを願って満面の笑みである。やかましさが不安だった長男善哉丸も、新たな主人の大事な席と認識しているのか、案外おとなしく座っていた。
新郎の右手に並ぶ弘中家の筆頭には、既に隠居した父興勝の姿がある。盟友陶興房の死からはやせ細っていった興勝だが、この日は感無量の表情を見せていた。なにせ、自分が現役中に安芸攻略を担い国衆と交渉を繰り返していた中、頑なに誘いを断って中立を保ち続けた頑固な二宮下総守が、嫡男の舅となって大内に恭順してくれたのだ。唯一と言っていい心残りが晴れた心地であった。
興勝の細めた目が合い、下総守も笑顔を返す。ふと気づくと、横で大人しく座っていた善哉丸の姿がない。慌てて目で探すと、善哉丸はいつしか新郎側の末席にいる舵之丞の横に座って、なぜか一緒にふざけ合っている。十歳ほどの舵之丞もまた、善哉丸を義兄弟として難なく受け入れてくれているようだ。弘中家の心優しさに、下総守はまたも感極まる。
新郎側には他に、興勝の弟で石見吉見家に仕えている弘中頼之、文官として大内家の奉行人となっている弘中正長、他家の養子となっている庶子の次弟や三弟らが列席している。小太郎の母は既に他界しているが、母方のいとこである内藤あややが手伝いがてら参宴していた。
琥珀院での簡素なれど朗らかな宴席を、沈もうとする夕陽が庭から照らし、幻想的な赤色に包み込んだ。
そこに、近習の小山弥右ヱ門が駆け込んで伝える。
「安芸の毛利様より、お祝いが届いてございます」
小太郎や一同が目をやると、竹籠を持つ従者を従えた若武者が入ってきた。毛利少輔太郎隆元であった。
「少輔太郎どの」
「小太郎どの、こんな遅くに恐れ入る。新婦どの、御両家の方々、この度のご婚姻、誠におめでとうございます」
少輔太郎は座して手をつくと、明るく祝いの言葉を述べた。
「ちょっと、舵ちゃん……っ。太郎どのが、私に、会いに……っ!」
あややが顔を真っ赤にして照れながら、舵之丞の左肩をバンバン叩いた。善哉丸も面白がって舵之丞の右肩をバンバン叩いている。
「痛い痛い。こんな暴力女に会いに来るわけないでしょ」
舵之丞の指摘どおり、少輔太郎は当然あややに会いにきたわけではない。
当主の父元就が毛利からの祝儀の品を使者を立てて送らせようとしたが、直接祝辞を伝えたいからと、少輔太郎自らが運んで吉田郡山城から参上したのである。
「こちら、父から預かりし毛利からのお祝いです」
背後に控える従者が竹籠を三つ並べ、少輔太郎は自ら蓋を開けて見せた。いずれも中は白い餅で埋め尽くされていた。
「本来は馬や太刀をご用意したいところなれど、大戦の後で武具類に余裕なく、餅であれば干して戦さにも使えるのでこちらでご容赦を、と父は申しておりました」
少輔太郎の伝言に、両家は爆笑する。毛利元就が自ら米を衝いて作るほどの餅好きなのは、安芸中に知れ渡っている。戦争用の非常食にも流用できるからというのは、いかにも元就らしい。
「少輔太郎どの、わざわざ来てくれて、本当に感謝する」
「小太郎どの……、いや、小太さん。おめでとう。安芸の姫と結ばれるなんて、私も嬉しいよ」
親友の二人は酒を注ぎ合って、喜びを分かち合った。その様子を、あややは惚れ惚れとして見ている。
「ああ……、太郎さま。友の婚礼に駆けつけるとは、なんと素晴らしいお方。互いに心で信頼し合うあの友情。そして太郎どのに嫁ぐ私もきっと、太郎どのと心で通じ合うことになるのね」
「はいはい、そうですねー」
あややがうっとりして、舵之丞がうんざりしていると、廊下からドカドカとうるさい足音が近づいて来るのが聞こえてくる。そして、大きな声が宴に飛び込んできた。
「おう、小太ァ!」
|陶五郎隆房《すえ ごろう たかふさ》であった。一同、目を丸くする。
「めでたい席に俺を招待してくれないなんて、水臭ぇな」
「いや、多忙だと思って」
「小太ァの婚儀なら、駆けつけるに決まってるだろ。ちょっと驚かせてやろうと思って、連絡なく若山城から来てやったぜ。とりあえずこの酒樽は祝いの品だ。飲み明かそうぜー、アッハッハ!」
五郎は豪快に笑って末席に腰を下ろした。筆頭家老のお出ましとあって全員恐縮してしまい、場が凍る。
「うっわー、なんでよりによってこいつが来るの!」
「あややどの、聞こえてるぞ! 筆頭家老をこいつって言うな」
小さく呟いたあややのつぶやきを、五郎が拾って笑った。会場は爆笑に包まれて、あとは五郎の許しもあって無礼講となった。
錦見の夜にいつまでも笑い声が舞った。大内家中の結束が、これからも続いていくことを表しているかのように。
<つづく>




