其の十九: 戦勝祝宴
世にいう「吉田郡山城の戦い」は、陶隆房率いる大内軍の毛利救援によって、尼子の総崩れという結末を迎えた。
総大将の尼子詮久は石見路を疾走し出雲の月山富田城へ帰陣し、大内軍と毛利軍は瞬く間に安芸内の尼子傘下の諸城を攻め落としていった。武田家の佐東銀山城、平賀家の頭崎城など、主だった尼子方の城は大内の手に落ちた。尼子方に擦り寄っていた厳島神主家の藤原氏も、この時に大内家によって滅ぼされて佐伯家にすげ替えられている。
尼子の安芸進出の足がかりはほぼ消えた。さらに同年十一月、病床にあった先代当主経久が逝去する。齢八十を超える引退者とはいえ、「出雲の狼」と呼ばれた伝説の謀将として尼子の心の支えとなっていただけに、家中は嘆きに暮れた。
新宮党棟梁の尼子久幸も安芸で討死している。経久と久幸という巨星を失った尼子。出雲や周辺諸国の国衆も、そんな甘子を見限って次々と大内方へと鞍替えしていった。流れは完全に大内のものとなった。
「各々方、安芸の地はこの五郎隆房が守る。共に栄えようぞ!」
陶五郎隆房が安芸国衆の顔を見渡して、盃を掲げて声を上げた。国人たちは猛った声で応えると、次々に酒を呷る。
安芸国内の尼子勢の城をあらかた落とした五郎率いる大内の先鋒軍は、成果十分として山口に引き上げることになった。出立前日のこの日、毛利家の音頭によって吉田郡山城に国衆が集まり、謝恩の宴が催されたのである。
尼子大敗の今、今後の安芸の運命は大内家が握るのは明らか。その家老筆頭の五郎に自らを売り込もうと、国人たちは顔色を窺いながら隆房に擦り寄っていく。
隆房は上機嫌だった。次々に献杯を受けて、諸将から大いに信頼されていることに喜ぶ。ここまで皆が自分を頼りにするのは、安芸の意志が一つにまとまりつつある証に思える。無礼講を宣し、心ゆくまで呑む。
「さすがは名門陶の若大将。西国無双の勇士ですなぁ。我々安芸衆もこれで安心じゃ。大内のために尽くそうぞ、なぁみんな」
一際明るい声を放っているのは、つい数日前まで尼子方として参戦していた吉川興経である。尼子詮久の敗走を見るや、すぐさま大内方への恭順を表明した。興経が調子の良い風見鶏であることは安芸中の誰もが知ることで、堂々とこの場を取り仕切ろうとしている姿に、みな苦笑する。
五郎が献杯攻めの合間を縫い、毛利元就に耳打ちする。
「実を言うとな、右馬頭どの。俺は貴殿を完全には信用できないでいたのだ。尼子と通じるかもしれぬと思ってな。右馬頭どのを疑ってきたこと、どうか赦してくれ」
「ふっ、五郎どのは正直なお人ですな。疑われるのは私の不徳ゆえです。今後もよしなに」
元就は五郎の正直さに笑う。右馬頭元就の取りなしで、五郎の前には安芸国衆がずらりと居並んでいく。我も我もと献杯を繰り出していく。
上座に密集する者たちを見ながら、まだ幼少の松寿丸と舵之丞は並んでもぐもぐと膳の飯を食べている。大人の政治が滑稽に見えるらしい。
「なあ舵之丞。なんで国衆どもは、小太郎どのに挨拶に行かないんだろうな。新宮党の棟梁を討ったのも小太郎どのだし、今後も山口と安芸の糸口は陶よりも弘中という気がするけどね」
「それを言うなら、毛利の太郎どのや松寿丸らにも挨拶しない国衆ばかりなのが謎だよ。次の毛利を担う若君らに顔を売っておいたらいいのにさ。あんなに行列成したところで、五郎どのなんて誰の名前も覚えないのに。松寿丸、もう吉川あたりをぶっ飛ばして家ごと乗っ取っちゃえよ」
「おまえ、顔に似合わずめちゃくちゃ言うなあ。お、言ってるそばから、兄上が小太郎どののところに行ったぞ」
松寿丸が縁側を指差し、舵之丞が目をやる。
輪に外れて縁側にいた弘中小太郎隆包のもとに、毛利少輔太郎隆元がまた誰かを連れてやってきた。
先ほどから少輔太郎は、様々な者を小太郎に引き合わせている。安芸国衆の中でも特に父元就が目をかける者だ。天野隆綱、小早川興景、宍戸隆家、熊谷信直、阿曽沼広秀など、元就が今後の安芸統制の中核に据えようと考えている実力者たちである。陶に擦り寄るだけの日和見の連中とは違う、強い結束で結ばれた毛利の同志ばかり。
小太郎も積極的に彼らと話を交わした。宴席の首座にいる五郎の視野には入らない位置で話を進めていた。
小太郎は幼馴染の五郎の性格をよく知っている。今も豪快に笑っている五郎は細かいことを気にしない豪放磊落の士に見えるが、実は組織の隅々までよく視ている。誰が味方で誰がそうでないか、誰が使えて誰が使えないかを目の奥で広く探っているのだ。今日の五郎はすこぶる欣々然の様子だが、毛利が主役の自分を蔑ろにして隠れて動いていないかと訝しむようなら、後々面倒なことになりそうだ。
少輔太郎も山口で五郎と小太郎の関係をよく見てきただけに、小太郎が何を心配しているのかも理解できていた。そのため密かに事を進めている。
「小太さん。こちらの方もぜひご紹介したい」
少輔太郎が小太郎に引き合わせた中に、二宮下総守という国衆がいた。安芸国西部の佐伯郡一帯に勢力を張る二宮家の当主である。
その佐伯郡の平良には速谷大社という神宮が所在する。伝承の時代である成務天皇の御代から続く長い歴史を持ち、平安期には中国九州全域で唯一の官幣大社であった。海運を重視する平清盛が厳島神社を大改修した時より安芸国第一宮の座は厳島神社に譲ったものの、速谷大社は陸運安全を司る第二宮として山陽道を往く人々の崇拝を受け続けていた。
その速谷大社の周辺地域に定住したことでその名がついたのが二宮家である。神域ゆえに山陽での影響力は大きいが、大内方と尼子方の長き対立の間で中立を保っていた。だが毛利の熱心な説得で、ようやく大内方へと気が傾き始めた頃であった。大内としても二宮と手を結べるのはありがたい。
「二宮どの。一度お会いしたいと思っておりました」
「それがしも弘中どののご勇名を耳にし、気になってましてな」
少輔太郎の仲介で出会った小太郎と二宮下総守は笑い合う。弘中家の岩国と二宮家の佐伯は地理的に近く、互いに気にかかっていた存在だった。二宮下総守は五十代の齢だが、息子のような歳の小太郎と話してみて、その人柄をたいそう気に入った。
小太郎と二宮下総守が少輔太郎を交えて話していると、野太い声が横入りした。
「おい、そこで何をこそこそやっている」
小太郎が声のほうを振り返ると、そこには|三浦総次郎房清《みうら そうじろう ふさきよ》、|伊香賀正助房明《いかが しょうすけ ふさあき》の二人が立っていた。いずれも陶の「若山の五房」の豪傑たちだ。誰もが平服で参列しているが、彼らだけは甲冑姿でいる。主君の護衛と場の警備を理由としているが、安芸の連中に強く威圧を与えたいからだろう。
声の主である三浦房清が、小太郎の目を睨みながら前に進み出た。
「殿の目を盗んでの結託など、許されることではないぞ。陶への叛逆と見なすことになる。何を話していたのか、我らに教えろ」
三浦や伊香賀は厳島神社で烏帽子親の主君陶隆房から加冠を受けて元服してからというもの、さらに傲慢さが増していた。
陶の郎党どもが苦手な少輔太郎はおろおろと目が泳ぎ、二宮下総守は事態が飲み込めずにあわあわと硬直している。陶家を事を構えるのが怖しい。
だが、小太郎は一向に動じずに返した。
「控えろ。貴殿らがそのようにわきまえぬ振る舞いをすれば、貴殿らの主君が恥をかくことになるぞ」
「……あ?」
「五郎どのは筆頭家老として大内の家中の序を正そうと力を尽くしている立場であろう。主君不在の場での尊大な態度は、主家に不利益を生むだけだ」
「なんだ、小太郎。偉そうに」
「私は評定衆だ。敬服しろとは言わないが、評定衆への侮辱は五郎どのが最も嫌うこと。そこの覚悟はできているな?」
「くっ……」
三浦房清と伊香賀房明は小太郎の正論に対して二の句が告げず、何かぶつぶつと吐き捨てて去っていった。
「弘中どのは、なかなか度胸がおありですな」
一連の騒動を見ていて、二宮下総守はいっそう小太郎のことを気に入った。三浦らへの対応も冷静で反論も論理的。物事の本質を常に重視している人物だと読んだ。
「我ら二宮の所領は内陸にあって、金回りの目減りも気になっている。弘中どの、一度我らの所領を見て、経営の助言を下さらんか」
「私などでよければ、ご協力します。海運全盛の今でも、内陸が活性化する道は必ず見つかるでしょう」
「おお。弘中どのにそう言っていただくと、心強い。お忙しいとは存ずるが、お願いいたす」
二宮は目を輝かせた。弘中小太郎は所領岩国で白崎八幡の大宮司を務めていると聞く。鳥居前町の統治の手掛かりも多く持ち合わせているかも知れない。何よりも、長らく中立を保ってき自分が繋がってもよいと思わせるほどの信頼できる相手が見つかったことが嬉しかった。
小太郎は近いうちに佐伯の二宮領を訪れることを約束した。
少輔太郎は胸を撫で下ろす。沈黙中立を続けてきた二宮が親友小太郎に心を開いてくれたことに安心した。安芸攻略を重視する小太郎がますます安芸に溶け込んでいく様子を、少輔太郎は誰よりも嬉しく思った。
郡山城での戦勝の宴は、夜更けまで続いた。
<つづく>




