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陰陽の濤 〜防芸厳島戦記〜  作者: 紘野 流
【第一部】 西京山口
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其の二: 人質生活


 天文(てんぶん)六年一二月一日。十五歳の千代寿丸(ちよじゅまる)安芸(あき)毛利家の人質として、周防(すおう)山口の街に送られてきた。


 弱小国人の毛利元就(もうり もとなり)は西国の大雄・大内(おおうち)家への忠誠を示すために、次期当主の嫡男を差し出すしかなかった。


 その世話役となったのが大内家臣の弘中家であり、駒之介(こまのすけ)はその嫡男。齢は十六。駒之介は律儀な性格で、何かと千代寿丸を気にかけてくれる。孤独な人質生活を覚悟していた千代寿丸は、同年代の駒之介が優しく接してくれることに安らぎを覚えた。



「駒之介どの……、いや、(こま)さん、って呼んでもいい?」


「もちろん。では私は、千代寿丸どのを何と呼ぼう?」


「んー、駒さんは真面目すぎる感じだからなあ。駒さんらしく、そのままでいいんじゃない?」



 千代寿丸は駒之介と笑い合う。友との時間はこの上ない至福だった。



 父元就から毛利の次代当主として求められた千代寿丸の使命は、大内家の信頼を獲得することだった。


 毛利家は長らく、安芸国内に無数にうごめく小勢力の国人領主の一つに過ぎなかった。守護の武田(たけだ)家が凋落してから安芸はさらに紛乱。この群雄居並ぶ安芸で生き残るためには、周囲の巨大勢力にすり寄るしかない。五国の守護となり西国随一の軍事力を有する周防大内家の傘下にやむなく収まっていた。


 中国地方では出雲(いずも)の守護代から身を起こした尼子経久(あまこ つねひさ)が急激に勢力を伸ばした。毛利は大内と尼子の二大勢力に挟まれて続けてきた。


 元就は経久に唆されて大内を裏切り尼子方へと寝返った。だが元就の弟の相合元綱(あいおう もとつな)が謀反を起こした際にその黒幕が尼子家だと知り、尼子方との手切れを決意する。


 相合元綱の粛清を手助けして元就の大内方への帰参を勧めたのが、安芸平定に動いていた大内家老筆頭、(すえ)尾張守興房(おきふさ)だった。その知勇兼備の高名は天下に鳴り響き、謀将尼子経久の侵攻も幾度も撃退している名将だ。


 そして、興房の命を受けて毛利元就を大内方へ誘い込んだ交渉役が、長らく興房のもとで副将格を務めてきた弘中(ひろなか)三河守興勝(おきかつ)という将である。


 小勢ひしめく安芸を鎮定するには毛利元就を籠絡すべし、と目をつけ主将興房に進言したのが興勝で、自ら交渉に臨んだ。興勝の理路整然とした説得と明朗な人柄に惹かれ、元就は大内家への鞍替えを決心した。


 一度大内の傘下を蹴って離れた毛利にとっては、大内の信用を取り戻すには余程の覚悟がなければならない。元就は後継者である嫡男千代寿丸を山口へ人質として送ることで、大内への忠誠を示した。千代寿丸はまもなく元服である。大内から加冠を受ければ、最良の忠誠の証となる。


 大内としても安芸支配のためには、安芸国衆の盟主的存在となるであろう毛利家を繋ぎ止めておきたい。そこで当主元就も心を許している弘中興勝が、千代寿丸一行の山口での接待役を担うことになったのである。




 千代寿丸とその従者たちは、宿所として瑠璃光寺(るりこうじ)の裏の大蔵院(だいぞういん)をあてがわれた。興勝は何かと彼らを気にかけ、頻繁に大蔵院を訪れて食材を届けたり、自邸に招いて料理を振る舞ったりと、できる限りのもてなしをした。


 興勝は千代寿丸の退屈しのぎの話し相手として、嫡男の駒之介を引き合わせた。二人はすぐに打ち解けた。


 生真面目な性格の駒之介は、日々武芸の鍛錬と学問の勉学を欠かさない。千代寿丸も孤独を紛らすために毎朝付き合った。


 千代寿丸は武家を継ぐ者としてそれなりに武芸の修練を積んできた自負はあったが、駒之介の剣の稽古で手合わせをすると、あまりの巧みな剣捌きの前に、すぐに負けを認めた。


 だが千代寿丸の得意の本領は学問だ。四書五経や兵法ならば易々とは負けない。そう思っていたが、駒之介は軽々と誦じ、さらには独自の解釈もさらさらと講じる。学問でも駒之介に敵わないと兜を脱いだ。



「駒さんはすごい。文武に秀でている。大内の中で生きていくというのは、それほどの器量を目指さないと駄目なのだ」



 千代寿丸は宿舎の大蔵院に戻るたびに家臣たちに愚痴を聞かせた。しかしそれは拗ねた諦めではなく、意地でも喰らいついていくという覚悟だった。


 幸い、駒之介は知勇の高さを驕るような人間ではなく、一緒に成長しようと躊躇なく教えてくれる人格者だった。千代寿丸は駒之介を兄のように慕い、剣術も学問も大いに学んだ。




「ちょっと、ちょっと、(かじ)ちゃん」


「《《あやや》》どの。何ですか」


「お庭でお兄様と剣を振ってるあのお方、どなたなの?」



 弘中邸を偶然訪れていた一人の少女が、竹箒で玄関先を掃いていた年下の少年に尋ねる。



「ああ、あれは安芸から来てる千代寿丸どのだよー」



 答えた少年は駒之介の弟、齢八の舵之丞(かじのじょう)である。



「あれが、毛利の千代寿丸どの……」



 少女は駒之介と共に庭で武の修練に励む千代寿丸の横顔に見惚れた。荒武者の多い大内の武家の子弟たちには見ない気品が見えた。


 あややと呼ばれたその美しい少女は、長門(ながと)守護代・内藤興盛(ないとう おきもり)の娘である。舵之丞よりも三つ年上で、駒之介より七つ年下。


 内藤家は(すえ)家、(すぎ)家に並び「三家老」と称される名門。あややの父興盛はその当主で、筆頭家老陶興房に次ぐ実力者である。弘中興勝の正妻の実家は内藤家であり、駒之介や舵之丞はあややとは親戚にあたり幼馴染だ。



「舵ちゃん、私、決めたわ」


「え、何を?」


「私、あの方と夫婦になるの」


「は?」


「いや、私が決めたんじゃない。これはきっと、決まってたのよ」


「えー。そんなこと言ってると、五郎(ごろう)どのがブチキレるよー。五郎どのの周りの奴らも偉そうにしてきて、面倒なんだよなー」


「関係ないよ、そんなの。ねえ、舵ちゃん。あの方のこと、これからもいろいろ教えて。もっと知りたいの」


「えー。自分で聞きなよー」


「うるさいなあ。協力してよ。この運命の出逢いはきっと、大内の歴史をも大きく塗り替えるほどの美しい婚姻となるのよ。きゃー。すてきー。だから舵ちゃんもさ、私に協力……、あれ? 舵ちゃん、どこ行ったのよ!」



 我に返ったあややは、いつしか舵之丞が姿を消していることに気づく。辺りを見渡して仰天する。舵之丞はいつの間にか、千代寿丸と話していた。



「千代寿丸どのー。何とかしてよー」


「ああ、舵之丞。どうした?」


「玄関の掃除をしたいのに、あややどのがうるさいんだよ」


「あややどの……とは?」


「なんかさっきから、抱かれたいとか何とか」



 千代寿丸に伝える舵之丞の背後から、猛烈に駆けてくる音が聞こえた。



「ちょちょちょちょちょ……っ、ちょっとっ!」



 あややが慌てて舵之丞の襟をつかんで引き寄せる。



「言ってないよね、そんなこと。え、舵ちゃん?」


「いや、さっき、夫婦になるのが決まってたとか運命の出逢いがどうのとか」


「ああああ、言ってないよねー」


「えー、あややどの言ってたよ。桃色の片想いがどうのとか」


「言ってないよね」


「あの方のことぉこれからもいろいろ教えてぇって言ってたじゃんー。この婚姻がぁ大内の歴史を塗り替え……」


「ちょっと黙ろうか、舵ちゃん」



 あややは顔を真っ赤にして舵之丞の口を押さえる。舵之丞は顔を固められてじたばたしている。


 唖然としている駒之介の横で、千代寿丸は額の汗を拭って冷静に言う。



「あややどの、ですね。お話は後ほど伺ってもいいですか。今は駒さんと大事な鍛錬中なので」



 白面の千代寿丸と目が合って、あややはいっそう頭が沸騰する。



「あ。いえ、気にせずがんばってください……。うちの舵の字が、お邪魔しましたー」



 あややはひきつった笑顔で首をすくめて、舵之丞を襟を持ちずるずると引きずって庭から退散した。「うちの舵の字って何だよ!」という舵之丞の声も一緒に遠ざかっていく。


 苦笑する駒之介が、千代寿丸に声をかけた。



「ちょうどいい、一息入れようか。千代寿丸どの」


「いや、駒さん。もうひと勝負やろう。(とき)がないんだ」



 千代寿丸は真剣な眼差しで、鍛錬の継続を所望した。駒之介も快く引き受けて、さらに木刀を交えていく。


 刻がない。それは、数日後に控えている剣術仕合のことを指していた。


 人質の千代寿丸にとって、それは大内家中において安芸毛利の存在と名誉を見せつける大事な舞台であった。千代寿丸はなんとしてもそれまでに、駒之介からできる限り太刀筋を学び取っておきたかったのである。


 千代寿丸は何度も、駒之介の技に喰らいついていった。






<つづく>




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