其の十八: 狼虎接戦
「ひ、ひぃ……っ、陶が来るっ!」
尼子本陣の青山から駆け降りた二番隊の小笠原長隆は、迫り来る陶五郎の虎の形相を見て震える。
小笠原家は石見の川本温湯城を本拠とする国衆である。大内義興が博多商人による大森銀山の開発を支援した際、所領が近いためその守備を任された。しかし次代義隆の時代になると、長隆は大森銀山を狙った尼子家に早々に降伏し、銀山を尼子家に明け渡した。その後も大内と尼子が大森銀山の領有をめぐって争うたび、小笠原家は鞍替えを繰り返してきた。
後に石見銀山と呼ばれ世界遺産にも認定される大森銀山は、当時全世界の銀の産出量の約三分の一を占めていたという。小笠原家が尼子に銀山を差し出したことで、尼子は莫大な利益を獲得し、それが尼子の軍事力増強の財源にもなった。五郎はそんな小笠原家を許せずにいた。
逃げ惑う小笠原長隆の前に、頼もしい戦士が現れる。
「父上、ここはそれがしにお任せを」
「おぉ弥三郎、よう来てくれた」
重そうな大薙刀を軽々と持って現れた大柄な男は、長隆の次男、弥三郎長晴である。小笠原軍随一の豪傑で、新宮党首領の尼子久幸からもその気迫を絶賛されたほどだ。猛将弥三郎の登場に長隆はほっと胸を撫で下ろす。
弥三郎長晴は五郎の前に進み出ると、大薙刀を構えて吠えた。
「あんたが陶の五郎か。この小笠原弥三郎が来た以上、ここは通さん」
「邪魔だ、雑魚が」
乗馬の速度を落とさず突っ込んだ五郎が大太刀を突き出すと、刃は深々と弥三郎の首に突き刺さり、その身体は鮮血を撒き散らしながら馬から落ちて地に転がった。
「ひ、ひぃぃっ」
小笠原長隆は次男の即死を見て顎をガクガクと振るわせ、遺体を置いたまま反射的に逃げ出した。当主を逃がそうと立ち向かってくる小笠原の親衛兵を、五郎は次々に斬り倒していく。
五郎に付き従う「若山の五房」と呼ばれる子飼いの将たちの強さも桁違いであった。三浦房清はその強弓で次々に敵将を射抜き、宮川房頼はその大薙刀で次々に敵兵を斬り倒す。
中でも江良房栄は怪力無双、重い大戦斧を軽々と振り回し、立ち塞がる将の頭蓋骨を兜ごと叩き割り、逃げ惑う兵の身体を真っ二つに両断した。房栄の前には一人の敵も残れない。
追いついて共に戦っていた毛利の将・熊谷信直は、五郎とその一党の戦いぶりに瞠目していた。慎重を重ねて理詰めで動き陰で戦局を動かす主君の毛利元就と比較して、直感的に動き自ら先鞭となる陶五郎。しかも毛利軍中では比肩する者はいないほどの猛勇。自軍とはあまりに次元が違う。こんな豪傑揃いの陶軍が味方であることは、毛利にとっては極めて心強い。
そう熊谷信直が心の内で想っていると、五郎が突然手綱を引いて馬を止めた。小笠原長隆が遠くに逃げ去っていくのも構わず、尼子本陣の青山の方角を見ている。
「ど、どうなされた。陶どの」
「おう、熊谷どの。……あれだ。見つけたぜ」
「何をでござる」
「尼子詮久よ」
「え、ええっ!?」
熊谷信直は五郎の回答に驚いて、慌てて青山を見る。本陣から続々と駆け下りてくる尼子軍。東西二手に分かれているうち、東側の軍の中に大きな軍旗が見えた。細目で見てもよく分からないほど遠いが、五郎は瞬時に気づけたのだろうか。信直は不思議に思って東方の隊の大旗を指差す。
「左の軍勢のあれは、大将旗ですぞ。なれば」
「いや、囮だな。詮久は右にいる。匂いで分かる」
「なんと」
「者ども続け、狼狩りだ」
「おおうっ」
五郎は信直に語るとすぐに、号令を叫びながら南西へと駆け出した。江良房栄や三浦房清ら陶軍がその後に続く。信直は半信半疑ながら五郎たちの突撃を追ったが、次第に目を見開いていく。五郎が狙った先に、見覚えのある馬が駆けているのが見えてくる。
「確かにあれは、”白狼”だ……。まさか」
これまでに幾度も尼子と交戦してきた熊谷信直は、総大将尼子経久が美しい芦毛の愛馬を駆る姿を目にしたことがある。弘中興勝が評した「出雲の狼」の異名を気に入ったのか、経久が白狼と名付けたと聞く。今その白狼を駆っているのは、兜や直垂を捨てた野良武者のように見えるが、経久から愛馬を譲られた詮久だろう。
しかし五郎は詮久の姿はもちろん、白狼を見たこともないはずだ。なぜ詮久の位置が分かるのか。匂いで分かったと言っていたが、そんなことがあり得るのか。
熊谷信直は五郎隆房の将器に改めて感奮した。あまりに若いこの総大将は、この戦いがほぼ初陣と聞くが、まるで喧嘩慣れしているかのように戦さの勘が働いている。あの名将陶興房をも凌駕する大将となる未来が見える。
五郎は雑兵らを斬り捨てながら、疾駆する芦毛の名馬を狙う。
「覚悟だ、尼子の詮久ァ」
「陶か」
尼子詮久は声を向けた将を横目で一瞬見ただけで、陶隆房だと認識した。猛虎のごとき威圧感。しかも意外に若い。先ほど本陣に現れた弘中小太郎とやらも若かった。自分よりも弱年の将たちの躍動を見て、大内の新陳代謝を強烈に感じる。
できれば初々しい好敵手と一騎討ちに興じたいところだが、大叔父久幸に逃がされたこの身を、一刻も早く本国へ戻さなければならない。強敵に構う余裕がない。詮久はとにかく先を急いだ。
近づいた五郎が太刀を振りかぶる姿が視界の端に見えた。詮久はしがみつくように身を屈めて愛馬の名を叫ぶ。
「白狼っ」
名馬は途端に加速して浮くように進み、五郎の太刀先が届くより一瞬早く、詮久は前へとすり抜けた。
「逃すかっ。行け、墨虎」
五郎は空を切った太刀を再び掲げ、負けじと詮久の後を追う。五郎の駆る黒鹿毛の愛馬「墨虎」も、父興房から譲り受けた当千の名馬。白狼に肉薄していく。まるで白熱の狩猟のような愉悦が湧き立ち、五郎の顔に思わず笑みがこぼれる。
主君を守ろうと尼子の将兵たちは五郎の背後に回ろうとするが、白狼と墨虎のあまりの速さに引き離されてしまう。そこへ来る後続の江良房栄や宮川房頼ら若山の五房の刃の餌食となり、血煙が疾駆の土煙に混じっていく。
距離を詰めた五郎が、詮久の背中に渾身の一刀を振り下ろした。だが尼子詮久は一瞥して手綱を捌くと、白狼が進路を傾け、五郎の切っ先は詮久の大袖の組紐を数本裂いただけに終わる。まさに人馬一体、詮久を乗せた白狼は巧みに墨虎を翻弄しながら突き進む。
やがて山道に差し掛かる。木々が並び雪に濡れた山道では、当主就任から安芸攻略の策を練り続け山岳戦に慣れた詮久に比べると、初めて安芸で戦う五郎には分が悪い。五郎は潮時を悟って馬を止め、声を張り上げた。
「尼子の詮久ァ。やるじゃねえか。いずれ仕留めるから待ってろ」
逃げ上手だと皮肉を言おうとしたが、つい褒め言葉が口から出た。
五郎の声を背中で聞いた詮久は、峠まで駆け上がると馬脚を止めて振り返り、離れた五郎を見下ろしながら答える。
「陶の五郎、だったな。おまえもなかなかの奴だ。ここは退いてやる。出雲へ来い。尼子の戦さを見せてやる」
詮久の目は死んではいない。敗れ去る悲壮感などなく、次こそは勝つという威厳に満ちていた。陶隆房を好敵手と認めたことを笑みで見せると、詮久は白狼を狩って北の山奥へと消えていった。
「出雲の狼、か……。面白ぇ」
五郎もつられて口角が上がる。燃える喧嘩はまだまだ続きそうだ。
中国地方には尼子経久の謀聖の勇名が轟いているが、父の陶興房は経久を時流に乗れただけの成り上がりに過ぎない将と評し、世間ほど高くは評価していなかった。事実、尼子経久は局地戦で幾度も陶興房に敗れて大内領への侵攻を失敗している。急拡大した尼子勢力も内部は一枚岩とは言えない危うさがあり、急成長に組織づくりが追いついていない。
五郎は幼き日から父興房の武功話を聞くたび、単独でも屈強な「周防の虎」に比べて、「出雲の狼」は群れて威張るしかない小粒な将の呼称だという認識があった。所詮は辺境のお山の大将だと思っていたのである。
しかし、実際にその目で「出雲の狼」の名を継ぐ尼子詮久の姿を見て、英雄の資質の片鱗が見えた気がした。喧嘩相手として申し分ない。やはり天下の戦さは面白いと、五郎の内からは血が湧き立つ。
馬首を翻して戻ると、必死に出雲へと逃げ帰ろうとする尼子の将兵に次々と遭遇する。
「大内に喧嘩を売ったらどうなるか、心底まで思い知らせてやるぜ」
五郎は江良房栄らと合流すると、逃げ惑う雲州勢を血祭りに上げた。その凄まじき太刀風は、尼子勢の剣槍をへし折り、鎧兜をひん曲げ、鮮血を噴き散らした。
以前から弘中興勝が内外に流していた「西国無双の侍大将」「周防の虎」の通り名は、尼子にも届いていた。長らく尼子の宿敵だった名将陶興房の嫡男はそれほどの異称を持つ豪傑らしいという噂。その予想以上の強さを目の当たりにして、尼子の将兵たちは血の気が失せる。
陶軍の猛勢は、誰にも止められなかった。これまで大内と尼子は幾度となく交戦したが、ここまでの虐殺は初めてであった。かろうじて生き延びて出雲へと逃げおおせた将兵も、「周防の虎」の凄まじい武勇に戦慄を覚えた。
安芸の地は、尼子の血に染まった。
尼子を撃退したことで、戦いは大内と毛利の大勝利となって終わった。
<第三部へつづく>




