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陰陽の濤 〜防芸厳島戦記〜  作者: 紘野 流
【第二部】尼子襲来
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其の十六: 本営急襲


 宮崎長尾(みやざきながお)吉川(きっかわ)陣に上がった炎は、青山の尼子(あまこ)本陣からもよく見えた。



「ちぃっ。兵糧をやられたか。各々、出撃の用意じゃ」



 総大将の尼子詮久(あまこ あきひさ)は舌打ちした後、声を張り上げる。


 毛利(もうり)の出撃は目で確認できたものの、剛勇興経(おきつね)率いる吉川勢ならば毛利を軽く押し返せるものと推測していた。しかしあの黒煙の様子では、兵糧を狙い撃ちにされたに違いない。


 真冬に食糧を焼かれては、いくら屈強の吉川軍といえど士気は急落するのは明らか。早急に手助けが必要だ。天神山に細々移っていく陶隆房(すえ たかふさ)の大内軍を警戒して、援軍を躊躇したのが悔やまれる。


 慌ただしく出撃態勢が整えられ、号令と共に騎歩兵が次々と青山を駆け降りて宮崎長尾へ向かう。大内の本陣はいまだ動きがなく、たとえ今から天神山を出陣したとしても、この速度で駆け抜ければその攻撃を交わし宮崎長尾の毛利隊を討てる、という判断である。


 各隊が北へと出撃し、尼子詮久も愛馬の鐙に足をかけようとしたその時、本陣の南側で異変が起きた。鬨の声が上がり、金属音が鳴り響く。



「どうした」


「殿っ、敵軍の急襲でございます!」


「なんだとっ」



 番兵の必死の連絡を聞き、詮久は唖然とし乗馬を止めた。


 吉田盆地とその周囲を注意深く見張っていたが、南には敵軍の姿は全くなかったはずだ。後顧の憂いがないことを確認していたからこそ北への出撃を命じたのに、南方にいるはずのない敵軍がなぜか現れた。



「馬鹿な……。どこの敵だ」



 詮久は胆戦心驚、背筋にぞくりと冷感が走る。


 いきなり、南側の陣幕を突き破って、血まみれの尼子兵がどさりどさりと地に転がってきた。詮久が咄嗟に目をやると、また一人の兵が勢いよく倒れてきて絶命する。


 陣幕が刃先で切り裂かれ、敵方の若武者が姿を現す。緋縅(ひおどし)の鎧を身に纏い、五枚錣(ごまいしころ)の兜の(ひさし)から鋭い眼光が光る。


 本陣に多数いる将兵の中から一瞬で敵総大将の姿を見つけ出した若武者は、振り下ろした刀を構え直してその剣先を向けて名乗りを上げた。



「大内が臣、岩国の弘中(ひろなか)小太郎隆包(たかかね)。尼子どのの御首級、頂戴する」



 小太郎の声で、本営の尼子兵は改めて大内からの急襲だと知る。



「う、うわぁ、大内の軍だ!」


「なぜ大内がこんなところに!」



 尼子本営は騒然となり、尼子兵は狼狽して取り乱している。


 小太郎は吉田郡山城にて軍議を終えた後、毛利の将・中原(なかはら)善右衛門就久(なりひさ)を先導役に借り、西の宮崎長尾へ出撃した毛利軍よりも先に岩国隊百騎を連れて東から城を出ていた。そして陶五郎(ごろう)が当初陣を構えていた住吉山の麓へと回り込んだ。


 五郎が本陣の移動を長く遅く進めて尼子の目を引きつけているうちに、小太郎は五郎が後方に残していた約千騎と合流し、可愛川(かわいがわ)の対岸を密かに進み青山城の南方へと到着。尼子本営の注意が北へ向いているところへ、南から登って奇襲をかけたのである。


 本陣はたちまち激戦の場となった。



「殿に近づけるな!」



 屈強の親衛隊が総大将詮久を護るべく素早く取り囲む。尼子が誇る武闘集団、新宮党(しんぐうとう)の一隊である。月山富田城(がっさんとだじょう)北東の新宮谷(しんぐうだに)尼子久幸(あまこ ひさゆき)が組織し拠点を構えたことからその名がある。


 常に尼子の先鋒となって敵に切り込む役を担ってきた山陰最強の軍事部隊だが、この数日は長引く攻城戦で本陣脇に駐屯していた。先ほど半数以上が副将の尼子国久(くにひさ)に率いられ宮崎長尾へ向けて出撃をしており、首領の尼子久幸とともに本陣に残っていたのは数十騎程度しかいない。


 そんな頼りになる精鋭の彼等の間を割って、総大将詮久は前に進み出た。



「俺が尼子修理大夫(しゅりのだいぶ)詮久よ。若造、この首獲れるなら獲ってみろ」



 詮久は憤慨して愛刀を抜き放つ。


 弘中小太郎隆包と名乗った敵将は明らかに自分よりも若い。そんな若造が、狼の名を継ぐ自分に堂々と剣先を向けてきたことが無性に腹立たしい。今すぐにでも斬り殺してやろうと、小太郎に向かって足を踏み出す。


 一人の老将がその鎧をつかんで詮久を後方へと押しやり、自身が代わりに小太郎の前方に躍り出た。大叔父の下野守(しもつけのかみ)久幸である。



「下野守」


「若、戦況を見られい。ここはわしに任せ、脱出を」


「しかし……」


「退くは大将の勇気、退かぬは大将の臆病なり。尼子に臆病は似合わぬ。退いて出雲で再起を。この久幸が臆病の謗りを引き受け、臆病野州(おくびょうやしゅう)の汚名はここで晴らす」



 尼子久幸(あまこひさゆき)弘中小太郎(ひろなかこたろう)に刃先を向け目で牽制をしながら、背後の若き当主へ退却を勧めた。


 郡山城への遠征に慎重論を唱えた久幸を臆病と罵ったことを、詮久(あきひさ)は今になって恥じる。その臆病野州が今、勇敢に当主を護ろうとしている。自分の責務は全ての恥を捨てて生き延びることだと自覚を始める。



下野守(しもづけのかみ)……」


「若、どうかご無事で。先の国久と合流すれば、新宮党(しんぐうとう)が殿を無事に出雲へ連れ帰す」



 久幸は強く撤退を促す。新宮党副将の国久(くにひさ)は先代尼子経久(つねひさ)の次男であり、詮久の叔父、久幸の甥にあたる。雄々しい大柄の男であり、久幸とともに常に尼子の先鋒として敵陣を切り裂いてきた猛者である。国久であれば主将久幸の遺志を汲み、詮久を(まも)り抜いて出雲帰還を果たすだろう。



「下野守、すまぬ……。全軍、退けぇい」



 詮久は震える声を絞り出して号令をかけ、青山(あおやま)を駆け降りる。遅れた将兵たちは散り散りになって後を追う。混乱の中で号令に気づかず取り残された雑兵も多くいたが、弘中隊に次々と斬り倒されていく。



「さて、最後の大仕事じゃのう」



 阿鼻叫喚と化した本陣に残った老将久幸は、総大将が退いたのを確認すると、一つ大きく息を吐き首を鳴らした。


 向かいくる尼子兵を次々に斬り伏せている敵将弘中小太郎に向かって、久幸は刀を抜き放ちながら歩みを寄せていく。ここ最近は国久らに前線を任せて指揮に徹しており、将との一騎打ちは久々だ。そして、きっとこれが人生最後の戦いとなるだろう。


 尼子久幸は全力で斬りかかった。小太郎はその鋭い斬撃を巧みに受け流す。だが受けた威力で、小太郎の腕は痺れている。



「やるのう」


「くっ……!」



 久幸の次の刃が舞い、小太郎は咄嗟に刀身で防いだ。


 久幸は小太郎よりはるかに年長者だ。齢六十は超えているだろう。しかしその一撃一撃の太刀は想像以上に重かった。一瞬でも気を抜くとその刃の餌食になってしまう。小太郎は必死にその太刀筋を逸らし、隙を見て反撃の刃を叩き込む。だが久幸は素早くそれを弾き返す。動作に無駄がない。


 両将の刃がかち合う金属音は、両軍入り混じる騒音の中でもいっそう強く目立って響き渡る。



 久幸と激しく討ち合う小太郎に、尼子の一兵が脇から飛びかかった。だが背後から長槍の先で殴られ、直後にその槍先で後ろ首を突かれ倒れる。荒々しい槍使いで小太郎の一騎打ちを守るのは、弟の舵之丞(かじのじょう)である。



「世の誰もが言う、天下の槍使い弘中舵之丞とは、オレのことだぁ!」



 世の誰もが言ってないから、その場の誰も理解できていない。首を傾げている尼子兵を、舵之丞はとりあえず槍でぶっ叩いて分からせてから、刃を突き入れる。


 続けて小太郎に向かう別の尼子兵へ、舵之丞は槍先を素早く繰り出した。槍の穂は的確に鎧の隙間を衝き、敵兵は絶叫を上げて地に転がる。



「名勝負だろ、邪魔すんなよ」



 血に塗れる尼子兵を見下ろし、舵之丞は言葉を投げる。


 舵之丞はこの二年、徹底的に槍術の腕を磨いていた。兄の隆包を支えていくために、自分が鍛えなければならないことは何か。それを考えていくうちに、周防でも有数の太刀の使い手である兄があまり使うことがない槍に行き着いた。


 自分には水軍の指揮という目標があるから、槍は合わないかもしれない。しかし長槍を極めれば、水上戦の新しい戦法も見つかるのではないか、と童児なりの発想で何となく思ったのである。簡単に表せば「なんかカッコよさそうな気がした」ということだ。


 兄の崇高な対決を見逃したくないために、周りの無粋な邪魔を積極的に排除していく。精鋭の新宮党ならいざ知らず、狼狽する雑兵は少年の舵之丞にも大した難敵ではなかった。岩国隊の面々も、舵之丞に倣って隆包の周囲で奮戦する。


 舵之丞たちの援護で、小太郎は敵将との撃ち合いに集中できた。久幸と刃を押し合うが、老将とは思えない怪力。腰を踏ん張り押し返している中、敵将と刃越しに目が合った。



「さすがは狼の右腕、尼子下野守どの」


「ほう、わしを知っておったか。三州(さんしゅう)の小倅よ」


「……!」



 小太郎は久幸が自分の存在を認識していることに驚いた。久幸はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、ぞくりとした小太郎の額には冷汗が滲んだ。




<つづく>





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