其の十五: 疾風迅雷
毛利勢は黄塵を巻き上げながら、宮崎長尾へと突入した。
陶五郎隆房率いる大内軍による牛歩の行列が尼子の大軍の目を惹きつけている後方で、郡山城から全軍で出撃したのである。
毛利の急襲は、油断していた手前の高尾勢二千、その後陣の黒正勢千五百を撃破し、千余人の吉川勢が固める最奥の本丸へと斬り込んだ。
毛利には傑出した猛勇の将は多くはないが、選りすぐりの猛者を決死の一番隊に集めていた。その先頭に立って豪胆に敵兵を斬り伏せている若武者。毛利元就の次男、松寿丸である。
「よーし、皆の者、このまま一気に行くぞぉ!」
「おおっ」
また一人敵兵を血に染めた松寿丸が彎刀を掲げて叫ぶと、一番隊の将兵は応えて鬨の声を上げた。
齢まだ十一での初陣でありながら、凄まじい気魄で敵を怯ませ、的確に鎧の隙を突く。少年とは思えぬ恵まれた体格、敵中でも動じぬ気焔。それを見た周囲の味方の将兵も奮い立つ。まさに天性の驍将と言えた。
一番隊が切り拓く後を進み行く二番隊には、同じく初陣を果たした長男少輔太郎の姿がある。少輔太郎からの位置からも前方の松寿丸の勇姿が見えていた。
「すごい弟だ……。やはり私なんかより、あいつのほうがよほど……」
少輔太郎は思わずつぶやく。自分は一番隊が作ってくれた路を進んでいるだけだ。松寿丸は将兵を鼓舞し活路を拓いている。次弟の松寿丸のほうがよほど長男の自分よりも毛利当主を継ぐ資質がある。少輔太郎は不甲斐ない自分が情けなくなる。
「若殿。次期当主はそなただ。しっかりせい」
その声を聞いたのか表情で読み取ったのか、一人の老将が横から声をかける。兼重元鎮。少輔太郎の大叔父である。
少輔太郎の祖父豊元の弟で、安芸笠間家の養子となったが、元就が当主となると毛利の相談役に迎えられた。郡山城下の兼重村を貰い受けたので、兼重姓を名乗った。元就にとって良き指南役であり相談相手であった。息子の弥三郎元宣は少輔太郎の山口滞在に帯同した側近でもあり、今も横に控えている。
少輔太郎は独り言が元鎮の耳に届いたことを知り、うら恥ずかしくなって肩をすぼめる。
「大叔父上……」
「松寿丸は見事な大将の器よ。だが、若殿は嫡男。そんな大将らを束ねる君主の器を持たねばならぬ。松寿丸も一番隊で勇躍できるのは、後方の二番隊で若殿が構えているという安心あってこそぞ。わしも当主の弟だったゆえ、よく分かる」
元鎮は少輔太郎を諭す。自身も兄の豊元、甥の興元と代々の毛利当主が重圧に悩む様子を見てきた。当主を継ぐ宿命を負う本家嫡男の少輔太郎に、心労と酒害で世を去った兄や甥と同じ轍を踏ませたくない。
「しかし大叔父上、私は……」
「卑下するな、若殿」
元鎮は少輔太郎の言葉を制した。自身の非力を嘆く言葉を吐かせない。
「若殿は松寿丸のようにはなれまい。しかし、松寿丸のようになる必要はない。若殿は松寿丸たち諸将たちを使う立場になるのだからの。ゆえに……ぐぶぅっ」
「……!」
元鎮の教導に耳を傾けていた少輔太郎が、突然の異変に目を見開いた。
背後に大きな馬影が現れたかと思うと、元鎮の身体は肩から裂かれ、鮮血を噴き出しながら前方に吹き飛んで地に倒れた。
馬上の大柄の男と目が合った。男は少輔太郎の姿を見て冷笑を浮かべる。
「ほう、千代寿丸か」
安芸吉川家当主、吉川治部少輔興経であった。吉川軍は屈強揃いで知られるが、当主の興経はその軍勢を率いる、武芸百般に秀でた剛勇の士である。
興経の母は毛利元就の妹。つまり興経は少輔太郎の従兄にあたる。興経は吉川家当主を継ぐや、大内方へ尼子方へと何度も鞍替えしては離反を繰り返し、安芸の情勢を混乱に陥れた厄介な存在である。毛利家にとってはいずれ決着をつけなければならない相手ではあるが、自ら安芸最強と名乗るほどの卓抜した猛勇で、毛利は常に翻弄され続けてきた。
「治部どの……」
「ふん。元就ではなかったが、まあ跡継ぎの首でもよかろう」
吉川興経は元鎮の血の滴る野太刀を振り上げる。
興経は当主元就の首級を狙って、毛利の一番隊を通過させ二番隊を横から襲撃していた。元就は四番隊にいたので当ては外れたが、偶然居合わせた次期当主に狙いを変える。
吉川兵らも毛利の二番隊に襲いかかる。吉川の親衛部隊は「黒爪党」と呼ばれ、安芸屈指の軍事力を誇る精鋭である。毛利二番隊の将兵は吉川黒爪党の猛攻に倒れていく。
「お……、大叔父上……」
吉川興経の刃を前にしながら、少輔太郎は血に呻く大叔父を見て混乱し、硬直している。大叔父元鎮が斬られたのは、自分が弱音を吐いたことで慰めていたために、周囲への警戒心が緩んだせいだ。取り返しのつかないことをしてしまったと狼狽えている。
斬られる。少輔太郎も従者も最期を直感した。
その時、吉川興経は何かに気づいて、構えた野太刀を留めたまま、顔を横を向けた。馬蹄の音が急激に迫ってくる。
「うおおおおっ」
若々しい雄叫びと共に騎馬が飛び込んできて、馬上から刀剣が振り下ろされた。興経は刀身でその斬撃を受け止めるが、咄嗟のことで平衡を失う。
「……松寿丸っ!」
少輔太郎は高声を上げた。
一番隊として斬り込んだ松寿丸は、噂の黒爪党が本丸にいないことに気づくと、二番隊以降が急襲されるのではと心配して数十騎と共に後方へと引き返してきたのである。猛者の直感だ。
「兄上っ、ここは俺に任せろ。兄上には、先を頼むっ」
松寿丸は馬上から少輔太郎へ伝えると、よろけている興経にさらに二の太刀を繰り出そうとする。
松寿丸の働きを目にして、少輔太郎は身体中に電撃が走った。松寿丸が反転することは出撃前の示し合わせにはなかった。松寿丸は自らの判断で窮地へ駆けつけたのだ。少輔太郎はそれに気づくと体内が熱く燃え上がり、腹の底から轟声が響き出た。
「弥三郎は大叔父上を救護し帰陣っ。助六は松寿丸の援護。残りの二番隊は私と共に任務続行っ。者共、行くぞ!」
「……おおおっ!」
一瞬の間を置き、毛利二番隊の将兵は大きく吠える。頼りなかった若殿が大将として覚醒した瞬間を感じ、その命令に応えようと心身が震えた。少輔太郎の覚醒が、将兵たちにも伝わったのである。
少輔太郎の命を受けた兼重弥三郎元宣は、血に倒れた父元鎮の身体を引き上げ背負う。国司助六元相は一瞬怯んだ吉川黒爪党へ体当たりでぶつかり、松寿丸たち一番隊の応援組を押し支える。そこに生まれた隙を縫って、少輔太郎は赤川元保、渡辺通ら近臣と二番隊を連れて先へと駆け抜けた。部隊が機能的に動く。
「見よ、弥三郎……。若殿は龍となって駆け上がるわ……」
瀕死の兼重元鎮は嫡男の弥三郎元宣に背負われながら、敵本丸へと向かう隆元の後ろ姿を見て呟き、笑みを浮かべて意識を失った。元鎮は元宣の救出で帰陣を果たすも、この重傷が元で数週後に死去する。
急襲を受けた吉川興経は馬上で巧みに体勢を立て直そうとしたが、松寿丸の剣先が左手に握る手綱を切り裂いた。
そこへ松寿丸が馬体を蹴り飛ばしたので、驚いた馬はいなないて前足を高く上げ、手綱を失った吉川興経は落馬して地を転がった。落とした刀をすかさず拾うも、腕を痛めてまともに握れない。
「おのれ、クソ餓鬼が。卑怯な……」
「知るか」
「毛利はいつも小癪な手を使うわ。いずれこの吉川が滅ぼす」
「その前に、俺が吉川をあんたごと飲み込んでやるけどな」
地から睨みつける興経に、松寿丸は鼻で笑って吐き捨てた。安芸最強と豪語する猛将興経には、今の自分の武芸ではまだ真っ当には太刀打ちできないかもしれない。しかし、ここは過酷な戦場、道理に構ってはいられない。松寿丸は童児の喧嘩の感覚で自由に暴れた。
少輔太郎の二番隊は宮崎長尾の本丸に突入すると、その裏の三の丸へと素通りした。軍議での打ち合わせ通りである。
「おおっ、若殿。いま準備は整いましたぞ」
そこには松寿丸に代わって一番隊を率いる桂元澄、元忠の兄弟がいた。三の丸には米俵や穀物の麻袋が山のように積まれている。吉川勢や黒正勢がこの冬の包囲戦を乗り切るための食糧貯蔵庫になっていた。
「松明っ」
少輔太郎が号令をかける。合流した一番隊と二番隊は、手にしていた松明を次々と米俵や麻袋に投げ入れた。瞬く間に炎が燃え盛る。桂元澄たち一番隊は到着するや持参した油を兵糧に撒き散らしていたのである。
全て計画通りだった。毛利元就は透っ波を放って敵陣図を事前に把握しており、三の丸が食糧庫となっていることも知っていた。急襲して本丸の吉川本陣を狙うふりをして、三の丸へ駆け抜け一気に食糧を焼却する。毛利各隊はその目的遂行のために連携して動いていたのである。
松寿丸を殺そうと鬼の形相で立ち上がった吉川興経は、三の丸方向に煙が上がっているのを見て事態をすぐに飲み込んだ。
「こいつら、狙いは兵糧か……!」
そこへ、任務を終えた少輔太郎や桂元澄ら先鋒が駆け戻ってきて、松寿丸や国司元相が交戦している吉川黒爪党にぶち当たった。
「無事か、松寿丸っ」
「おう。兄上こそ、放火お見事」
少輔太郎と松寿丸の兄弟は興奮気味に声を掛け合うと、さらに周囲の吉川兵を斬り払った。
武闘自慢の黒爪隊も、兵糧の焼失を前にすると混乱も現れる。毛利勢は優勢に立った。
「頃合いだ。撤退っ」
「退却、退却」
少輔太郎と松寿丸が共同で声を張り上げ、毛利勢は波のように宮崎長尾から郡山城へと退いていった。吉川興経と黒爪党は兵糧の消火に急行したため、毛利勢を追撃することができない。兵糧は大半が焼失しており、この地で冬を越すのは困難だとすぐに判明する。
三の丸で黒煙が燻るのを見て呆然とする吉川勢を前に、興経は憤怒して兜を地に叩きつける。
「おのれ毛利め。あやつらさえいなければ……」
今ごろ安芸の盟主は吉川なのに、という続きの句が歯軋りに変わる。
安芸随一の武を持つ吉川には、安芸制圧の機会が幾度もあった。しかし、毛利元就の謀略によって安芸の情勢は目まぐるしく変わり、いつしか毛利が盟主面をしている。大した強さのなかった毛利に、松寿丸のような見込みのある武人が生まれていたことも腹立たしい。吉川興経にとって毛利元就は目の上のたんこぶ以上の邪魔な存在であった。
毛利の急襲で荒らされた宮崎長尾には、米の焼け焦げた匂いがただ虚しく漂っていた。
(つづく)




