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陰陽の濤 〜防芸厳島戦記〜  作者: 紘野 流
【第二部】尼子襲来
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其の十四: 牛歩戦術



 総大将尼子詮久(あまこ あきひさ)は吉田盆地を横切る敵軍を見下ろしながら、苛立って地を踏み鳴らし続けていた。



大内(おおうち)軍め、あんなに細々と陣を移しおって……。またも我らを誘い出そうという腹か」



 尼子詮久の本陣は、郡山城の南西にある青山と呼ばれる小山にあった。兵法に「水の形は高きを避けて低きに(おもむ)く」とある。標高差を利用して一気に盆地に攻め降りれるよう、青山全体を城塞化して大軍を収容している。その山頂付近を本営とし、吉田盆地の向こう側にそびえる郡山城の状況を伺う。


 本陣から多治比川(たじひがわ)を挟んで北、郡山城を東に望む宮崎長尾(みやざきながお)と呼ばれる高台には、吉川(きっかわ)軍、高尾(たかお)軍、黒正(こくしょう)軍の計四千を配置している。


 的確に敵軍の弱点を衝く急襲戦を得意とする毛利元就(もうり もとなり)ならば、恐らく二万五千を有する尼子本陣は無視して、より少数の宮崎長尾を奇襲するに違いない。郡山城の毛利兵は三千程度だから、思い切って全軍での出撃を決行するだろう。そこで尼子本隊が青山から手薄になった郡山城を一気に攻め取ってしまおう、と詮久は考えていた。


 長きに渡る戦いで毛利軍は虫の息だ。しかし、数では圧倒的に優勢の尼子軍もかなり疲弊していた。毛利元就の度重なる撹乱戦術に翻弄されていくうちに、過酷な冬に突入している。このまま長引けば兵糧物資の補給も危うい。だからこそ、毛利軍の出撃を心待ちにしていた。



 十二月三日に陶隆房(すえ たかふさ)率いる一万の大内軍が援軍として吉田の地に到着したが、幸いにも本陣を東の住吉山に構えてくれた。尼子本陣への牽制のつもりだろうが、これで毛利軍の宮崎長尾への出撃も早まるだろうと予測できた。


 するとその直後に、百騎ほどの小勢が平地を郡山城へと疾駆した。青山の尼子本軍を盆地に誘い出す策だろうと読んだ尼子は、動かず無視した。それが毛利の嫡男少輔太郎(しょうのたろう)隆元(たかもと)の帰城と弘中小太郎(ひろなか こたろう)の伝令のためだとは、詮久は気づいていない。



 そして年が明けて一月十一日、一万の大内軍が動いた。住吉山から出て、吉田盆地を西へと横切り始めたのである。とはいっても、蟻の行列のように細く長く伸び、少しずつ少しずつのろのろと西へ動いている。その行き先は郡山城の西側で尾根続きになっている天神山のようだ。


 天神山は郡山城と宮崎長尾の中間地点の要衝である。だが大内軍が毛利軍に代わって宮崎長尾を攻めるつもりなら、もっと迅速に移るはずだ。ゆっくりと長く細く吉田の地を横断するのは、やはり尼子軍を青山の本陣から誘い出そうとしているからとしか思えない。尼子詮久は慎重に分析する。



「陶隆房とはあの周防の虎の興房よりも豪胆だと聞いておったが、えらくちまちました戦術を取るもんだな。ぶっ叩いて裁断していってやろうか」


「若。あのような奇策、惑わされる必要はないぞ」



 苛立つ詮久の背後から声をかけたのは、大叔父の|尼子下野守久幸《あまこ しもつけのかみ ひさゆき》。


 山陰随一の軍事集団「新宮党(しんぐうとう)」を率いている、尼子第一の猛将。老齢ながら筋肉隆々の大柄の体。詮久の祖父尼子経久がその卓越の武勇を頼りにした弟であり、若くして家督を継いだ詮久の後見人のような存在でもある。



「ふん。下野守。やはりわしを愚かな短絡者と笑っておるのだろうな」


「何を言う。そんなことがあるはずなかろう」



 背後を振り返ることなく嫌味を放つ詮久へ、下野守久幸は冷静に答える。


 昨年に安芸侵攻を始めた詮久が吉田郡山城への進軍を決めた際、真っ向から反対したのが久幸であった。謀将毛利元就の知略は計り知れず、また元就を中心に固まりつつある安芸国内の国衆の結束力も侮れない、というのが理由だ。


 詮久は尼子家躍進に貢献した勇将である久幸こそ真っ先に賛成してくれると確信していただけに、久幸の反対には大いに失望した。



「老いとは恐ろしいものだな。先代を支えた伝説の猛将も、いまや臆病野州(おくびょうやしゅう)と成り下がったか」



 軍議に連なる諸将の前で、尼子詮久は大叔父を大いに罵った。野州とは下野守のことを指す。詮久の寵臣たちも主君に倣って、老齢の下野守久幸を臆病野州と呼んで見下すようになる。まさに君は臣の鏡である。


 尼子久幸(あまこひさゆき)はそれでも新当主詮久(あきひさ)を見限ることなく、安芸(あき)へ従軍した。懲りずに詮久に苦言を続けたが、詮久が連勝を重ねて安芸進入を果たしていくので、諸将の久幸を見る軍中の目はさらに嘲笑の的となった。


 それだけに、詮久は吉田(よしだ)に入って苦戦が続いている今、久幸のこれまでの苦言が心に刺さる。久幸は忠義の士であり悪意が微塵もないことは深く分かってはいるが、つい皮肉を口走ってしまう。


 久幸は特に気にしてはいない。詮久はまだ齢二十七の若き当主。失策や失敗の経験もこれからの国家経営の糧になるはずである。梟雄経久(つねひさ)をも超える素質を秘めた逸材だと詮久を認める久幸には、兄経久の時と同じように当主詮久に尽くす忠誠心しかない。


 遠征前の血気に早る詮久ならば、眼下で細く伸びる大内(おおうち)軍を見るやさっさと突撃したに違いない。数日前の敵兵百騎の疾走も冷静に無視し、今も大内軍の移動を凝視し様子を見ている詮久の慎重さを見て、久幸はいささか安堵の気持ちが湧いていた。


 ところが、大内軍の細長い移動は遅々として行われ、三日目に入ってもなお続く。詮久の苛立ちも頂点に達する。



「おぉい! あのまま大内勢の本陣移動を完了まで見過ごせと言うか、下野守(しもつけのかみ)。まんまと全軍が天神山(てんじんやま)に入ってしまうぞ」


「辛抱を」


「いや、もう我慢ならん。先鋒隊に出撃命令を出せ。大内勢のあの細い横っ腹を突き破る。その勢いで郡山城(こおりやまじょう)も一気に落とす」


「若、落ち着け。見え見えの策に載せられてはならぬ。あの奇妙な動きには必ず裏がある。それを見極めるまでは動くのは危うい」


「くどい。臆病野州(おくびょうやしゅう)のその尻込みが勝機を遠ざけているのが分からんか」



 詮久は久幸の必死の説得を突き返し、伝令を走らせる。自らも敵軍に一太刀浴びせようと、手にした采配を地に放って愛馬へと向かおうとした。



「若、しばしお待ちを」


「うるせえな。まだ言うか」


「あれを」



 久幸が詮久を強く呼び止めて、北へ指差した。



「……毛利(もうり)軍か」



 詮久が怒りの声を上げる。


 久幸の指が示した先には、宮崎長尾(みやざきながお)へと突き進む土埃が見えた。毛利の軍勢である。 


 三日にわたる大内軍の東からの移動に目を奪われ、その向こうの郡山城の毛利軍の動きを見逃していた。それを見計らって、毛利軍は郡山城の裏手から出撃して天神山の背後を回ることで姿を消し、一気に宮崎長尾への突撃を敢行していたのである。



「くそっ、全軍で裏から出ておったか」



 宮崎長尾へ向かう毛利軍の数を見るとほぼ全軍に間違いない。郡山城を守りズラリと並ぶ城兵は、籠城する領民たちが扮しているだけだったと分かり、詮久は憤慨して吠える。


 いつしか、蝸牛(かぎゅう)の歩みであった大内軍の隊列は足を速め、最後尾も天神山に入ってしまった。毛利軍の出撃が成り、鈍重な行列は目眩(めくらま)しの役目を終えたということなのだろう。


 守備兵がほとんど残っていないと分かった今こそ郡山城奪取の機会だが、大内軍が天神山に陣取った今、ここで郡山城へ本陣から突入してしまうと、天神山からの襲撃をもろに受けてしまう。



「大内め、遅鈍の連中かと思っておったが、毛利と小癪な連携をやっておったのか……」



 詮久は歯軋(はぎし)りをして、先ほど地に投げた采配を蹴り上げた。


 大内軍の大将は自分より若くまだ大戦経験のない陶隆房(すえたかふさ)で、山口から安芸へも遅々たる進軍と聞いており、決断力も機動力もない連中だと決め込んでいた。詮久は自分の油断を悔いる。


 一兵も損なわずに尼子軍を釘付けにしてやったと、まだ見ぬ大将陶隆房の高笑いが天神山の大内陣から聞こえてくるような気がする。尼子詮久の内に、憤怒と激昂の念が燃え盛っていった。



(つづく)




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