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陰陽の濤 〜防芸厳島戦記〜  作者: 紘野 流
【第二部】尼子襲来
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其の十一: 檳榔毛車


 大蔵院(だいぞういん)の縁側では、少輔太郎(しょうのたろう)が重い面持ちで築山館(つきやまやかた)の方角の空を眺めている。評定(ひょうじょう)の行方が気になって仕方がない。


 案じたあややが、少輔太郎の背中にそっと優しく触れる。



「太郎どの……。小太郎(こたろう)どのを信じましょ。小太郎どのは賢いからきっとうまくやってくれますよ。五郎(ごろう)どのもついてることだし」


「その五郎どのに暴言ぶっ放してた女性が約一名いたけど……いてっ」



 少輔太郎の横で足を外に投げ出しぶらぶらさせていた舵之丞(かじのじょう)は、後ろからあややに背中を蹴られた。


 少輔太郎は毛利の大内家中での価値を改めて考えてしまう。



「……やはり大内の方々にとっては、毛利(もうり)などお荷物なのだろうか」


「まあそうなんじゃない。……いてっ」



 舵之丞は身も蓋もないことを言って、あややに頭をはたかれる。だが舵之丞は痛い頭を押さえながらも、持論を語る。



「いや、だって郡山(こおりやま)城なんて山奥すぎるじゃん。毛利もさっさと山奥から出てきて、海のある地域に出ていけばいいのに」


「海……?」



 少輔太郎は舵之丞の話に食いついた。舵之丞は続ける。



「だってさ、大内の重臣たちが毛利を助けることに思い止まるのは、それこそ山中すぎだからじゃないの。もし海の近くなら、警固衆を出せばすぐに済む話なんだし」


「内陸部は助けにくい、ということか」


「そりゃそうでしょ。守護代の皆さんが治めてるのはみんな海のある国ばかりで、軍を動かすなら海戦と陸戦を合わせて考える人たちなんだから。わざわざ内陸の山岳戦なんて面倒に思ってるんじゃないの」


「なるほど……」



 一理ある、と少輔太郎はうなずく。舵之丞の話は、ふざけているようで案外正論だ。



「海か……」


「そうそう。太郎どの、これからは海の時代だよ。海を制する者が天下を制する。あー、オレも早く水軍操りたいなー」



 舵之丞は岩国水軍を指揮するという夢を追うために、海への理解が進んでいる。少輔太郎は感心すると同時に、自分もこのまま山奥の発想のままだとそのうち戦略眼も舵之丞に追い抜かれてしまいそうだ、と気を引き締める。



(毛利も、もっと臨海地へと支配地を広げなければならない。そういう時代なんだ。私ももっと視野を広げなければ)



 少輔太郎は毛利家の跡取りとして、将来自分が取り組んで行くべきことをおぼろげに頭の中に描き始めた。




 評定の激論も、決着がつきつつあった。


 弘中小太郎が議題に上げた毛利救援は、反対派の多い中、家老筆頭(すえ)五郎隆房(たかふさ)の主張で大きく流れが変わった。流れは誰が見ても明らかだ。


 最終的には、主君大内義隆(おおうち よしたか)が救援要請を決定した。義隆は諸将の白熱した議論を誉め称える。



「わしも下野守(しもつけのかみ)と同じ想いである。五郎や小太郎、若き者が後の大内の世を作ってくれることに、心打たれたぞ」



 主君義隆の言葉に、五郎と小太郎は上座に向かい直し、深々と頭を下げる。義隆は喜びに目を細めてうなずき、諸将に宣した。



「皆の申すとおり、毛利もまた大内の家族。見捨てることはできぬ。そして安芸支配は大内の使命。今こそその実現のために動くべきである。一万の兵を吉田郡山城へ向かわせることとしよう。先鋒は五郎、小太郎、そなたたちに任せる。毛利を尼子(あまこ)から救うのだ」


「ははっ。直ちに兵を整えます。我々家臣一同、命を懸けて安芸を守り抜きまする」



 五郎が頭を下げたまま仰々しく発した。広間を震わすほどに轟く気迫の声に、杉家をはじめ諸将もつられてかしこまるしかない。五郎の言葉が、いつしか家臣団の総意となる。相良武任(さがら たけとう)だけはせめてもの抗いなのか頭を下げることはなかったが、それ以上の反意の術はなく歯噛みしている。


 小太郎はこの決定を、大蔵院で評定の決議を待つ少輔太郎にいち早く報せたいと心が躍った。その時、義隆がさらに報告を重ねた。



「それから、毛利のことでもう一つ……」



 その発表に、小太郎は毛利救援の決定よりも大きく喜ぶ。


 山口に滞在していた毛利少輔太郎もその援軍に従軍させ、そのまま吉田郡山城へ帰す、ということだった。


 つまり、少輔太郎の人質生活は終わるということだ。小太郎は評定が終わったら真っ先に大蔵院に駆けつけて少輔太郎に伝えようと思った。少輔太郎が泣いて喜ぶ姿が目に浮かぶ。あややは悲しみそうだが。





 少輔太郎(しょうのたろう)は天にも昇るような喜びで、車に揺れていた。



(まさか、私が御屋形様(おやかたさま)に同乗させていただけるなんて……)



 西国の覇者、天下の大内義隆(おおうちよしたか)が目の前で、笑顔で自分に話しかけている。檳榔毛車(びろうげのくるま)の中には二人きりである。


 大内義隆は牛車(ぎっしゃ)輿(こし)での移動を好み、その開発にも余念がなかった。現在正四位で公卿入りも近い義隆は、畿内では上位貴族のみに利用が許されている高級牛車を大内領内に限って用いてもよい、という約定を朝廷から受けている。それは京から多数の公卿や高僧を山口に招いているからで、義隆はそんな貴人たちと同乗しては、移動中にも政治談義に花を咲かせていた。


 その牛車や輿での快適な移動を求めて、周防国内では街道の整備が進んだ。現在は特に岩国から赤間関(あかまがせき)に至る山陽道の舗装に注力している。これまでは東西の移動は瀬戸内の海路が主流だったが、陸路の物流が活発化し軍勢の移動も容易になれば、ますます国は栄えると義隆は考えていた。


 先の評定(ひょうじょう)で、尼子(あまこ)の脅威に晒されている毛利(もうり)の救援が決まり、(すえ)五郎隆房(たかふさ)率いる一万の軍勢が先鋒隊として出立し、大内義隆自らが本軍を率いてその後を進んでいる。


 少輔太郎が帰郷することが決まって、内藤(ないとう)家のあややは手がつけられないほどにギャン泣きして困惑はしたが、それでもついに人質生活から解放されることに、少輔太郎は嬉しさでいっぱいだった。あややにはとりあえず、安芸(あき)からも手紙を書くからと約束して落ち着いてもらった。



 毛利救援の決定から出陣は早かった。少輔太郎はてっきり五郎や小太郎(こたろう)ら先発隊に混じって安芸に向かうと思っていたが、毛利一行は後発の大内本軍に従軍するという。人質の身を終えてもまだ監視の目が必要だと思われているのかと不安になった。


 ところが山口を出立すると、大内義隆は隆元を幾度も自分の牛車へ同乗させたのである。人質どころかまるで寵臣の扱いだ。


 義隆への牛車への同乗は本来、公卿や高僧などに限られる。移動時間を有効に使うために重臣を乗せて談義することもあるが、それも陶や内藤ぐらいであり、三家老の杉興運(すぎおきゆき)や杉重矩(しげのり)すら同乗に呼ばれたことはないという。そんな空間に、安芸の一国衆(くにしゅう)の嫡男でしかない自分が招かれている。少輔太郎はその特別感に舞い上がっていた。



 思えば大内義隆は、少輔太郎を過分に愛顧していた。山口では頻繁に詩会や茶会に招かれて賓客としてもてなされ、時には義隆自らが重臣を引き連れて宿所の大蔵院を訪れることもあった。


 当初は大内にとっては安芸毛利の懐柔がそれほど重要なことなのだろうと、少輔太郎は思っていた。ところが直接話を交わすうち、読書を好み芸事(げいごと)に明るい少輔太郎個人を気に入ってくれているのだ、と分かってきた。大内家中には武門一辺倒の武者が多いから、義隆にとっては書や芸術の話ができる臣下は貴重なのだろう。


 時には寝所に呼ばれることもあった。大内義隆には衆道男色の噂が町に伝播するほどだったので、夜の慰み者となるのかと毛利の従者たちは心配した。しかし恐る恐る訪れてみると、義隆の寝所には古今東西の書籍や報告書の類が積み上げられていた。寝る間も惜しんで書や思案に耽っている様子が窺える。義隆は少輔太郎と深夜まで史書について談笑した。義隆は男色趣味なのではなく、知のある者と夜通し語り合うのが好きだったのだ。


 東への進軍中も、義隆は常に少輔太郎を手元に置き、西国統治の現状や展望、また最近の読書の書評など、さまざまな話をした。



「わしは周防山口の繁栄に注力してきた。だが安芸はそれ以上の発展の余地があると思うておる。今の安芸はまだまだ後進未開だが、山陽道の中継点として栄えるはずじゃ。そのためには太郎よ、文化と通商を知る者が必要だ。今後は武だけで国は収まらぬ。国を豊かにするのは知と財じゃ。太郎はそれを理解し牽引できる者になると信じておる」


「は、はっ。必ずやご期待に応えて見せます」



 二人きりの車内で、少輔太郎は義隆の言葉一つ一つを吸収していった。どの話も安芸の山奥では知ることのできない、貴重な学びであった。安芸吉田へ戻れば、このような機会はもう滅多に来ないだろう。



(私はなんという果報者なのだ。小太(こた)さんでさえ、こんな幸甚(こうじん)はなかったはずだ。この至福の刻が、ずっと続けばいいのに……)



 少輔太郎の脳裏には心友小太郎の顔が浮かんだ。武芸も知識も大内における地位も、どれも小太郎には及んでいない自分が今、小太郎以上に君寵を受けているのである。優越感に似た感情が体内に沸き起こっていた。




(つづく)

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