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陰陽の濤 〜防芸厳島戦記〜  作者: 紘野 流
【第二部】尼子襲来
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其の十: 評定舌戦



大内(おおうち)家の心は一つのはず。何ゆえ動かれぬのですか」



 弘中小太郎(ひろなか こたろう)の怒りの声が、難渋の評定(ひょうじょう)の場に響く。


 だが、老練の重臣たちはまるで無関心の表情のままである。小太郎自身の元服式で皆が盛り上がっていた言葉を引用しているのに、何一つ響いていない。


 尼子(あまこ)の大軍の侵攻を受けている毛利(もうり)からの援軍要請。応えて山口の大内本軍を救援に向かわせるべき、という小太郎の主張。だが評定衆(ひょうじょうしゅう)の面々の反応は芳しくない。



「おい、弘中の若いの」



 閉じた扇子の先を自分の膝でトントンと叩きながら、気怠そうに口を開く老臣。筑前(ちくぜん)守護代を務める重臣、(すぎ)豊後守興運(おきゆき)である。


 大内政権には三家老と呼ばれる有力三家がある。周防守護代の(すえ)家、長門守護代の内藤(ないとう)家。そして筑前や豊前など九州の守護代を担ってきた名門の杉家だ。


 大内評定衆の武官側の中心は三家老の守護代たちである。その三家老の一角にあり先代義興(よしおき)の時代から仕えている杉興運にとって、三家老の家格ではない上に元服直後の若輩小太郎など、眼中にもない存在だった。



「経験の浅い徒輩は、物事を大袈裟に騒ぎ立てるから困る」


「大袈裟ではありません。紛れもない事実です」


「よいか。言うても尼子は山陰の田舎者。三万もの兵を急にかき集められるわけがなかろう。数はもっと明瞭明確に報告せい」


「ほぼ正確な兵数です。我が弘中党による調査でも、毛利からの報告でも重ねて確認済みです。間違いはございません。尼子は備前(びぜん)美作(みまさか)からも兵を集めているのでございます。ここで毛利を見捨てるようでは、大内は今後天下の威信を失い、各地の国衆を従属させることは困難となりますぞ」


「若造のくせに知った口を聞くな! 未熟な若輩ごときが、熟練年長のわしらに楯突くとは」



 小太郎の強い反論に苛ついた興運は、扇子を放り投げて一喝した。



「聞き捨てならんな、豊後守(ぶんごのかみ)どの」



 緊迫した場に地響きのような大きな声が飛び、豊後守興運はビクッと驚いてその声の主を見た。


 鋭い目線で杉興運を制したのは、陶五郎隆房(たかふさ)である。五郎は容赦なく興運を指差して糾弾した。



「若造だ未熟だと、弱年を理由に反論を致すか。ならば豊後守どのは、この五郎の提言も若輩だからと退けるつもりであるのだな。杉家はこの陶の申すことには聞く耳を持たぬと思ってよろしいな」


「い、いや……そういうわけでは……」



 興運は五郎の言葉に肝を冷やし、頭を掻いてごまかす。


 陶家は主君大内家の傍流にあたり、三家老家の中でも別格の存在で、その当主は大内の筆頭家老となるのが慣わしである。毎回評定の後には大内当主が自ら陶当主を表口まで見送る慣習があるほどだ。


 ましてや先代の当主・陶興房(おきふさ)は、本来は東征担当でありながら、杉家が平定に苦戦していた西の九州にも駆けつけ助力をし、杉興運らは多大な恩を受けている。


 その興房から陶の家督を継いだのが、この時二十歳の五郎だ。剛毅な養父陶興房を上回る屈強な身体。武芸百般に秀で、他を圧倒する風格と迫力を兼ね備える好青年。これまでは年配の諸将への気後れや遠慮がややあったが、此度(こたび)の五郎はいつもと違う威圧がある。


 老練の杉興運も、養父以上の隆房の気迫にたじろぐ。



「……陶どのは三家老ではないか。弘中とは格が違う」


「これは火急の軍事の議題。家格を論じている場合ではないと存ずるが。ご自身が申されたように、反論は明瞭明確な根拠でなされよ」


「……では、陶どのは、弘中の若造の言い分には検討の余地があると?」


「検討も何も、毛利の救援は大内の責務であろう。毛利を安芸国衆の盟主に祭り上げたのは我らが大内。見捨てるわけにはいかぬ」


「しかし、毛利は尼子を裏切った故の報復を受けているだけのこと。自業自得ではござらぬか」


「何を言われる。貴殿が西の筑前支配に集中できているのは誰のおかげか。東で毛利が尼子に睨みを利かせてきたからではないか。毛利を見捨てろというのは、貴殿がいかに西の事情しか見ておらぬかということだ」


「なんと……」



 毅然とした陶隆房(すえたかふさ)の答えに、杉興運(すぎおきゆき)の声はさらに萎む。


 列座の重臣たちも隆房の発言に納得して毛利(もうり)救援に理解を示しつつある。一族である豊前(ぶぜん)守護代の杉伯耆守(ほうきのかみ)重矩(しげのり)も、その雰囲気に反対意見を出しづらくなり目が泳いでいる。


 興運は自分の舌しか頼れないことを悟ると、慌てて隆房に対して反論を繰り出す。



「しかし、今の安芸(あき)の混迷の状況を見るに、事態は毛利を救えばいいというだけの話ではなかろう。他の国衆(くにしゅう)にも個別に対応が必要になろうぞ」


「だからこそよ。守護武田(たけだ)家も先日当主の光和(みつかず)が急死して混乱中だ。この機に一気に安芸全土を制圧すればいい。毛利救出はその足がかりだ。尼子(あまこ)を撃退すると同時に、尼子の息のかかる国衆を押さえていき、安芸全土を一手に大内(おおうち)のものとする。今はその最大の好機ではないか」



 隆房の力強い発言に、興運は押し黙る。次の句が出せない。使える味方を探すように他の守護代を見る。杉重矩(しげのり)狼狽(うろた)えていて使えない。


 石見守護代の問田(といだ)十郎隆盛(たかもり)を見るが、彼もまた二十一の若さで、興運の若造発言に反発の目を見せている。そもそもこの問田隆盛は陶五郎の実の兄であり、陶側につくのは目に見えている。



「な、内藤(ないとう)どのは、いかがか。毛利への援軍となると、長門(ながと)の兵も安芸に遣わすことになりそうだが」



 杉興運はさりげなく長門への心配を盛り込んで、次席家老の内藤下野守(しもつけのかみ)興盛(おきもり)に問う。


 普段は議事進行を見守るだけの穏健派の興盛だが、今回は珍しく自分の考えを口にした。



「毛利を安芸に育てたは、亡き興房(おきふさ)どのと興勝(おきかつ)どのの遺業。その遺児たちがこうして親の想いを引き継ごうとしている。殊勝なことではないか。それがしは、若き将の覚悟にはできる限り背中を押したいと思うておる」


「ぐっ……」



 冷静な興盛の返答に、興運は言葉を詰まらせる。興盛が毛利救援に前向きでいるとは、興運には予想外だった。


 そこに、文官側から声が上がる。



「しかし、三万の尼子の撃退に成功する確率は低かろう。失敗すれば国を揺るがす大事態となりますが」



 右筆(ゆうひつ)相良(さがら)中務大丞なかつかさのたいじょうである。五郎も小太郎(こたろう)も、やはり来たなと言わんばかりに声の主に目を向ける。


 中務大丞こと相良武任(さがら たけとう)は、肥後相良氏の一族である。父の正任(まさとう)は文化風流人であり朝廷の重臣との繋がりが強く、先先代の大内政弘(まさひろ)にその交渉力を買われて大内臣下となった。武任もまた行政能力に長け知識量も卓抜しており、大内義隆の寵臣として文官の頂点に立っていた。


 文官と武官が対立するのは古今の常だが、相良武任もまた陶五郎とは水と油のように相容れない存在だった。武任は常に陶の進言に否定から入る。五郎にはいつものことで、動じるつもりはない。


 提言者の小太郎が相良に反論しようとしたが、五郎はそれを制して自ら論じた。



「相良どの。尼子の撃退、失敗はせぬ」


「そんな確証があると言われるか」


「ある。なぜなら、この陶五郎隆房がやるからだ。ここで皆が反対しようとも、この五郎は安芸へと走り、尼子数万を()()てて見せる」



 五郎の堂々とした反論に、評定衆たちからも「おぉっ」と感心の息が漏れる。場の雰囲気が一気に安芸救援の想いへ流れていく。


 相良武任は慌てて反論する。



「それは意気込みであって、確証とは言わぬ。確証のない戦は失敗するに決まっておる」


「誰が決めたのだ。貴公は文人だから(いくさ)()(ことわり)を知らぬのは仕方がないが、確証でしか動けぬならば戦はできぬ。戦況とはその場その場で刻々と変化するものだからだ」


「臨機応変が必要なのはもちろん分かる。しかし、ここは大局を論じる場。大局を決めるに博打は困る。ある程度の確証は必要であろう」


「確証が欲しければ、確約を差し出そう。この五郎隆房、尼子撃退に失敗したならば、この腹()き切って命を捧げ、陶代々の所領を全て相良家に譲ろう。どうだ」



 五郎の言葉に、相良の眉がピクリと動いた。反論の隙を見つけ、ここぞとばかりに確認を繰り出す。



「ほう……、これは思い切られたな、陶どの。腹を切って所領を渡す。大内重臣としての御前(ごぜん)での発言、二言はないでしょうな」


「おう、二言はない。だが相良どの」


「なにか」


「貴公も当然、大内の重臣として今この御前で誓えるであろうな。もしこの隆房が尼子撃退に失敗せず、逆に成功を収めたならば、貴公がその腹掻き切って命を捧げ、相良代々の所領は全て大内に返還すると」


「なっ……」




 武任はたじろいだ。五郎の論理は滅茶苦茶だ。だが自分の言はいつしか五郎の暴論の中に取り込まれている。尼子撃退は失敗すると断じたのは自分だ。五郎を学のない武辺者と侮って発言に慎重を欠いたのはしくじりであったと悔いる。



「……腹を切るなど、野蛮なことじゃ。文官のすることではない」



 武任はそう小声で反論するのが精一杯だった。しかしどんな反論も、この場面では責任逃れの言い訳としか見えない。説得力を失っていく。


 評定の場は一気、毛利救援の流れへと変わっていった。




<つづく>




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