其の九: 胸中成竹
襖を蹴り倒し、憤慨の表情で見下ろしているあややに向けて、五郎は困惑気味に口をひらく。
「お、おう……。これはあややどの。どうされたのだ」
あややは真剣な眼差しで、五郎を問い詰める。
「五郎どの。あなたはいつも、俺は男の中の男だとか、俺以上の武士はいないとか言って、私にしつこく言い寄ってきてたでしょ。何よ、全然男らしくないじゃない。大内に助けを求める仲間を平気で見捨てて、恥ずかしくないの?」
五郎は幼少の頃から、顔を合わせるたびにあややに言い寄っていた。美貌が好みということもあるが、筆頭家老の嫡男である自分が、次席家老の内藤家の娘と結ばれることは、大内家臣団の結束のためにも当然のことだと信じていたからだ。あややはそんな五郎が面倒で距離を取っていた。こうやってあややから五郎に話しかけるのは初めてのことで、よほど怒っていると見える。
「いや、俺は毛利を見捨てるつもりは……」
「見捨ててたよね? 杉が賛成しないだとか、相良が反対するだとか、佐之助が雑魚だとか、いろいろ言ってたじゃない。全然男気がなくて、何が周防の虎よ。猫以下でしょうよ。桃太郎の雉のほうがよっぽど勇気あるじゃない。五郎どのが助けに行かないって言うなら、私は毛利に嫁いででも助けに行くわ。重臣の最上位って言うなら、誰が反対しようが俺だけは仲間を守ってみせるとか言いなさいよ。五郎どのが一人ででも毛利を助けに行くって言うなら、私は毛利に嫁いででも協力するわよ。筆頭家老だって偉そうにするなら、仲間を助けてから偉そうにしなさいよ。この馬鹿ぁぁぁ!」
あややが口早に捲し立てた。途中から、我を忘れているようだ。
五郎は言い返せず唖然としている。変な空気の中、舵之丞がぼそっとつぶやく。
「いや、結局毛利に嫁ぐ気満々じゃん。あと、さりげなく佐之助を雑魚扱いしたよね」
襖の下敷きになっている佐之助の呻き声が聞こえる。
小太郎が厳しい大声を上げた。
「あややどの、控えられよ! 今は大事な評定前の打ち合わせの最中。それに家中筆頭の陶どのに、そのような暴言はならぬ」
滅多に声を荒げない小太郎の怒声に、あややはビクッと体を震わせ、仕方なく小太郎の後ろに控えて正座をし、ついでに横の舵之丞の頭を拳でポカッと殴っておいた。
「なんで私が怒られないといけないのよ」
「筆頭家老の屋敷の襖を蹴倒しておいて、しかも猫以下呼ばわりの馬鹿ぁぁぁは、そりゃ怒られるでしょうよ」
口を尖らせてつぶやくあややに、舵之丞はどつかれた頭を手でさすりながら応えた。少輔太郎は次の間で不安そうに成り行きを見守っている。
五郎は腕を組んで、思案を深める。女のあややにあれだけ凄まれ、さらに少輔太郎当人を目の前にすると、簡単に毛利を見捨てる選択肢は選べない。
「ならば、小太ァ、下野どのはどう来ると思う?」
五郎は内藤下野守興盛の名を出した。筆頭家老の五郎が若すぎる今は、内藤下野守は家老次席とはいえ長老的存在である。下野守の出方次第では評定の流れは大きく変わるはずだ。
小太郎は間をおかず即答する。
「下野守どのは流れを重んじる御仁。筆頭の五郎どのに遠慮して静観を見せるだろう。だが、間違いなく毛利の救援には前向きだ」
「なぜそう言える」
「既に本人に確認したからだ」
「さすが小太ァ、抜かりねえな。いや……。さては小太ァ、おまえから下野どのに提言したな。おまえは常に先を読む奴。俺を動かすなら、下野どのを先に引き入れておこうと考えるはず」
「進言はした。だが下野どのはその前から既に毛利救援を思案されていた。安芸支配の重要性を深く理解しておられるからだ。それに……」
「……ふっ、そうかい」
小太郎が言葉を止めてチラリと後ろに目をやったのを見て、五郎は一瞬でその裏の意味を理解した。
恐らく小太郎の視線の先は、あややだ。内藤興盛はきっと、娘のあややが泣きついて動いたのだ。興盛は以前から五郎があややを好いていることを喜んではいたが、あややが五郎を嫌がっていることに困っていた。今度はそのあややが、少輔太郎に嫁ぎたいから救ってほしいと言い出したのだろう。
いや、この小太郎があややにそう言わせたのかもしれない。内藤興盛は激しく自己主張をする将ではない。皆の意見を尊重し、主君義隆の決定に潔く従い、その中で最良の策を考える人間だ。娘の嘆願にも耳を貸し、隆包の献策にも理に適っていると判断したと考えられる。
そして今、あややが次の間から怒鳴り込むこと、そこに少輔太郎がいることも、五郎を操るための小太郎の思惑どおりなのではないだろうか。
五郎は笑みを浮かべて、深く息を吐いた。
「分かった。小太ァの言うことには間違いがねえからな。その策に乗ろう。杉のジジイらに大きな顔はさせないさ」
小太郎の提言を受け入れた五郎の言葉に、あややと舵之丞の顔もパッと明るくなる。
五郎は次の間で硬くなって座っている少輔太郎に向いた。
「太郎ォ、安心しろ。この五郎隆房が、毛利を守るぞ」
少輔太郎は座敷に慌てて進み出ると、手をついて深々と頭を下げる。
「五郎どのっ。多大な高庇、深く感謝申し上げます。このご恩は一生、一生忘れませぬっ」
「よせよせ」
「今の私は五郎どのにも小太郎どのにも遠く及ばない小人です。しかし私は必ず、この借りを返すに余りある武人として成長すると誓います」
「よせと言うのに。太郎ォ、顔を上げろ」
ひれ伏す少輔太郎を見て、五郎は苦笑すると指でくいくいと天を差し、面を上げるよう促す。
「これは別に個人の貸し借りじゃねえ。大内という国の問題よ。小太ァの説く毛利救援の提言に理があった。それだけだ」
「はっ、……しかし」
「それと、おまえはもっと堂々としろ。いつもやたら卑下卑屈だが、おまえはこの小太ァが認めた立派な奴なんだ。そしてあややどのが気にしているほどの男だろう。俺はおまえを友と思ってるんだからよ、おまえも俺に遠慮するんじゃねえ。言いたいことはいつでも言ってこい」
「五郎どの……」
五郎の言葉に、少輔太郎は感極まっている。大内という大国を動かしている五郎や小太郎に友と認められている自分は果報者だと身に染みて思う。
少輔太郎にもっと心を開いてもらおうと、五郎は自ら歩み寄ってさらに心の内を曝け出す。
「太郎ォ。俺が毛利救援をためらっていたのは、別に毛利を軽視しているわけじゃねえんだ。引っかかっていたのは、おまえの父よ」
「……父上ですか」
「右馬頭は知恵者ゆえ、我が父亡き今、いつでも敵方に寝返るんじゃねえかと危惧しててな。俺はおまえのことは信頼しているが、実のところ、右馬頭はまだ信用できちゃいねえんだ」
右馬頭元就の長男にわざわざここまで告げるとは、五郎の言葉は嘘ではないのだろう。家老筆頭ともなれば、そこまで警戒して考えるのは当然のことだ。少輔太郎は五郎の正直な心情を知って、姿勢を正す。
「五郎どの、私はあなたの期待に応えたい。毛利が大内を裏切ることのないよう、私が父を注視し、父に釘を刺す。私を信用してもらえませんか」
「分かったって。おまえを信用してると言ってるだろ。たとえおまえの父が裏切っても、この俺が叩き潰しておまえにそっくり毛利をやるよ」
五郎は堂々と言い放った。
少輔太郎は恐縮する。五郎は正直毛利など眼中にないのだろう。毛利が裏切ろうとも尼子が侵攻しようとも、五郎にはきっといくらでも叩きのめせる自信があるのだ。信頼する小太郎が毛利を重要視するから五郎は毛利を救い、小太郎が少輔太郎を友と認めているから五郎は少輔太郎を認めている、それだけのことだ。
「深きご配慮痛み入ります。毛利への援軍、どうかよろしくお願い申し上げます……」
少輔太郎は頭を床につけるほどに深く下げた。今の自分にはそれぐらいしかできることはない。自分の無力さを痛感する。
「おう、太郎ォ。俺たちに任せとけ。よし、小太ァ、評定に行くか」
「ああ」
小太郎と共に立ち上がった五郎はどこか愉しそうな評定だ。
小太郎はかしこまる少輔太郎の腕を取って共に立ち、安心させるかのように肩を叩きながら強くうなずいて見せる。
「少輔太郎どの、評定で何とかする。待っていてくれ。あややどの、舵之丞。少輔太郎どのを頼むぞ」
小太郎は肩越しにあややと舵之丞に伝えた。あややは拳で気概を見せる。
「うん、駒之介どの。太郎どのは私たちに任せて」
「えー、この三人でいたら、オレ絶対邪魔じゃーん。オレやだよー、この待ち組一座」
眉をひそめる舵之丞の頭を、あややはちょうど握っていた拳でポカッと小突いた。舵之丞がよろけて踏んだ襖の下からまた「ぐえっ」という声が聞こえた。
間もなく、毛利の運命が決まる評定の刻だ。大内館へ向かう五郎と小太郎を路上で見送りながら、少輔太郎はいつまでも頭を下げていた。
<つづく>




