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陰陽の濤 〜防芸厳島戦記〜  作者: 紘野 流
【第一部】 西京山口
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其の一: 武者二人


「殿、お逃げください!」


「ここは我らにお任せを!」



 主君を護るために将兵たちは次々と敵前に立ちはだかるが、突進してくる勇将の振るう太刀の餌食になっていく。



「矢じゃ、矢を射かけよ!」


「間に合いませぬ、……ぐぁっ」



 毛利(もうり)兵はことごとく肉を裂かれ、鮮血に染まり、死肉の塊となって地に倒れていく。相手はただ一人、なのに止められない。囲んでも囲んでも、ただ血の路が拓かれていく。



「なんなんじゃ……、奴は」


「我らは勝っとるんじゃないんか……」



 毛利軍の将兵たちは口々につぶやく。



 厳島(いつくしま)に奇襲をかけて敵軍を壊滅させ、敵総大将も自刃に追い込み、わずかな兵を伴う最後の敵将を龍ヶ馬場(りゅうがばば)と呼ばれる急峻な山頂に追い込み、大勢で取り囲んだ。これ以上の勝利はないと言えるほどの歴史的な完全勝利のはずだ。しかしその最終局面で、たった一人の敵将の前に、こちらの大将が危機に晒されている。


 圧倒的優勢の中の、圧倒的な絶望。


 もはや人と戦っているのではない。人を超えた魔神か修羅か。将兵を斬り伏せながら一直線にやって来る敵将はあまりに大きく見え、毛利の将兵はガタガタと震えている。


 毛利隆元(たかもと)は刀の柄に手をかけ、刀身を抜き放った。



「なりませぬ、殿! ここはお退きください」



 側近の赤川元保(もとやす)が絶叫に近い声で主君を諭す。しかし隆元は迫り来る修羅に向かって、一歩また一歩と進んでいく。


 元保がさらに進み出て隆元の歩みを止める。



「殿は毛利の当主でございますぞ。武門の当主が軽々しく敵と刃を交えてはなりませぬ」


「奴も武門の当主だぞ。どいてくれ」



 隆元は元保を横へ押しやると、迫り来る敵将の目を見た。


 敵将の目が隆元の姿を捉えた。狙いの獲物を見つけた猛禽の鷹のような鋭い眼光。目の前の兵を一刀のもとに斬り倒すと、隆元へ向かって駆けていく。



(決着の時が来たな、(こま)さん……)



 毛利家当主として大きく成長を果たした隆元に、かつてのような迷いはない。自分から脅威に立ち向かわなければ、勝利はない。


 彼は生涯の恩師であり、生涯の目標であり、生涯の心友。


 だからこそ、自分が引導を渡さなければならない。



 「皆、死ぬな。私に任せろ!」



 隆元は両手で刀の柄を握り締めて構えると、鮮血を浴び纏う姿で駆け下りてくる鷹の眼の修羅に、猛然と切り掛かっていった。


 どちらが勝者で、どちらが敗者か。


 いずれが陰で、いずれが陽か。


 今こそ、終止符を打つ。


 十八年前の、あの山口での仕合の決着に……。



       *      *



 主審が軍配代わりの開いた緋色の扇子を振り下ろした。仕合開始の合図である。



(およそ戦いは正をもって合し、奇をもって勝つ……。初手で奇襲し、早々に決める)



 千代寿丸(ちよじゅまる)は兵法を脳内で誦じ、先に切り込んだ。唸りながら、喉元を狙う素早い一突き。


 駒之介(こまのすけ)は冷静にその一撃を剣先で左に受け払った。見切っている。


 だがそれは千代寿丸の想定通りだった。流された木剣を咄嗟に返し、渾身の逆袈裟斬りを繰り出す。囮の初手をかわして空いた脇腹の隙を襲う、簡単には返せない狙い目だ。


 だが、駒之介は難なくその一閃を刀身で構え受けていた。木刀同士がかち合う乾いた音が響く。



(駄目か。ならば、次だ)



 千代寿丸には本命の二刀目が外れた時の準備もある。踏みとどまって三の太刀、四の太刀と次々と攻撃を振るう。しかしどれも駒之介の巧みな剣捌きに弾き返されていた。



「おおお、毛利の人質もやるじゃねえか」


「でも、やはり弘中の駒之介のほうが上か?」



 周囲の参加者たちが盛り上がる。皆、千代寿丸や駒之介と同世代の若武者ばかり。毛利の色白な御曹司のお手並み拝見とばかりににやついていたが、なかなかの腕前に感心しているようだ。



(さすが駒さん。思惑が全て読まれている……)



 千代寿丸は青ざめてきた。巡らし考えうる太刀筋の組み合わせはどれも軽く防がれていく。布石を使い果たして、焦燥が襲ってくる。


 ここで人質の自分が無様な姿を見せれば、大内に従属する毛利の沽券に関わる。その重圧で、千代寿丸の額は冷や汗が滲む。



「あっ……!」



 千代寿丸が目を見開いた。バシィッと乾いた打撃音が響く。


 駒之介は千代寿丸の攻撃を振り払った直後、その木剣を片腕で素早く返して打ち込んでいた。鋭く深い衝撃を右肩に受けた千代寿丸は、痛みによろけて砂地に片膝をつく。


 会場はどよめいた。早速の面白い展開に皆が沸き立つ。


 千代寿丸は痛む肩を左手で押さえながらも、木剣を握りしめて離さない。目線を駒之介から外さず、荒い呼吸を整えていく。


 待ったの声はかからない。仕合は続行している。打ち込みが甘いという審判の判断か。


 駒之介も千代寿丸の瞳を凝視して木剣を向けたまま、開始線まで戻って改めて構え直した。いつでも打って来いという余裕が見える。



「この勝負、頭で考えていては勝てない」



 またもや呟くと、千代寿丸は深く息を吐き出す。頃合いを見計らって地を蹴り飛び出して、渾身の一刀を駒之介の頭上に振り下ろした。一度膝をついた劣勢を覆したいという気概が、剣に載る。


 立ち直って振りかぶった千代寿丸の大回りの一刀を、駒之介は左手を添えた刀身で受けて弾き返した。千代寿丸は即座に次の一撃を加えたが、駒之介の木剣が弧を描いて跳ね除ける。



(なれば、ままよ)



 脳内で考えた太刀筋が全て読まれていることを恐れた千代寿丸は、今度は思考を捨てて感覚で攻撃を繰り返す戦法に任せた。駒之介は戦況を見ながら一刀必殺の機会を狙っているに違いない。その鋭い反撃の機会を押さえ込むためにも攻撃の手を止めるわけにはいかなかった。


 千代寿丸が無心で振り払った一撃が、駒之介の左肩を捉えた。バシッと音が鳴り、参加者たちの歓声がワッと上がる。


 駒之介は何事もなかったように木刀を構える。主審から待ったの声はかかっていない。これも当たりが不十分だったようだ。


 そこからの千代寿丸の攻撃は、どれも駒之介が巧みに打ち返して当たらない。


 何十合と激しい撃ち合いが続き、木刀同士の快音が響く。


 周囲の諸将の感嘆の声も参加者の子弟たちの熱狂的な声援も一太刀ごとに増していき、場は沸きに沸いた。



「両者、それまで」



 主催者の大きな声が会場に響く。天下にその名の轟く名将の声。会場中が静まり返り、千代寿丸も駒之介も最後にかち合わせた刀を引き、開始戦に戻って畏まる。



 毛利の千代寿丸と、弘中の駒之介。


 深い友情で結ばれていく両名の決着は、十八年後に持ち越されることになる。




<つづく>



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