第六章 加茂の姫
運転手
「姫は奥でお待ちです」
そう告げると、運転手はみさととセントの前に一歩進み出た。
声は穏やかだが、そこには越えてはならない線がはっきりと引かれている。
「あなた方は、今回“巻き込まれた側”です。
こちらでお待ちください」
四人は、姫と呼ばれる小柄な少女に導かれ、いったん控えの間へ戻された。
少女
「……どんな話だったの?」
ケンタ
「オレたちが異世界から帰ってこられた、その立役者ってやつ?」
ナギ
「異世界と念話で会話できて、しかもこっちの世界に呼び出せる術師らしいよ」
ハルト
「陰陽師といえば安倍家が有名だけど、
その安倍に術を教えたのが加茂家だって。しかも直系中の直系」
ヒマリ
「お坊さんが真言と手印を間違えて、
うっかり召喚しちゃった“向こうの存在”の後始末……らしい」
姫
「例えば――こういうことです」
姫は静かに床へしゃがみ込み、懐から色とりどりの砂を取り出した。
指先で円を描き、幾何学模様を重ねる。
ほどなく、鮮やかなマンダラが床に浮かび上がった。
完成した瞬間、空気が歪む。
――馬頭の人間が、半身だけ現れる。
姫
「一見すると、馬頭観音に見えるでしょう?」
誰も声を出せなかった。
姫
「ですが、これは地獄に棲む“ばとうき”です」
そう言うなり、姫はマンダラを一息に払い消した。
存在は完全に顕現する前に、霧のように散る。
姫
「……これで、理解してもらえましたか?」
立ち上がった姫は、
セントを覗きこみ、すっとセントの前に立つ。
次の瞬間、ためらいもなく抱きつき、唇を重ねた。
少女
「だめだめ! 取らないで!」
セント
「……だそうだ」
姫
「こんな“如来格”の人間が、まだこの世にいるなんて」
ケンタ
「なあ、その“如来格”って何なんだ?」
姫
「格付けには順があります。
下から――明王、菩薩、そして如来」
一拍置いて、淡々と告げる。
姫
「如来とは、神々の王。
西洋風に言えば……GOD、ですね」
ケンタ
「東洋文化と西洋文化をごちゃ混ぜにすんなよ」
姫
「昔、インド・ヨーロッパ語族って習わなかった?」
「聖者教も仏教も、同じ語族圏から生まれているの」
ケンタ
「そんなこと言われてもなあ……」
姫
「薬師如来――ヴァルナは、八大菩薩」
ケンタ
「聖者教は七大天使だろ? 数が違うじゃねーか」
姫
「堕天した天使が一人、いましたよね?」
ナギ
「ルシフェル?」
姫
「仏教のほうが古いから、堕天使扱いされていないだけ」
ナギ
「確かに、ルシフェルって天使の長だったって話だし……」
ヒマリ
「じゃあ、ギリシャ神話の十二神も?」
姫
「薬師如来の十二神将と同一です」
ケンタ
「なんでそんな断言できるんだよ」
姫
「インドの語源“インドラ”は、
デウス――ゼウスの子ですから」
ケンタ
「インドって、バスコ・ダ・ガマが見つけたんだろ?」
姫
「“欧州が初めて到達した”という意味ですね」
「彼の小型船が着いた時、
隣には中華の大型船が何隻も停泊していたそうですよ」
ケンタ
「じゃあ、宗教を伝えたのは誰だよ」
姫
「アーリア人でしょうね」
「アーディティヤ神軍を信仰していた人々」
「羊を放牧していたという説もあります」
「私は、最初は(アーディティヤ)アプロディテ(海の女神)を信仰していた海の民と思ってます。」
「海のシルクロードを築いた人たちではないかと」
ケンタ
「じゃあ、その主神はアプロディテか?」
姫
「違います。ヴァルナ(薬師如来)――次がミスラ。
弥勒菩薩です」
姫は、静かにセントへ向き直る。
姫
「私のもとへ、いらっしゃいなさい。
その格にふさわしい待遇を用意します」
一瞬、微笑みが翳る。
姫
「……もっとも、無理でしょうけれど」
姫
「“天上天下唯我独尊”――ですものね」
ナギ
「でも、みさとの言うことは聞くわよね?」
姫は不思議そうに、みさとを見つめる。
姫
「……何も感じない」
「力の気配が、みじんもありません」
その瞬間、セントはみさとを引き寄せ、庇うように前へ出た。
姫
「……今日は、ここまでにしましょう」
一歩退き、表情を儀礼的な微笑みに戻す。
姫
「本日は、遠いところからありがとうございました」
運転手
「それでは、帰りもお送りします」
――帰りの車内。
セントは、みさとのカバンを指さした。
少女
「セント、なに?」
セントは空中に文字を書く仕草をする。
「……修学旅行アンケート」
少女ははっとして、カバンからアンケート用紙と鉛筆を取り出し、ナギとヒマリに渡した。
少女
「そうだ……これを書いてもらうために、ここに来たんだった」
ヒマリ
「みさと、今日学校大丈夫?
もう朝の三時過ぎだよ」
少女
「なんとか……放課後までには行く」
ナギ
「ありがとう。助けに来てくれて」
微笑み、まっすぐに言う。
ナギ
「これからも、仲良くしてくれるとうれしいな」




