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『境界線の向こう側』

 隣町・南川町役場。

 コンクリートの壁は新しく、だが空気は重かった。


「……正直に言います」

 南川町長・黒田は、書類を指で叩いた。

「あなた方の“祭り”、こちらでは危険だと見ています」


 高橋は黙って頷く。

 こういう切り出し方をする人間は、反対派ではない。

 恐れている側だ。


「若者が集まった? 交流が増えた?

 それは結構。だが――」


 黒田の声が低くなる。


「失敗したら、誰が責任を取るんです?」


 会議室の空気が張りつめる。

 同席しているのは、

 観光課、商工会、農協、そして町議会のベテラン議員たち。


 ひとり、咳払い。


「うちは高齢者が多い。

 ああいう“サバイバルごっこ”は、事故が起きかねん」


 別の議員が続く。


「予算も人も限られている。

 町おこしは“冒険”じゃない」


 高橋は、無人島の夜を思い出す。

 火が弱り、誰も正解を知らなかった時間。


 あのときも、恐れていたのは失敗そのものではない。

 “何も残らないこと”だった。


「……冒険じゃありません」


 高橋は、静かに口を開いた。


「これは、実験です」


 ざわり、と空気が動く。


「町を壊す実験じゃない。

 町の中に、もう一度“役割”を生む実験です」


 黒田町長が眉をひそめる。


「役割?」


「ええ。

 南川町には、空き家も、空いた畑も、人もいる。

 でも“出番”がないだけだ」


 高橋は、スマホを取り出す。

 画面には、商店街のおばちゃんの笑顔、

 畑で頷く老人、走り回る子どもたち。


「うちの町も、最初は同じでした。

 やったのは一つ――

 『失敗しても、笑って終われる場』を用意しただけです」


 沈黙。


 そのとき、若い職員が手を挙げた。


「……あの」

「うちでも、やれますか」


 ベテラン議員が睨む。


「君は黙ってなさい」


 だが黒田町長は、手で制した。


「続けなさい」


「南川町には、川があります。

 昔は祭りもあった。

 でも今は、危ないからって全部やめました」


 若い職員の声は震えている。


「危なくない町にして、

 人がいなくなるのと、

 少し危なくて、でも人が集まる町……

 どっちが“生きてる”んでしょうか」


 誰も、すぐには答えられなかった。


 高橋は、心の中で小さく息を吐く。

 火は、もう一つ灯った。


 会議が終わったあと。

 黒田町長が、高橋を呼び止める。


「……正直に言おう」

「君の町が羨ましい」


 高橋は驚く。


「うちは、間違えないようにしてきた。

 だがその結果、何も起きなかった」


 黒田は窓の外を見る。


「政治は、安全にする仕事だ。

 だが、生き延びさせる仕事でもある」


 高橋は、無人島の火を思い出す。


「だからこそ」

「次は、一緒にやりましょう」


 黒田は、少しだけ笑った。


「……議会を説得できるか?」


 高橋も笑う。


「サバイバルは、

 一人じゃできませんから」


 その夜。

 高橋のスマホに、メッセージが届く。


「県から視察が入るらしい」


 高橋は、机に肘をつく。


「……やれやれ」


 無人島より、

 はるかに複雑で、

 はるかに燃えやすい火。


 政治という風が、吹き始めていた。

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