結婚記念日の苺のケーキ(1)
無事に明日香のバイトが決定した。とはいえ、バイトは非正規でもある。それにカフェは不定期営業だ。一カ月分のシフトを店長からもらったが、週二、三日の営業だった。貸し切りの予約が入るとこのシフトの変わるらしいが、日曜日も休み。日曜日は店長は裏の教会での仕事もするらしい。牧師は高齢の為、店長が代わりに説教や讃美歌演奏をする事も多いのだそう。
バイトが決まっても、引き続き転職活動をする必要があったが、まずは第一関門をクリアした気がして、明日香は安堵し、今日も元気にカフェに向かっていた。
もう何回も来ていたので道に迷う事もない。カフェの門の側で看板猫のムンキがゴロゴロしていたが、猫のムンキを見ているとくすりと笑えるほどの余裕もある。猫のムンキの背中や頭を撫で、明日香は微笑む。
「ムンちゃん、おはよう」
「ナァ〜」
「爪のびた? 店長に切ってもら?」
「ナァ!」
猫のムンキは日本語はわからないだろうが、爪という言葉に反応。おそらく爪切りが嫌なのだろう。不機嫌な声をあげていた。
「わかった、ごめんね」
「ミャ〜」
「バイト行ってくるよ」
こうして猫のムンキともコミュニケーションをとった後、従業員入り口からバックヤードに入り、エプロンをつけ手を洗って厨房に入った。
厨房に入ると、すでに開店準備を始めている店長の姿が。業務用のオーブンからは甘い良い匂いがし、作業台の上ではケーキのデコレーション作業をしている。クリームを慣れた手つきで塗っていたが、明日香はフルーツの担当となり、苺を洗い、もくもくとカットしていた。
真っ赤でみずみずしい苺だった。店長の知り合いの農家から入荷した苺らしく、表面はツヤもあり、甘い匂いも濃い。この匂いに目を細めてしまうぐらい。
「 フィンランドでも苺があるよ。市場で山のように積まれた苺をスコップですくうんだ」
「えー、すごい。やっぱり日本と違いますね」
「苺がりにも行ったことがあるけど、バケツいっぱいとれた。フィンランドの苺は、本当に甘いから。もちろん、この日本の苺も素晴らしい。甲乙つけがたいってこういう事かな」
フィンランドの話をしている店長はテンションが上がり、作業もノリにのっていた。白いクリームがの塗られた大きくて丸いケーキに、カットした苺を手早く飾りつける。放射状に並べられた苺は、見た目もかなり派手。明日香は上からケーキをのぞくと、大輪のバラのような雰囲気のケーキにも見えるぐらいだ。
このケーキは、常連客の一人・名村月雄が予約したケーキだという。ちょうど今日が誕生日なのだという。名村は地元で画家をしている芸術家。カフェに飾ってあるオーロラやサウナの絵も名村が手がけた。見た目は少し頑固そう。五十過ぎだが、オシャレな帽子やアクセサリーをしていて明日香もちょっと苦手だったが、何度も接客していくうちに、雑談するようになり、今は何の偏見もなかった。それに今日が誕生日でめでたい。
「でも、この大きな苺のケーキ。一人で名村さんが食べるんですか?」
「いや、他の常連さんと分け合うよ」
「ならよかった」
名村はどちらかといえば細身なタイプだ。このケーキを一人では食べられないだろう。
「苺のケーキは、フィンランドでもお祝いの時に食べるからね。卒業式や結婚式でも。節目節目のお祝いのケーキなんだ」
「へえ」
レモンやオレンジなど他のフルーツを切っていた明日香だったが、そんな事を言われると、余計にこの苺のケーキが派手に華やかに見えた。日本の苺のケーキは清楚な雰囲気だが、このケーキは華やかでとにかくめでたい雰囲気だ。
「そういえば岡辺さんもバイト来てくれておめでとうパーティーやってなかったね」
「え!? そんなものあるんですか?」
「別に決まりじゃないけど、新人祝いパーティーって事で岡辺さんも苺のケーキ食べる?」
いつになく店長は魅力的な笑顔を見せてきた。厨房内は苺の甘い香りだけでなく、スポンジやクリームの良い香りが漂う。
「そんな私のようなバイトごときでいいんですか? 正社員の転職先でも、そんな事された経験一度もないですって」
「いいじゃないか。うちの大切な人だよ」
サラッと恥ずかしい事を言われ、明日香の心臓が跳ねてしまう。店長は人たらしっぽい所もあった。特にスキマバイトを続け、名前も呼ばれず、「アレ」と言われた事も思い出してしまい、何か胸に込み上げるものがある。確かに恥ずかしいが、嬉しいのも事実だった。
「て、店長。ありがとうございます」
「お、いいね! フルーツ類、全部綺麗に切れてるよ。岡辺さんは仕事が丁寧でいいね!」
さらの褒められてしまい、明日香の頬が軽くオレンジ色になってしまった事は自然の成り行きだった。
「ところで岡辺さん。このバイトの事は、家族に言った?」
しかし店長は水をさす話題もぶっ込んでくる。
明日香はここでバイトを始めた事は母の言っていない。父も相変わらず旅行だったし、言うチャンスを何となく逃していた。母はまだ明日香がスキマバイトをしていると思っているらしく、相変わらず「いつまでも就職しないでフラフラしてると子供部屋おばあちゃんになるわよ?」などと小言をこぼしていた。この話題は、今の明日香にとっては全く聞きたくないものだが。
「いえ。なんとなく言ってないです」
「そっか。ま、良いタイミングの時に言った方がいいかも?」
今の店長は笑っていない。むしろ、大きな目は真面目なぐらいだ。
「そ、そうですね……」
これには明日香は反論できず、頷く事しかできなかった。
「タイミングが良い時に母に話してみます」




